7 帰還
私が一言も喋らないことに気づいてるのか気づいてないのか。
黒猫君は城門の手前で耳と尻尾をしまい、出迎えてくれたアルディさんに軽く手を振って挨拶だけして真っ直ぐ治療院のキールさんの執務室へと向かった。
「それでやっぱりあゆみはこっちに戻ることにしたのか?」
執務室で商人さん達と話し合いをしていたキールさんは、私達が到着すると彼らに一旦休憩を申し出て、入れ替わりに私達を部屋に入れてくれた。
キールさんが意味ありげな視線を送ってくるのをちょっと居心地の悪い思いで見返して頷く。
するとキールさん、少し眉根を寄せて、まだ黒猫君に抱き上げられたままの私を見ながら諭すように話し始めた。
「あゆみ、あまりこいつをいじめるなよ。男のほうが繊細なところだってあるんだぞ。こいつがどんなにお前のことを心配してたかは見りゃわかっただろう」
キールさんの言ってることは良く分かるんだけど、そんなの黒猫君の前で言われても答えようがない。
「キールもういいだろそれは。こいつには森でちょっとした仕返しもしたし十分だ」
困り顔で答えられなかった私の代わりに、黒猫君が勝手に答えてくれた。
私は不貞腐れながらも、少しは黒猫君に悪いことをした自覚があったので、謝る代わりにちゃんと二人に挨拶をしておくことにした。
「これからもこちらでお世話になります、よろしくお願いします」
それを聞いた黒猫君が明るい顔で頷いた。
キールさんも眉根を緩めてよしっと頷くと破顔した。
「ああ。これからもランド・スチュワードとしてよろしく頼むな。じゃあ早速だが……」
「待てよ、まずはパットの様子を見てきたい。話はそのあと、必要なら夕食をここに持ち込んでしよう」
そのまま怒涛のような執務に雪崩込もうとするキールさんを黒猫君が押しとどめてくれる。
黒猫君の指摘に、腕の中の私を見てキールさんが頷いてた。
「そうだな。じゃあ悪いが上に行くついでにトーマスに夕食を運ぶように言いつけておいてくれ」
ふと黒猫君が首を傾げてキールさんを見返す。
「最近なんだかトーマスが厨房を一人で切り盛りしてないか? あいついつから厨房担当になっちまったんだ?」
ヒョイっと片眉を上げたキールさんが黒猫君を見返して答える。
「ああ、言ってなかったか。あいつはここのシェフとしてテリースが正式に雇いなおしたぞ。なんでも財布の締り具合が非常に好ましいそうだ」
それってケチ具合がテリースさんと合ってるってことか。
「ならこれからはあいつに色々頼めばいいのか」
黒猫君はなにか企んでるっぽいけど、私としては相談に乗ってくれる人がいつもいてくれるのが頼もしい。
「早く戻って来いよ」というキールさんの言葉に送られながら、私達は執務室を後にした。
二階のパット君のいる部屋に入ると、ちょうどテリースさんがパット君のベッドの横で作業をしていた。
「テリースさん、パット君、ただいま」
私はちょっと照れながら二人にも挨拶した。
もしかするとパット君は私が帰ってこないかもしれなかったことを知らないかもしれないけれど「お帰りなさい!」と嬉しそうに答えてくれる。
一緒にいたテリースさんも嬉しそうに微笑んで「お帰りなさい」と返してくれた。
パット君、昨日とはうって変わって顔色が良くなってる。
「あゆみさん、僕も明日から少しずつ仕事に戻っても良いそうです!」
パット君が嬉しそうに報告してくれる。
怪我したんだから治るまでゆっくり休んでればいいのに……。
でもパット君が元気を取り戻してること自体は素直に嬉しいので私も喜んで返事をする。
「そっか、じゃあ明日からはまたフルメンバーだね」
「パットはまだまだ様子見ですから座って出来る仕事だけを午前午後に分けて数時間ずつでお願いします」
私の返事にテリースさんが慌てて横から付け足した。
それを聞いていたパット君がちょっと首をすくめて笑ってる。
ああ、良かった。
もう前と同じパット君に戻ってくれたっぽい。
「じゃあ今日は明日に備えて早目に退散するぞ、あゆみ」
治療院に戻ってきてからずっと私を抱いたまま歩き回っていた黒猫君は、結局ここでも一度も私を降ろさずにドアに向かう。
私に拒否権なんてないらしい。
「じゃあ、パット君、また明日ね」
「はい、あゆみさん」
「待ってください、お二人にお話がありますから私も一緒に参ります」
