26 狼人族
「テリース茶を煎れてくれ」
ここはアルディさんの隊長室。
なのに、今注文をいいつけたのはキールさん。
お話し合いが決まった時点で私たちはここ、元キールさんの隊長室に来たのだ。
バッカスに町中を歩かせるわけにもいかないしね。
あのあと、私達は葬儀を先に終わらせた。
元々私のお願いでバッカスが一人だけで出てきていたわけだけど、実は葬儀に参加する為に一族全員後ろで待っていたのだ。
話し合いが決まった時点で私からキールさん達にそれを説明した。
「葬儀にはみんな出たいって言ってるんだけど」
キールさん達は少し複雑な顔で頷いた。
まあね。
ここで殺された人たちは殺した人たちに葬儀に出られてもうれしくないだろうし。
でも結局、こういうことなんだと思う。
ちょっとしたかけ違いで沢山の人が死んだけど、その沢山の人を殺してしまった人たちも別に殺したくて殺したわけじゃなかったし、殺したことを後悔しない訳でもないのだ。
どんなに居心地が悪くても、私はみんなに出てもらって良いと思った。
テリースさんが再度葬送の曲を奏でると、ぞろぞろと森の端から出て来た狼人族の皆さんが丘を埋め尽くした。
みるみるうちに増えるその人数に、実はキールさんの顔が少し引きつっていたのを私は知ってる。
「みんな大人しくね」
私がそう言えばみんな静かに黙祷を捧げ始める。
バッカスも私の隣で黙祷していた。
そう言えばバッカス達、宗教あるのかな?
聞いた事なかったわ。
もう誰も邪魔するものはなく、厳かな葬送の曲が平原に響いた。
葬送の曲が終わりを迎え、テリースさんが葬儀の終わりを宣言すると、狼人族の皆さんは勝手に森に帰っていく。
バッカスだけが残って私達と一緒に城門へと向かった。
城門のみんなは顔を引きつらせて待っていた。
かなり遠くからバッカスが一緒に歩いて来ているのが見えていたらしい。
キールさんが事情を説明して、そのまま人目を避けるようにこっそりと兵舎へ案内された。
「それでどうする?」
キールさんのどこか投げやりで大雑把な質問に、バッカスも疲れた顔で返事をする。
「どうするもなにも、俺らは森に住めればそれでいい。あとはあんたらが森を荒らさなきゃもうどうでもいい」
キールさんにはなんの反論もないようで、「そうか」とだけ答えてぐったりとしている。
何でみんなそんなに疲れてるかなぁ。
そこで思い出したように黒猫君が口を挟んだ。
「バッカス、あんたらなんでこの街の周りに移ってきたんだ?」
「……俺達の住んでたところが住めなくなったからだ」
バッカスがそう言って顔を曇らせた。
「俺達がいたのはここよりもっと北の森だ。もうどれくらい前か誰も知らないくらい前から俺たちの一族はそこに住んでいた。豊かで深い森だった。俺たちはそこで静かに暮らしてたんだ。なのに」
バッカスの目が少し厳しくなってキールさんを睨む。
「あんたの一族が俺達の森の近くで山を切り崩し始めた」
「俺の一族ってのは王族ってことか?」
「そうだ。掘ってる連中がそう言ってた」
「なにを掘ってたんだ?」
「なんか黒っぽい石だった。なんでもよく燃えるんだとさ」
黒猫君が「石炭か……」と小さく呟いた。
「あいつらが掘り続けるうちに切り崩した山の辺りから臭い水が流れ出すようになった。それが川に入ると俺たちの森はどんどん枯れていった」
バッカスが辛そうに話を続けた。
「そのうちあいつら、俺たちの仲間を捕まえだした。山の中を掘るのに力のある奴が必要だって言って。最初に掴まったのが女どもだった。それを助け出そうと沢山の男どもが死んだ。結果一族はバラバラになって南を目指して逃げて来たんだ」
「え、じゃあバッカスの群れが全部じゃないの?」
「いや、まだ他にもいた。もっと西の方に流れたやつらが多かった。俺たちの一族の女子供も少し北の森で待たせている。悪い森じゃないが小さいんだ。ここの森程豊じゃないし」
バッカスの言葉に色々なことが思い出されて、私も頬を緩めて相槌を打つ。
「確かにあの森、結構資源が豊富だよね。甘い木の実とか、甘いフルーツとか甘いお芋とか」
「……あゆみ、気のせいかお前、前より太ってないか?」
「ひっ! な、何てことを!」
決して口に出してはいけないひと言を放った黒猫君を私は力いっぱい睨みつけた。
すかさず優しいテリースさんが間に入ってくれる。
「今のはネロ君がいけませんね。あゆみさんは元々細すぎたんです。もう少し太られてもいいと思いますよ」
