20 あゆみの日2
「だめ! 肩まで入って体中磨くの!」
私の叫び声が湖の湖面を走った。
「もういいだろう! ちゃんと洗ったぞ!」
「何言ってんの、今入ったばっかりでしょ。爪たてて地肌を擦るようにして少しは洗いなさい!」
全く。
犬はそれ程風呂嫌いじゃないはずだぞ?
これは狼の特性なんだろうか?
私に木の枝でビシバシと指示を出されながら、バッカスが水の中で身体を動かしている。
私はと言えば、そのすぐ横で今日着替えた服をバシャバシャ洗っている。
洗うって言っても石鹸もないのだから、水の中に浸けて足で押さえながら杖で何度も叩くだけ。
暫く杖でバシバシと叩き続けながら見ていれば、何とか全身を掻きむしって水を通したらしいバッカスが「もう十分だ!」って言って水から飛び出していった。
まあ、仕方ないか。さっきよりは絶対ましだと思う。だってバッカスが入ってた辺り、抜けた毛となんか虫の死骸らしきものが浮かびまくってるもん。
やっぱり水浴びさせて良かった。
やっと洗濯が終わったな、なんて思いながら振り向いた私は、見てはいけないものを見てしまった。
「待ってバッカス! まさかその同じ下ばき履くんじゃないよね?」
「ああ? それがどうした?」
「絶対ダメ! 着替え持ってこなかったの!?」
「着替えってなんだ?」
うわ、着替えると言う概念自体がなかったよ。
「……バッカス、その下ばきを今すぐ私に頂戴」
「な、女のくせに何言ってやがる」
「馬鹿なこと言ってないでそれをとっととこっちによこして! 今すぐ洗うから」
「…………」
バッカスは仕方なさそうにまたあっちを向いて下ばきを脱いでこっちに放ってよこした。
それを水に沈めてまた足で踏む。
途端、また抜け毛と虫の死骸が浮いてきた。
うわ、きちゃない。
先に自分の服を水から引き揚げておいてよかった。
数回叩いて、ちょっと横にずれて、また踏んで叩いて横にずれて。
そうしないとなんか水が汚い気がする。
杖を突きながらだから結構難しいんだけど、それでもこのままにしておくわけにはいかない。
「おい、あんまり遠くに行くなよ」
「うわ!」
案の定、杖が滑ってバランスを崩した私は水にドッポンっと……落ちなかった。
「だから言っただろう」
水に倒れ込む寸前でバッカスが駆け寄って狼の体勢で私の下敷きになってくれていた。
「あ、ありがとう、マジで今のは危なかったわ」
「いいから早く体勢を整えろよ」
言われて慌てて杖を突きなおして立ち上がる。
「……よく考えたらお前、片足ないのによくそんなことしようなんて思うよな」
「だって、足ないんだもん、しょうがないじゃん」
私はバッカスの下着が流れて行っちゃってないのを確認して拾い上げる。
まあ、もう十分きれいみたいだね。
私はそれも思いっきり絞ってふと考える。
「……バッカス、ちょっとお願いがあるんだけど」
「なんだ?」
「よく考えたら私、多分、上がれないや」
「……お前馬鹿だろ」
だって入るときはいつも通り階段を下りるみたいに腰かけて降りられたんだけど、水から上がるには岸を上まで這いずり上がらなきゃいけない。
だけど湖の淵は結構高さがあって、傾斜がついてる。
滑って降りたのはいいが、自力で登るのは無理そうだった。
情けなくて涙が出そうだ。
バッカスじゃないけど、これは私かなり間抜けだ。
「ちょっと待ってろ」
途方に暮れる私の横で、バッカスが突然身体をバキバキ言わせながら変形を始めた。
変形は違うのかな? とにかく本物の狼みたいになってくる。
日本で本物の狼なんて見たことないから分からないけど、バッカスの背は立ち上がれば私の肩の辺りまで上がってきていた。
「バッカス、あんた狼のときのほうが体大きいんじゃないの?」
驚く私を、なんだか偉そうにそっくり返ってバッカスが見下ろす。
「当たり前だ。俺は族長だぞ」
「あんたお風呂入りなおし」
「はぁあ!?」
「身体が大きくなったって事は洗えてないところがあるはずでしょ!」
私は文句を言うバッカスに湖のもっと深い所まで行って水を浴びさせた。
渋々再度水浴びを終えたバッカスは、私を咥えてポンっと背中に乗せ、軽々と湖の淵を駆け上がる。
「ありがとうバッカス。今服を乾かすからちょっと待って」
私がお礼を言うと、バッカスが驚いたようにこちらを見ながら直ぐに俯いた。
可愛いもんだと思いながら服を木の枝に掛ける。
今こそ私の魔法の出番だ!