パット君の襟元にかかる布団を整えていたテリースさんが振り返って立ち上がり、私達と一緒に部屋を後にした。
扉を閉めたテリースさんがほぅっと小さな安堵のため息をついて私たちに向き直る。
「パットの症状が改善して本当に安心しました。一時期はどうなるかと」
「え? パット君そんなに悪かったんですか?!」
驚いて思わず声をあげると、テリースさんがスラっと長い人差し指を綺麗な唇に当てて、シッと声を抑えるよう示唆する。
慌てて私も自分の口を手で押さえた。
「怪我自体はすぐに治療出来たのですが、出血が激しかった為、生気が足りなくなっていたんです。それを私の魔力で補っていたんですが……。タッカーがあゆみさんの生存を否定するようなことを言ったのを聞いて、パットは自分で生きようという気力を捨ててしまってたんです」
そ、そんな。
「え、じゃあそれで昨日あんなに青い顔だったの?」
テリースさんが頷いて答える。
「私が幾ら魔力で生気を補おうとしても、本人がそれを拒絶してしまってはどうにもなりません。昨日あゆみさんの顔を見たお陰で、やっと私の魔力を受け入れて生きる力に替えてくれたんです。これでもう心配いりません、あとは時間の問題です」
テリースさんの言葉にホッとする。
ホッとするとともに、自分の安否がパット君の命まで危険に晒してしまった事実に今更気づいてしまった。
「あゆみさん、落ち込まないで。自分達が傷ついたのはタッカーとダンカンの仕業だとパットに言ったそうですね。その通りですよ。むしろあゆみさんが無事な顔を見せたお陰でパットは良くなっているんです。喜んであげてください」
私は内心消し去れないしこりを感じながらも、テリースさんの言葉に頷いた。
そこからは話しながら一緒に階段を降りて厨房へと向かう。
「テリース、そう言えばお前、トーマスをシェフに雇ったんだってな」
黒猫君が話題を変えてくれた。
「正確にはここで軍の方々が部屋を使う代わりに、軍からの出向という形で来てもらいます。ですから給料は今まで通り軍支給です」
テリースさん、トーマスさんを他人のお財布で雇っちゃったのね。
「また上手くやったな」
「これくらい当然です。こちらの施設を使って食事もお出しするのですから。まあ、材料費は全てあちら持ちですが」
テリースさんの言葉に驚いて顔を見てしまう。
「え? じゃ、じゃあ、昨日の夕食も?」
「ええ、全て軍の経費でお願いしています」
うわ、テリースさん、半端ない。
「……軍の予算だって限りがあるだろ、程々にしておいたほうがいいんじゃないのか?」
「……私の半年分の給料だと思えば安いものです」
あ、テリースさん、実は根にもってたのか。
私達が厨房に入ると、トーマスさんが嬉しそうな顔で出迎えてくれた。
「あゆみさん、戻ったんですね。昨日は夕食に来なかったからちょっと心配してたんだが」
「ええ、戻りました! これからもよろしくお願いします」
破顔して迎えてくれたトーマスさんに、ちょっと照れながら笑って挨拶する。
「あゆみちょっと待っててくれ」
私が挨拶してる最中に、黒猫君が近くの椅子に私を下ろしてテリースさんを引っ張っていってしまう。
慌てて声を掛ければ「すぐもどる」と言って思い出したように私の杖を返してくれた。
やっとか。
これでやっと自分で動き回れる。
黒猫君、あんまり当たり前のように私を抱きかかえたまま動き回るから、いつの間にか私もすっかり慣れてしまってた。
こんな事じゃいけない。
自分で動き回る自由はやっぱり大切だ。
黒猫君に置いて行かれた私は、目の前でニコニコとこちらを見ているトーマスさんの顔を見てほっとする。
「トーマスさん、折角なのでちょっとお話してもいいですか?」
いい機会なので、溜まりに溜まっていた一連の『誰にも言えない愚痴』を、トーマスさんに全て吐き出しながら時間を潰すことにした。
やっぱりトーマスさんは優しくてちゃんと最後まで聞いてくれる。
途中お茶まで煎れてもらっちゃった。
でも、すっかり話し込んじゃってトーマスさんのお仕事を邪魔しちゃってることに気づいた私は慌てて話をまとめる。
すぐ戻るって言った黒猫君、全然帰って来ないじゃないか。
仕方がないのできりのいいところで立ち上がり、トーマスさんに話を聞いてくれたお礼をしてから一人でトボトボと執務室へ向かった。