「テリース、真実を言ってやるのも親切だぞ」
「黒猫君、あとで覚えておいでよ」
私たちの漫才みたいなやり取りに呆れながら、キールさんが改めてバッカスに向き直った。
「あゆみは放っておいて、森の資源のことだが。お前らこの街の連中が森で薪を集めたり木を伐りに行ったりするのは問題にするか?」
「いや、ちゃんと分かってる奴らがやるなら問題ない。森で迷ったり見境なく切り倒すような奴は止めてくれ」
キールさんが頷いている。
そのままキールさんは今後の防衛とか細かいこと決めたかったみたいだけど、バッカスが全然聞いてないのを見て諦めたみたいだ。
話に飽きたらしいバッカスがそろそろ座ってられなくなってきてる。
そこに黒猫君が水を向けて森の中の狩場について話し合い始めた。
なんかバッカス、やたら黒猫君と仲良くなってるし。
二人で森の奥で狩の計画とか立ててる。
あ、そうか。
この人、放っておくと森に行っちゃうのか。
私も甘い物食べられるし森の生活もいいかも──
「ネロ、あゆみ、お前らまさか台帳整理の仕事ほっぽって森に逃げたりしないよな」
──思いっきりキールさんに釘を刺されてしまった。
「それにネロ、お前は中央の様子が知りたいんだろう?」
キールさんの言葉に、ふと思案顔になった黒猫君が難しい顔で答え始める。
「ああ。だけどバッカスのいた場所の様子もすごく気になる。多分そこで掘り返されてたのは石炭だ。バッカス、切り崩しが始まったのはどれくらい前だ?」
「確か2年ほど前だ。最初は山に穴掘ってるだけだったんだがな」
それを聞いて黒猫君が嫌そうに顔を歪ませた。
「偶然ってことはないよな。キールお前は石炭自体は知ってるのか?」
「聞いたことはある。確か北のほうの奴らが主に使ってた。ナンシーにも使っている奴がいたがこの辺は森が豊かだから薪を使ったほうが効率が良い」
キールさんが振り返ってテリースさんからおかわりのお茶を受け取りながら答えた。
「ってことはまだ石炭からコークスは出来てないのか」
「コークスってのはなんだ?」
「それがなにかに関しては後回しだ。時期からして、北の件には中央の奴が関わってる可能性があると思う。だが、もしそいつがコークスを知らないとすると、まともな蒸気機関はまだ当分完成しないと考えて大丈夫だ」
そこで言葉を切った黒猫君が、真剣な顔で今度はバッカスを見た。
「バッカス、もしよければあんたの刀を見せてもらえないか?」
一瞬躊躇したバッカスが、問いかけるように私を見る。
私は頷いてバッカスに答えた。
「黒猫君なら大丈夫だよ。もうバッカスを傷つけるようなことはしないから、ね?」
「ああ。お前の目を潰しちまったのは悪かった。だがあん時は他にやりようもなかった。許してくれとは言わないがこれ以上あんたと反目する理由はない」
真っすぐに答えた黒猫君を暫く見つめていたバッカスが、ふっと息をついてニヤリと笑った。
「謝られる謂れはねぇ。俺はあんたらを殺そうとした、あんたらは自分の命を守るために俺を殺そうとした。それだけだ。ほらよ」
そう言ってバッカスは刀を柄ごと引き抜いて黒猫君に投げた。
「サンキュ。ああ、やっぱりな」
柄から刀を引き抜いた黒猫君が、バッカスを見ながら口元を緩めた。
「おいバッカス。お前達、製鉄はどうやってる」
バッカスはニヤリと笑いかえして答える。
「そりゃ一族の秘密だ。俺の一族には女子供だってそれを漏らすような奴はいねえ」
それを聞いた黒猫君は、ちょっと考えてからキールさんに向き直った。
「キール、俺は一度バッカス達がいた森に行くべきだと思う」
「それはナンシーや中央に出るより優先すべきことか?」
「ナンシーはともかく中央に出るよりは先に行ったほうがいいだろうな。中央の奴がこいつらの製鉄方法を探り出しちまうのはちょっとマズイ」
それを横で聞いていたバッカスが鋭い視線を黒猫君に向ける。
そんな二人を見比べてキールさんがため息をついた。
「それに関してはあとでもう一度つめ直しだな」
そこでちょっと場が静かになったすきに私も一言付け加える。
「キールさん、ちょっとご相談があるんですけど。農村の収穫ってまだですよね?」
「いや、麦の収穫ならもう始まってるぞ」
「え? 本当に? じゃあ無理かなぁ」
「何だ?」
「いえ、あのですね、バッカス達も農作業だったら出来るかなって思ってたんですけど」
「おいあゆみ、なんで俺達がそんなのやらなきゃならないんだ?」
