21 貧民交渉2
「おい、落ち着け」
俺の目の前でさっきっから忙しなく室内を歩き回っているキールに顔を顰めてそう言ってやると、キールの奴がうるさそうに手を振る。
「お前こそ、なんでそうやって落ち着いていられるんだ」
「そんなこと言ったって、そうやって歩き回ったって事態はなんも変わんねーだろ」
まあ、俺がなにを言ってもコイツはこのままイライラと動き回っていないと気が済まないのだろう。
放っておくさ。結果は目に見えているんだ。
テリースもいい加減馬鹿らしそうに苦笑いを返し、ソファーで眠るパットの様子を見ながらテーブルの上の資料を片付けていた。
あれから半日が過ぎ去ろうとしている。
門の外の様子に変わりはなく、こちらも同様だ。
まあ、時間があった俺は久し振りに厨房に入っていたが。
人の姿で厨房を使うのは初めてだった。
ちょうどトーマスがピートルとアリームに手伝わせて昼食の準備を始めていたが、まだ大して進んでいなかったのをいいことに俺の仕込みを持ち掛けた。
ついでに他にも手の空いている兵士を引き込んで作業を分担させた。
人手があればこいつは楽に幾らでも作れる。
昨日試作品のテストの帰りに山のように貰ったジャガイモを使う。
買い取り品で浮いてる物の中から玉ねぎも大量に頂いた。差額は後でキールが被るだろう。
バターはこの前のがまだ残ってたし、ミルクは最近厨房用に支給されているらしい。
これだけあれば今日は十分大盤振る舞いになるな。
「ほら手を休めるな」
この手の料理の良いところは、下ごしらえさえしておけば必要なときにガンガン出していけるってとこだ。
折角だから、崩れた塀から幾つか岩を運んできて、前庭に即席の炉を組む。
そこに薪を組んで、一番でかい寸胴にたっぷりの水をグラグラと煮立てて茹で始めた。
「お前やけに手慣れてるな。そんなんだったらいつもその格好であゆみちゃんを助けてやりゃぁ良かったじゃねぇか」
ピートルが不機嫌そうにそう指摘するのを、俺は肩をすくませておざなりにやり過ごす。
こいつらには俺がネロだってことはすぐ分かったらしい。
なんせ、一度夕食時にもこの姿で会っているしな。
ただこれがあゆみの魔法のお陰だってことは知らせていない。
あいつがいない時にそういう話をする気にはなれなかったからだ。
お陰で、要らない指摘を受けることになる。
俺だってずっと思ってたさ。
幾らでも俺が代わりにしてやれたって。
これからもしてやりたいって。
だが、今やっと俺が出来ることが増えたってときに限って、あゆみはここにいない。
また何かに突き刺されたように胸が傷んだ。
「おい、答えを持ってきたぞ!」
昼を少し過ぎた頃。
ダーレンが数人の男たちと共に館の扉を叩いた。
彼らを連れて、同じテーブルに腰を下ろす。
早速話しはじめようとするダーレンを押しとどめて、俺が先に口を開く。
「待て。まずは飯だ。外にいる連中だって昨日からなんも食ってないんだろ。こんなんで話し合いなんて始められるか」
俺がそう言うか言わないかの内に、ピートル達が昼の準備を始めた。
ソースの入ったどでかい鍋と、幾つものでかい皿に山と積まれたニョッキ。それをもう一つ出してきたテーブルの上に置いて端から茹で始める。それを見たダーレンたちは声こそ出さなかったが目がそちらに釘付けになった。
「俺達はここで食うがあとの連中はそっちに並べ。一列でな」
俺の言葉に門を警備していた兵士が困った顔になった。
「もう構いません。通してあげてください」
アルディの一言で警備をしていた兵士たちもホッとした顔で門の前からバリケードを外した。
代わりに、食べ物への列を作るのを手伝ってくれる気らしい。
それを見た外の連中は、ひそひそと話しあってはいるが誰も立ち上がろうとしない。
まあ、仕方ないか。
取り合えずテーブルに着いた人間の分だけ先に配ることにする。
器は軍の炊き出しに使っていた物をアルディが持ってきてくれていた。
「頂きます」
そう言って俺が最初に手を付けた。
すぐにキールとテリースも手を付ける。
それを見ていたダーレンが、もう我慢できないと言った面持ちで自分の皿に手を付けた。
最初に口を開いたのはキールだった。
「おい、ネロ。こんなに麦を使っちまって大丈夫なのか?」
やっぱり言われたか。
「安心しろ、麦は大して入ってない。ほとんどがあんたらが嫌うジャガイモだ」
