8 街
「あと少しだ、このまま走るぞ」
そう言った青髪の男性の言葉通り、彼は本当にそこから三十分ほど走りっぱなしだった。
無論、他の兵士さんたちも同様だ。
その横を黒猫君が飄々と走ってくる。
なんか黒猫君が一番元気そう。
青髪の男性の他にはあと3人、あの暗闇の戦闘を一緒に切り抜けた。その3人が代わるがわるテリースさんを抱えて走る。
青髪の男性は他の人と交代することなく、ずっと私を抱えたまま走り続けた。
朝日が昇り、辺りがゆっくりと色を取り戻した頃、青髪の男性が街と呼んでいた場所が見えてきた。
草原から見えるそれは、大きな城門のある長い壁の連なりだった。
兵士が城門の周りで見張りをしていたようで、私たちが到着する頃には門が開かれて数人の兵士が外で待ち受けていた。
「テリースがやられた。すぐに他の救護師を呼べ」
そう叫びながら、青髪の男性が私を抱えたまま門を走り抜けていく。
そのまま門の横の石の階段を上って、石作りの兵舎らしき場所に入った。
「狼人族の急襲にあった。東の砦が落ちた。手の空いているものは全て外壁の警備に回れ!」
私のすぐ上で声を張りあげるので正直耳が痛い。
それに気づくこともなく、青髪の男性は私を抱えたまま兵士たちが集っている部屋を数か所回って同じ内容を繰り返す。
その後やっと私を見下ろして「あ、悪い、忘れていた」と呟き、踵を返してもう一つ上の階へと階段をかけ上がった。
そこは下の階とは違って静かだった。
階段の踊り場から伸びる長い廊下は狭く、それに面していくつもの部屋の扉が続いてた。
そのうちの一部屋で立ち止まり、足で器用に扉を開く。
そのまま中に入って、置かれていたベッドに私を降ろした。
「すまない、今君の相手はしていられない。後で説明するからここで大人しくしていてくれ」
それだけ言って出て行ってしまう。
青髪の彼のドタドタとうるさい足音が遠ざかっていくと、突然周りに静けさが戻った。
「はぁぁぁ」
大きなため息が肺の底から漏れ出した。
ひどい夜だった。
今更身体のあちこちが痛み出した。それで思い出す。
そっか。
テリースさんが気絶して、痛覚隔離の魔術が消えたんだ。
それにしては足の痛みは思ったほどひどくはなかった。
砦でリハビリしながら過ごしていた間に回復が進んでいたらしい。
「また助かっちゃった」
ポロリと本音がこぼれた。
電車の事故のときも襲撃のときも、沢山周りで人が死んだと思う。
なのに、今回も私は生き残ってしまった。
ちょっとの罪悪感と沢山の安堵。
それが私の正直な内心だった。
「ミァーオ」
私の気を引くように伸ばされた長く響く鳴き声で、黒猫君が一緒に部屋に入り込んでいるのに気づいた。
「黒猫君、君、私の命の恩人だね」
「ミァーオ」
もう一声長く鳴きながら、横目でこちらを睨んでヒョイっとベッドに飛び乗った。
すぐにその身体を引き寄せて頭を撫でる。
「ありがとう、黒猫君。いっぱい感謝してます」
そう言ってお礼にじっくりと耳の後ろや首の付け根をカキカキしてあげる。
最初だけ不機嫌そうに眼を細めてから、静かにゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
なんか戦闘を終えて凱旋してきた勇者様みたい。
「悪いねぇ、美女のもてなしとかじゃなくて。でも君もこのカリカリ好きみたいだしこれでいいかな?」
まるで私の言葉が分かってるかのように、チラリと横目で私を睨んでからすぐにまた目を閉じる。
どうやら私の毛づくろいは満足いただけているようだ。
そこでふと思い出した。
「そう言えば、あの時森で他にも誰か叫んでた気がするんだけど」
ピクリと黒猫君の耳が立った。
「ん? 黒猫君も聞いたの? あれ誰だったのか知ってる?」
「…………」
黒猫君は「聞こえない」とでも言うように耳を伏せた。
「うーん、凄く乱暴だったけど、あの声の人も私を助けてくれたんだよね。誰か分かればお礼くらい言いたいんだけどな」
なんとなく黒猫君に話しかけつつ部屋を見回す。
そう言えば、今私はベッドの上に座っている。
ベッドだ!
床に敷いた布じゃない。
ちょっと固めだけど、岩肌に比べれば充分弾力があって気持ちいい。
「ベッド久しぶりだぁー」
私は黒猫君を抱えたまま、後ろにごろんと転がった。
やっぱりベッドはあったんだ、この世界。良かった~。
見回せばこの部屋には窓もある。
室内は片面が石積みで残りの壁は木で出来ていた。
壁紙は張ってないけど、一応白く塗られてる。床も全部板張りだ。
部屋にはベッドの他にも大きな扉の付いた戸棚が一つ。
窓際に椅子が一つ。
残念ながらベッドに座ったままの私からは手が届かない位置にあるので、今椅子まで行くのは無理そうだ。
「足がないって本当に不便だね」
椅子を横目に見ながらため息ついて、寝転んだまま抱えた黒猫君の頭をポンポンと軽く叩く。
すると、「ミャ!」っと鳴いた黒猫君に、肉球の手で顔面パンチされた。
なんか怒られたっぽい。
「私、なんか怒らすこと言ったかな?」
そう言って胸のところまで引き上げ顔を覗き込むと、黒猫君の金色の目がジッとこちらを見つめ返してくる。
「体があるだけましだろ」
突然、部屋に男性の声が響いた。
「へ?」
左右を見回して声の主を探す。
が、やっぱり自分しかいない。
この声、森の中で聞いた──
「ここだ」
ポスっと肉球の手が私の顔をもう一度叩いた。
「ここだと言っただろう」
そう、その声は間違いなく開かれた黒猫君の小さな口から流れ出していた。