19 あゆみの日1
『黒猫君、お元気ですか?
私は元気に毎日家事をこなしてます。
片足が使えなくても家事がこなせることは、黒猫君のお陰でしっかり身に付きました。
お陰さまで、洗濯も調理もその他もろもろの雑事も、時間さえかければ全部やれてます。
洗濯物は大してありません。
大抵の狼人族は大して服を着ていないからです。
良いところ下ばきくらい?
それも滅多に着替えません……。これについてはただ今交渉中。
食事も基本皆さんは生肉がお好きなので、私がするのは付け合わせを作るくらいです。
パンは食べないそうで、付け合わせと言っても肉を外した後の骨で作るスープくらいです。
私はご飯かパンが食べたい……。
仕方ないので黒猫君が作っていた芋の団子に近いものを作って食べてます。
野菜も食べないと身体に悪いって言ってるのに、この人たちは食べてくれません。
仕方ないので私の分だけはキノコやキイチゴなどのフルーツを取ってきてもらっています。
夜は……聞かないでください。
って、別に変なことはしてませんよ。
単に毛づくろいを嫌って程させられるだけで。
どうも私のゴールデンフィンガーは狼人族にも有効だったようです。
皆さん今では私の指の虜になっています。
毎日部屋の前に列ができて。
甘いフルーツの貢物をちゃんと取り立てられるまでになりました。
多分私、ここでも何とか元気に生きて行けそうです。
ですからどうぞ、あゆみのことは忘れてお元気でお過ごしください……』っなんて訳あるか!
私は自分の中でブツブツとお手紙など呟きながらノミを潰していた。
今日もこのめんどくさい毛づくろいの時間が始まったからだ。
一人ひとり部屋に入ってきては一人に付き10分づつ毛づくろいをさせられている。
最初はあの狼男──バッカスの毛づくろいだけだったのだが、それを見た他の狼人族たちが全員でバッカスに反旗を翻した。
『あゆみの毛づくろい』を共有しないならもうあんたの下にはつかないって。
どうやらバッカスはなんのかんので人のいい狼男だったらしい。
結局折れて私の毛づくろいを順番制にした。
最初、私を自分のペットにするなどと言っていたバッカスだけど、あれ多分あんま意味わかってなかったんだと思う。
あの日部屋に戻ってくるなり、私のことなんてすっかり無視してガリガリと頭の後ろを掻きながら寝床に向かった。
「……ひっつき虫が付いてるよ?」
「はぁ?」
「ひっつき虫。ほら」
よく家の犬が付けて来たのによく似た緑の毛の生えた植物の種だ。
不思議と犬の毛の中に入り込んで自分では取れないらしい。
それが絡まって毛を引っ張るとかゆくなるみたいで、家の子も良く私にとってくれと寄ってきた。
「ちょっとまって、まさかそんなの山ほどくっつけたまま寝る気じゃないよね?」
私の見守る前でバッカスは以前私が転がっていたシーツの山の上に寝そべろうとしているところだった。
「んあ? こんなもん掻いてりゃそのうち落ちる」
「落ちないって。それ絡まるように出来てるんだから」
仕方ないので毛の中に手を入れてはくっつき虫を外していく。
「……一体何やったらこんなに身体中にくっつくの?」
「……多分一週間くらい前に林の中で匍匐前進した時だな」
何のために、とは聞きたくなかった。
話している間も毛づくろいを続ける。
バッカスはおとなしく寝床の前に座ってされるままになった。
いい機会なのでさっき言えなかったことをはっきりと断言しておく。
「言っとくけど、私あんたのペットなんてお断りですから。この服は前の服がどうしようもなく汚れちゃったから借りてるだけだからね」
私に首の後ろのひっつき虫を取り除いてもらいながらそれでもこの狼男はぶすっとした声で返してきた。
「関係ねぇ。それを着たからにはお前は俺のペットだ」
「あなたペットペットって一体私に何をさせるつもり?」
「……毛づくろいはもう間違いなくお前の仕事な」
その言葉にちょっと吹き出しそうになった。
気に入ったのか、これが。
「後は夜の……」
「何か変なことするって言うならもう毛づくろいはおしまい」
「…………」
あ、黙った。
犬だもんね。
じゃなかった狼だもんね。
毛づくろいの重要度はかなり高いらしい。
「大体、人間なんかじゃなくてちゃんと自分と同じ種族の女性を探せばいいじゃない」
私は至極当然のことを言ってみる。
「女の扱い方なんて分かんねぇ」
何ともぶっきらぼうでいて拗ねた子供のような返事が返ってきた。
ん? ちょっと待った。
「ねえ、あんた何歳?」
「あんたは止めろ、バッカスだ。これでも族長なんだぞ、少しは敬え」
「本人が言うか。で何歳?」
「今年10歳だ」
「…………」
これは犬年齢で考えるべき?