「はぁ?! これのどこがジャガイモなんだ?」
「ジャガイモを茹でて潰して粉と混ぜたのさ。あんたらが毛嫌いしてるだけで、ジャガイモだって旨い食い方はあるんだ」
俺の言葉を信じられないという顔で見返してから、キールが再度ニョッキをつつき始めた。
時間も金もない俺らのニョッキは、ほぼジャガイモってほど粉は少な目。
ジャガイモを先に茹でてから捏ねることで、粉少な目で済ませてしまう。
ソースなんて言ったって、バターで良く炒めた玉ねぎをミルクで煮込んで塩を加えただけの物だ。
本当ならばにんにくがあれば良かったのだが、どうもこの地方、にんにくは出回っていないらしい。
これを食べる直前に絡めるだけ。
それでもこれは十分に食べでがある。
元が芋だから少量でも腹に溜まるんだ。
キールが文句をつけてる間も、ダーレンは一人黙々と皿の中身を食っていた。
あっという間に終わらしたかと思うと、バッと顔を上げる。
「旨かった。すげーうまかった!」
はっきりと大きな声でダーレンがそう叫んだ途端、外に座り込んでいた子供たちがワァッ一斉に立ち上がって列を作った。
テーブルについていた残りの面々も勢い込んで自分の皿に食いつく。
それにつられるように、外で座り込んでいた残りの大人たちも徐々に列に並び始めた。
その様子を見て、今度はダーレンが心配そうに尋ねてくる。
「……お代わりはもらえるのか?」
コイツには皿に山盛り入れてやったはずだ。俺は呆れて答えてやる。
「お前ここに何しに来たんだよ。交渉が終わってまだ残ってたらよそってやるよ」
俺の答えにつまらなそうに鼻を鳴らしたダーレンがぼそりと答えた。
「結論から伝える。350だ」
「は?」
それで充分とでも言うかのように言葉を切ったダーレンに、俺とキールが意味が分からないと見返すと、ダーレンがイライラとしながら答えを続けた。
「農村に行ける人数だよ。貧民街には他にも仕事を休めない者と病等で動けない者が約150程いる。俺達の食うぶんを少し減らしてもあいつ等にも食い物を回してやって欲しい」
俺とキールは顔を見合わせた。
お互い勝手に顔が笑い始めるのを止められない。
鏡を見ているように、自分の顔も微笑みに歪んでいくのが分かった。
「ウォホンッ!」
ダーレンの咳払いで、キールがハッと気づいて慌ててダーレンに返事を返す。
そう、交渉は続いているのだ。
「分かった。何とかしよう」
それを片目を上げて確認してから小さく頷いたダーレンが言葉を続けた。
「それから弔いだが……遺体の引取はまだ難しいか?」
これはキールと俺も既に話し合っていた。
狼人族との交渉が決裂した以上、門の外は以前にも増して危険だ。
キールがすまなそうに言葉を返す。
「ああ。場所が場所だ。交渉が終わるまではゆっくり遺体を持ち帰ってくる余裕はない。その代わり、収穫が済み次第俺達が必ずあの場所でちゃんと弔うことを誓おう」
「分かった。任せよう」
俺たちの答えはどうやらダーレンの予想の範囲内だったようで、小さく頷いて了承した。
そこでダーレンがパンと手を打って立ち上がった。
「よし。じゃあ、今日の昼ごはんと台帳の礼に良い物を引き渡してやる」
ダーレンがクイっと顎をしゃくると、門の外で待っていた数人の男たちが俺達の前に進み出てくる。
よく見れば彼らは後ろ手に縛られ、頭から袋を被せられた男を引き連れて来た。
ダーレンの横まで連れてこられ、無理やり跪かされた男の頭にかかっていた袋をダーレンがバッと引き剥がす。
「タッカー!」
「何故こいつがこんなところに!」
俺とキールの怒声が重なった。
それを見てニヤリと笑ったダーレンが、得意そうな顔で説明を始めた。
「娼館に隠れていやがったのを引っ張り出してきた。ダンカンもいたんだがアイツ、流石に腕っ節が立って俺達じゃ取り押さえられなかった。俺達の目の前で東門から外に逃げていきやがった」
「待て東門から外へだと?」
キールが驚いて繰り返す。
「何かおかしいのか?」
俺の質問にキールが不審そうな顔でこちらを振り返る。
「東門には今見張りがいない。あそこは去年の暮れに閉じたはずなんだ」
キールの言葉に、だけどダーレンがフンっと鼻で笑った。
「俺もそう聞いてたんだが、行ってみれば門は開いてたし人も通ってた。門兵は誰もいなかったがな」