火魔法で炎を手のひらに出して、服を下から温めはじめた。
「お、お前魔法が使えるのか?!」
「うん、使えるんだよぉ。凄いでしょ!」
今まで兵士さん達にも驚いてくれる人がいたけど、バッカスの驚き方は本当に素直で、まるで小学生が新しいおもちゃとかテレビのヒーローに目を輝かせるような感じがしてつい自慢してしまった。
「ああ、そいつは凄い。俺たち狼人族には魔術が使える奴はいないんだ」
ありゃ。
どうやらここでは私の魔術により希少価値があるらしい。
バッカスはしげしげと私の手のひらを見ながら質問してくる。
「それ、自分は熱くないのか?」
「うん、熱くないんだよ、不思議だよね」
「なんでお前が不思議がるんだ」
「ああ、私魔法が使えるようになったのつい最近だから」
バッカスが「そんな事ってあるのか?」とブツブツ言いながらも私の手の上の炎に指をかざして熱を試してる。
「ちゃんと熱いからこの炎。そんなことしてると火傷するよ」
折角注意したのにバッカスはやっぱり指を火に入れて「あつっ!」って言って飛び跳ねた。
やっぱバッカスの頭は小学生並みかも。
「直ぐに湖につけて冷やしておいでよ」
火傷した指を舐めているバッカスに私がそう言うと、バッカスが不思議そうな顔でこちらを見て問いかけて来る。
「何でだ?」
「何でって指火傷していたんでしょ? 火傷は直ぐに冷たい水に浸けとかなくちゃ」
半信半疑って顔でバッカスがこっちを見返す。
ああ、どうやらこの子たち、こんな常識もないらしい。
「いいから水に浸けてくる。今すぐ!」
私はそう言い渡して服を乾かすのに集中した。
枝の上で服を裏返しながら、全体に火であぶって乾かしている。
5分もせずにバッカスが帰ってきた。
「おい、これもお前の魔法か? 火傷が痛くないぞ?」
え? もう?
普通十五分くらいはかかると思ったんだけど。
バッカスが差し出した指を見ると、毛が生えていない皮膚の部分は確かに水膨れにもならずに他の皮膚と変わらない色になっていた。
「本当に火傷したのここ?」
「ああ」
「おっかしいな、なんでこんな短時間で跡形もなく消えちゃったんだろう」
「ああ、それは多分俺の唾液の成分のお陰だ。俺たちは痛みを抑えたりは出来ないが、舐めて置けば大抵の傷は治っちまう」
うわ、それはまた便利な。
私は中断していた服の乾燥に戻ろうとしてふと気がついた。
「ねえ、バッカス。もしかしてあなたのその目もそうやって舐めて直したの?」
「もちろんだ。部族の奴が数人で治るまで舐めてくれた」
「…………」
まあ、それがこの人たちの治療法なのだろうから文句言ってもしょうがないよね。
「それでも直ったんだったらそれでいいのかな」
「ああ、俺は熱に浮かされて一週間程意識がなかったから分からないが、こっちの目は結局中が腐って直せなかったそうだ」
ちょっと待った!
それやっぱり化膿しちゃったってことじゃないの??!!
「……次からはせめて口を濯いでからやったほうがいいわよ」
うん、どうもこの人たち、もう少し衛生観念を植え付けたほうがいいみたいだ。




