閑話: 黒猫のぼやき6
あゆみにはもうなんも言いたくない。
あいつを放っておいたのはそりゃ悪かった。
俺だって毎日何度も何度もあいつの事考えてたし、どれだけ助けに行ってやりたいと思っていた事か。
だが結局最後まで行けなかったというのが結果であり事実だ。それをごまかす気はない。
だけどだからってあれはなんだ?
死んだふりして現れたかと思ったら突然あいつらの交渉人だとかぬかしてしかも決闘したいって言ったと思ったらその内容が『あっち向いてほい』……
いや、俺が悪かったのは分かるけど俺そこまであいつに恨まれるほどの事やったのか?
それを言うなら俺達の苦労は? 心労は?
俺なんかあいつが死んだと思って声上げて泣いちまったんだぞ!
どうしてくれるんだ!
あーもう。
全てあいつの思い通りに進んじまった。
信じらんねー。
話し合いはすごくスムーズに進んだ。
バッカスはしっかり納得して森に帰った。
俺らはもうこの街に閉じこもる必要もないだろう。
それどころか、既に農村であいつらが手を貸す代わりに必要に応じてテリースを森へ送って治療を行う事で合意してしまった。
……おれ、確か今日あいつらと命の奪い合いする覚悟してたはずじゃなかったのか?
まあもういい。
最後の最後であゆみが全部美味しい所かっさらっていったのだけは確かだ。
キールとアルディが放心してた。テリースが涙ぐんでた。あゆみが笑ってた。
帰ってきたあゆみを見てパットが号泣しながら喜んでいた。
パットの部屋を後にした俺は他の奴に邪魔される前にあゆみを部屋に運んで一番気になっていたことを思い切って問いただした。
タッカーの奴が「慰み者」なんて言っていたのは流石に俺も無視しきれなくて実はずっと心配していた。
だけどあゆみのあっけらかんとした返事を聞けばもう疑うのも馬鹿らしくなってまた涙が滲むかと思った。全くこいつは本当に要領がいいというかなんというか。バッカスの話からしてもあそこには男しかいなかったんだろうに。
まあ、コイツがここまでボケてるから逆に周りも手を出せなかったのかもしれない。
そこでさっきっから非常に気になっていた事もついでにぶちまけた。テリースから距離が離れたせいであいつの掛けてくれていた痛覚隔離系のごまかしが消えてあゆみの臭いがもう限界を超えていた。
無論狼の獣の臭いもきついがそれと同時にどうもあゆみ自身の匂いも結構強くなっていた。ちょっとマズい。やっぱり怒られたが仕方ない。風呂を用意してやる事でごまかしておく。
農村で村の奴らと作った石鹸にはやっぱりあゆみが飛びついた。さっきまでの不機嫌は消え去ったようなので一安心だ。
風呂に入れてやる段になってまた服を脱ぐのが恥ずかしいとか言い出した。こいつはどうも俺が人化していると見られることに抵抗があるらしい。こっちにしてみればどっちも同じなんだが。仕方ないのであゆみの言う通り枕カバーを被って手伝ってやる。手織りの枕カバーがスカスカで丸見えだって事は内緒だ。大体見えなかったら危なくて風呂に入れたり出したり出来る訳がない。
あゆみを風呂に入れて部屋を出るとキール達が帰ってきていた。バッカスが俺が抱えていったせいであゆみが杖を忘れていったと文句を言っていたそうだ。明日あいつに謝っとかないとな。今日はどうしてもあゆみに先に謝りたくて、でも格好付かないのは分かりきってたから逃げる様に先に戻っちまった。
キールは何やら察しているのかニヤニヤとこちらを見ていた。
テリースは直接農村に戻って収穫の手伝いと貧民のその後の就職などを相談してくるそうだ。
アルディはそのまま兵舎に残ったそうだった。
そこであゆみが声を掛けて来たので部屋に入ろうとするとキールが夕食の準備がもう出来ると教えてくれた。
「それ以上は食ってからにしてやれよ」
何故かニヤリと笑ってそんな事を言っていたが。どうも何か誤解しているみたいだな。
今更あいつに俺が手を出せるわけもないのに。あんだけ男としてのプライドをグタグタに崩されてしかもボロボロ泣いてるところまで見られてはあゆみだって今更そんな気にはならないだろう。
もう一度枕カバーを被ってそんな事を考えながら部屋に入った俺はその場で凍り付いた。
あゆみの馬鹿。下着も付けてない。
いや、俺が見えないって言ったのか。
俺のせいか。
今更見えてるというわけにもいかない……。
枕カバー被っててよかった。少なくとも俺が真っ赤になってるのは見られないで済んだな。
服を着替えたあゆみに夕食を持ってくると言って俺はそそくさと部屋を飛び出した。
あぶねぇ。真面目に今のはちょっとヤバかった。
俺は厨房でトーマスと世間話をして少し頭を冷やしながら夕食を二人分トレイに乗せて部屋に戻った。
俺が差し出した夕食をあゆみはまるで飢えたガキのようにがっついて頬張り始めた。
前より肉が付いた気がしてからかっていたが俺の勘違いだったのか?
心配して聞いてみれば単に野菜が食えなかったらしい。
そんなんで森で暮らし始めたらこいつはどうするつもりなんだ?
俺は心配になって必要なら届けてやると約束してしまった。森でこいつが暮らすならやはり俺も早めにここを引き払って森に入ってもいいか。
そんな事を考えているとあゆみが街での事を聞いてきた。
俺はなるべく詳しく貧民が押し寄せて来た状況や、キールのした対応、そして麦の収穫で道具が役に立ったり風車づくりが思いの他大変だったことを話した。
「ああ、だったら森の奥の川に水車小屋作ればもっと楽かも。それならバッカス達でも管理できるね」
そう言って一人で色々考え込んでる。麦の収穫にはちょっと出遅れたがどの道脱穀の仕事はまだまだ当分掛かるだろう。水車小屋が出来れば確かに助かる。バッカス達が街に入らなくて済むのもいい。流石に街の奴らがバッカス達を受け容れるのにはまだまだ時間が必要だ。
そこでふと思い出して俺の見た夢の話をしてやった。すると驚いた事にあゆみも同じような夢を見たという。どうも俺たちは同じ夢を2日にわけて見ていたらしい。
食い終わったあゆみに新しい服があると教えてやればなんか涙ぐんで喜んでいた。こんなでも一応女だもんな。
トレイを片付けに厨房に行って戻ってくるとあゆみが小さないびきをかきながら眠っていた。まあ、仕方ないだろうな。俺はベッドの横に腰かけてあゆみを見下ろした。
やはり森での生活にはそれなりのストレスがあったんだろう。髪も以前にも増して艶が減ってるし、あちこちに擦り傷が増えていた。テリースなら治してやれるだろうな。そう思えば俺に出来る事はまだまだ少ない。自分の考えに少し落ち込んだが、すぐに考え直す。
まあいっか。あゆみも無事だったんだし、狼人族の問題も解決した。これで今日は安心して寝れる。
気づくとあゆみの横に倒れ込んで俺はほぼ一週間ぶりの泥の様な睡眠に落ち込んでいった。