「そんな馬鹿な。あそこだって歩哨が回ってるだろ」
キールは確認するようにアルディを見る。アルディはちょっと肩をすくめてキールに答えた。
「ええ、確かに歩哨をやってますが、閉じたはずの門をわざわざ確認する兵は少ないでしょう。もしも歩哨が回るときだけ閉めているとしたら見つからない可能性は大です」
キールがそれを聞いて唸り声を上げている。
俺達が話している間も、タッカーは無言だった。
まるで無関心と言うように無表情で、静かに俺たちの話を聞いていた。
そんなタッカーの前にキールが歩み寄り、タッカーを見下ろしながら話し始めた。
「タッカー。もう分かっているだろうがお前の肩書はとっくに失効している。にも関わらず俺たちが全く意図していない偽りの情報で貧民街の人間を扇動した罪は明白だ。無論あゆみやパットをかどわかした件も追及する。詳しくは兵舎に戻ってから詮議するがこれだけ証拠があるんだ、極刑は免れないだろう」
キールの言葉にも顔色一つ変えずにタッカーはどこか遠くを見つめていた。
「これでもう直接お前と話す機会はないだろう。これだけ俺たちを引きずり回したんだ。最後に何か言いたいことはあるか?」
キールの問いかけに、タッカーがはじめて顔をあげた。そしてその目に微かな意志をたたえてキールと俺の顔を見返し、そして淡々とした声で話し始めた。
「全く。自分の運の悪さに嘆かずにはいられませんよ」
そう言って、まるで友達にでも話しかけるように小さく微笑む。
「時勢と言うものにはかないませんね。何せこんなお子様の集団の施政一つ覆せなかったのですから。こちらがどんなに計画を練っても、全てあと一歩のところで上手くいかない。坊ちゃん皇太子の馬鹿な勢いに私の立てた計画は全てふっ飛ばされてしまいました」
タッカーの言葉にカッとしたアルディが目をむいて飛び掛かろうとするのを、すんでで止めて俺が言い返す。
「タッカー、お前、どうしてお前の計画が全く思い通りにならなかったか、全然分かってないだろう」
俺の言葉にタッカーがムッとしてこちらを睨む。
「お前みたいに、頭の中だけで人を駒みたいに使おうってやつのところに人は集まらないんだよ」
俺も冷たい目でにらみ返してはっきりと言ってやった。
「お前だって貧民街の出なんだろ?」
俺の問いかけに、答えこそしないが否定もしない。
だがパットの話でこいつが面接の時にやたら台帳のことを気にしていたのを思い出していた。
だからそのまま言葉を続ける。
「本気でお前が貧民の味方に付いてたら、俺達だってきっともっと苦労しただろうさ。なんせお前の言った通り、俺たちは貧民街の有志の連中を守ってやれなかったし、彼らの日々の食い物を考えてやる余裕もなかったんだからな」
そう言って、俺はいま正に食い物の列に並んでいる男たちを見やった。
「だがお前はこいつ等を見下して自分の目的に利用することしか考えてなかっただろう」
その言葉にタッカーの顔が少しだけ歪んだ。それを見逃さず、俺はキールを振り返って続けた。
「分かるか? この『キーロン殿下』には自分の立場なんて関係ないんだよ。見りゃわかるだろ、コイツはいつだってこの街の奴らと同じ場所に立って一緒に考えてるんだ。あんたとは根本が違うんだよ」
返す言葉が見つからなかったのか、タッカーはしばらく無言でキールを見つめていた。
だがフッと嫌な笑みを口の端にかかげ、再度静かな声で話し始めた。
「本当に残念ですね。そんなキーロン殿下でも片足のない娘一人救えなかったのですから」
ドクンと心臓が跳ね上がった。
誰のことを指しているのかは明白だった。
全員、その場で凍り付く。
そんな俺達を満足そうに見回して、タッカーが楽しげに続けた。
「実は私にはまだ一匹、あの狼人族に潜ませている犬がいるんですよ。その犬の情報ではあの娘、散々な目に合っていたようですよ。まあ片足がないのですから慰み者にするにも楽でしょうしね」
後ろでパットがヒッと小さな悲鳴を上げるのが聞こえる。
横からはキールの燃え上がるような殺気が漂い始めた。
俺は俺で、自分の顔が人殺しのような形相に変わっていくのが自分でも分かる。
そこで思い出した、とでも言うようにタッカーが付け加える。
「ああ、でも食料としては片足分足りなかったと文句言ってましたが」
──── ガタッガクッガシャーン!