それとも人間?
「……バッカスたちの成人は何歳?」
「10歳だ」
「で寿命は?」
「大体40くらいだな。なんでそんなことを聞くんだ?」
やっぱり。
これは子供って言うか成人したて、てことでいいんだろうか?
人間で言えば多分20歳になったばかり。
私より年下ってことで良いだろうな。
「じゃあ私のほうがお姉さん、ってことでいいんだね」
「はあ?」
「だってバッカスの喋り方、どう考えても子供っぽいし」
「ひでぇな。これでも一族を率いる族長なんだぞ」
「……もっと年上の人がしないの?」
「族長は一番力のある者がなるんだ。いまここの部族で一番強いのは俺だ」
まあ、野生に生きる種族なんだからそれで正しいのかな。
私はなんとなく納得する。
「じゃあ、やっぱりちゃんとしたお嫁さんもらったほうがいいよ。私は毛づくろいはしてあげるけどそれ以外は嫌だよ。変なことするって言うなら毛づくろいどころかその辺で首吊ってやるから」
「はあ? なんでそんなことで死のうとするんだ?」
「そんなことってことはないでしょ。好きでもない相手とそういうことするのが好きな女性なんていないから」
「そんなものなのか」と素直に納得している辺り、中々可愛らしい。
うん、これは上手くすれば何とかやっていけそうだ。
黒猫君と乗り越えた色々のお陰で、多分私はかなり度胸がついたんだと思う。
あの時死んだほうがましって言ってしまったほど、死んでやろうなんてもう思っていない。
したたかに生き残ってやる。
生きてさえいれば何とかなるよね。
「そう言えば私の今まで着てた服を洗いたいんだけど、どこか洗い場とかある?っていう前に、ここってあの街の砦だったんじゃなかったっけ?」
「ああ、この前の戦いで俺たちが勝ち取った。今は俺達のねぐらだ」
そう言いながらベッドの上で角度を変えて別の場所に付いていたひっつき虫も差し出してくる。
「ちょっと待って、バッカス、あんたノミが付いてる!」
私は跳ねたノミを爪でつまんで潰す。
どうりでかゆそうなわけだ。
よく見れば毛並みもかなり汚い。
「……バッカス、最後にお風呂入ったのいつ?」
「風呂? 風呂ってなんだ?」
「!!!」
うわばっちい。
この犬ども、じゃなかった狼ども、風呂入ってないんだ!
「バッカス、今すぐお風呂!」
「はぁ?」
「お風呂! 水場でもいいから。水浴びなきゃダメ!」
「何でお前にそんなこと言われなきゃ……」
「浴びないともう毛づくろいしてあげないから。そんな汚い毛並みじゃいくら毛づくろいしても意味ないから!」
「…………」
肩越しに振り返ったバッカスは、ちょっと悔しそうな目で私を見つめてくる。
「……ちょっと奥に澄んだ湖がある。大して大きくはないが十分だろう」
「丁度いいから私も連れて行って。前の服も洗いたいし」
「ああ、あれな。もう捨てたらどうだ?」
「そんな勿体ないこと絶対しないから。あ、あとなんか毛を梳くものはないの?」
「すくってなんだ?」
「……もういい。それは今は手でやるから。アリームさんでも居ればすぐに作ってもらえたのに」
今更言ってもしょうがない。
私はバッカスのお尻を蹴って湖へと向かった。