私の口から自分の名前があがるのを聞いて、慌ててバッカスが私をつついた。
私はバッカスに向き直って説明する。
「あのねバッカス。街には治療院ってのがあってね。そこでは私なんかとは比べものにならない治療が出来るんだよ。ほらこの前の森で足折っちゃった人。結局私は添え木付けてあげるくらいしか出来なかったでしょ? それがテリースさん達に頼めばちゃんと痛みを抑えたり骨を真っ直ぐにくっつけたり出来るの」
最初ムッとしてたバッカスも、私の話を聞いて真剣な顔になる。
「でね、出来ればバッカス達が出来ることと引き換えに治療院を使わせてもらえれば良いなって思ってたんだけど」
ちょっと困っている私に黒猫君がすぐに助け船を出してくれた。
「だったらまだまだ収穫後の仕事があるはずだぞ。まあ貧民街の奴らがある程度は農村に残って作業を続けるとは言っていたが」
そこでキールさんも一緒になって考えてくれる。
「ああ、人手はあるに越したことはないが村の奴らがなんて言うか。治療院の件も、街中に彼らを入れるのはすぐには難しいだろう、いっそテリースを送ってやったほうがいいだろうな」
「いいんですか? バッカス、どう?」
私が勢い込んでバッカスの顔を覗き込むと、バッカスが不機嫌を装いながらも少し綻んだ口元で答えて来た。
「治療が出来る奴が来てくれるってのを断る理由はない。もし引き換えに手伝うことがあるなら引き受けてやっても良い」
「じゃあ細かい内容はあとで決めることにして、取りあえずは合意ってコトだよね?」
喜んでそうまとめた私の言葉を期に、キールさんが立ち上がってバッカスに手を差し出した。
でもバッカスはそのまま不審そうにそれを見返す。
そっか。バッカスに握手は分からないか。
「バッカス、キールさんはバッカスと握手して欲しいんだと思うよ?」
「握手ってなんだ?」
「握手はお互いが対等な立場で合意したのを確かめるためにするものだ」
バッカスはどうやらキールさんの説明が気に入ったらしく、ちょっとばかり嬉しそうに笑って立ち上がった。
「だったら受けよう」
二人がガッシリと握手を交わして、今日のお話し合いは綺麗に終わったかなって思ったんだけど。
そこで突然黒猫君が思い出したようにキールさんに声をかけた。
「キール、俺明日は休むぞ。一度森を見てくる」
途端、目を光らせてキールさんが黒猫君を睨む。
「帰ってくるんだろうな?」
「当たり前だ。俺はな」
一度言葉を切った黒猫君が、その澄んだ瞳を真っすぐに私に向けて問いかける。
「で、あゆみ、お前はどうする?」
「え? 私?」
「元々キールのランド・スチュワードは一人いればいい話だった。俺が人化した今お前が森に残りたいんだったら俺は止めないぞ」
私はこの時、本当に答えたくなかった。
黒猫君はそれでも答えを待ってる。
しばらく考えた末、私は声を絞り出した。
「考えたい」
「そうか」
ぼそりと答えた私に、黒猫君が表情を変えずに返事を返した。
「ほらあゆみ、帰るぞ」
私と黒猫君のやり取りを見ていたバッカスが立ち上がり、私に手を差し出した。
でも私はそのままバッカスを見返してお願いをしてみる。
「バッカス、私今日は一晩こっちの部屋で寝たいんだけどいいかな?」
バッカスは少し複雑な顔で私を見つめ返してきたけど、すぐにふいっと顔を反らした。
「分かった。でも忘れるなよ、お前は俺のペットだからな」
その言葉になぜか黒猫君がぎょっとしてる。
バッカスはなんのかんの言って私のお願いをちゃんと聞いてくれる。
ちょっと安心して私もちゃんとお礼を言う。
「ありがとうねバッカス。明日黒猫君と森に行くからそのときゆっくり話するね」
バッカスは頷いて席を立つ。
キールさんやアルディさん、テリースさんも同様に席を立った。
私も立ち上がろうとすると、ふわっと身体が浮き上がって、見上げればまたも勝手に黒猫君が私を抱き上げていた。
「悪いがあゆみにはちょっと話がある。先に帰るぞ」
言うが早いか私の返事も待たずにとっとと歩きだしてしまった。
「ちょっと待って黒猫君! 私も歩けるから──」
「そんなの待ってる時間が無駄だ。大人しくしてろ」
私がみんなに挨拶しようとするのも無視して信じらんないスピードでどんどん進んでいってしまう。
慌てて黒猫君の肩越しに手を振る私を、みんなが呆れた顔で見送ってくれた。
文句を言いたくても、下手に口を開くと舌を噛みそうで、結局私は一言もしゃべれずにそのまま治療院まで黒猫君に運ばれていった。