響き渡った騒音に周りにいた貧民街の奴らが一斉にこっちを見た。
俺は今殴ったばかりの右手を左手でさすりながら、地面に転がったタッカーを見下ろす。
アルディとキールが呆れた顔でこちらを見ていたが、俺がまた飛び掛かろうとするのを見て二人掛で俺を押さえつけた。
俺がもがきながらも二人に取り押さえられたのを見たタッカーが、血の滲む唇の端を引き上げ吐き出すように言った。
「今私を殺さないと後悔しますよ。もうすぐ連邦の皆さまが到着されます。ダンカンが彼らを従えてこちらに向かっているでしょう。彼らが来ればきっとあなた方は私を殺すわけにはいかなくなるでしょうから」
それを聞いた俺がまたも飛び掛かろうとするのをキールが押さえつけ、タッカーを兵舎にある牢獄へ連れて行くようにアルディに指示を出した。
「何故止めたんだ?」
後先見えなくなっていた俺は半分キールに体当たりするようにして拘束を引きはがした。
アルディとタッカーが充分離れたのを見て取ったキールは、俺から両手を放して距離をとる。
「今のお前は力加減が出来ないだろう。そんなんで殴り続けたら取れる情報も取れなくなる」
キールの言っている言葉の意味を、理解はしていたがまだ怒りが身体の中を駆け巡っていてどうにもならない。
あふれ出る怒りに任せてテーブルを叩こうとした俺の手を、すんでの所でキールが掴む。
「お前、人型になった途端かなり凶暴になったな。そっちが地か?」
キールの少し馬鹿にしたような目に、またカッと頭に血がのぼる。
「うるさい、この手を放せ!」
そんな俺を軽々と片手で押さえながらキールがテリースを呼ぶ。
「おいテリースこいつを落ち着かせろ」
後ろから伸びたテリースの手が俺の肩にかけられた途端、身体の中で燃え上がっていた熱の塊がザッと音を立てて冷めていった。
あったはずの確かな怒りの渦が、綺麗さっぱり押し流されて虚ろな気分だけがあとに残る。
それは今まで感じたことのなかった、何とも気持ちの悪い経験だった。
途端、今までの自分の行動が恥ずかしくなって、キールの腕を振り払って俯いた。
「まあ、あれは俺も一発入れたかったがな」
そんな俺のすぐ横で、キールがぼそりと呟いた。
それを聞いて、やっと俺も自分の中に残っていた怒りの残骸を心から締め出すことが出来た。
「すまねぇ。俺、時々こうなるんだ。自分でも分かっちゃいるが押さえが効かない」
情けない面を見られないように俯いて呟いた俺を、片目でチラリと一瞥したキールがこちらも向かずに答える。
「ま、男なら多かれ少なかれそんなこともあるさ。気にするな、俺達にはテリースがいる。こいつがいつでも強制終了してくれるさ」
「……あれは本当に気持ちが悪い。もう二度とされないためにも今後は自分で怒りをコントロールできるようになりたいもんだ」
やっと俺が落ち着いたことを確認したキールは、気持ちを改めるように一息ついて再度ダーレンを振り返った。
「悪いがダーレン、もう時間がない。明日には農場に向かうが出来るか?」
夏の長い日も既にかなり暮れてきていた。
前庭を見回せば、そこに残った貧民街の連中からは先ほどまでの悲壮な顔は姿を消し、それぞれ腹が満ちたときの幸せそうな顔でそこら中に好きなように散らばっていた。
それを見回したダーレンが頷きながら答える。
「大丈夫だ。こいつ等にはもう伝えてある」
「じゃあ集まる人数を4つの農村へ割り振ってくれ。いつも貧民街で農村へ向かう連中を集めていた広場に先導する者を迎えに行かせる」
「分かった。それじゃあ明日からよろしくな」
ダーレンはそう言いおいて、その場に残った連中を片っ端から引き連れて門を抜けて帰っていった。
「……やっと帰ったぞ」
ダーレンの姿が見えなくなった途端、キールが崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。
全く平気そうな面で今まで交渉をこなしていたキールも、内実はかなり緊張していたらしい。
俺も同様にその隣に座り込んだ。
「あのな。悪いがまだ終わりじゃないぞ。ネロ、これはお前が言い出したんだからな。この惨状を見ろ」
疲れ切って椅子に倒れ込んでいた俺の後ろから、ピートルの容赦ない声が掛けられた。
言われるままに見渡せば、前庭一面に軍から借り受けた器が点在していた。
「これ、俺たちが片付けるの……か?」
俺は力なくその場に突っ伏した。




