14 制止
しばらくして剣戟は収まり、キールとテリースが駆け寄ってきてパットの治療を始めてくれた。その頃には、タッカー達に捨て置かれた狼男の死体と共に、累々と雑魚どもの死体が辺りに転がっていた。あれだけ兵士が守ろうとしていたにも関わらず、息のある者は見当たらない。
残った二匹の狼人族がバッカスの後を追うように逃げ去った頃には、バッカスの姿は既に平原を抜けて彼方の森へと消えていた。
パットの治療をキールとテリースに任せた俺は、立ち上がって平原の先に広がる森を見やる。
あゆみはあそこだ。
そしてあそこにはあの狼人族がいる。
いくら今のこの身体が猫の特徴のお陰で以前より強くなったとはいえ、さっきのバッカスのような狼人族に囲まれちまったら敵うはずもない。
行くべきじゃない。今までのすべての経験がやめろと訴えてくる。
なのに。
畜生、ここであいつを見捨てられるかよ。
本能と経験と知識、すべてに抗って俺は駆けだそうとした。
そんな俺の腕をキールが馬鹿力で押さえつける。
「やめろネロ! もう手遅れだ!」
「うるさい、あんたらだけでも先に戻ってろ」
キールの腕を振り払い、いざ駆け出そうとしてカクンっとその場に倒れ込んだ。
「んな!?」
まるで酔っぱらったように足が立たない。
「駄目だネロ、そんな自殺行為を許すわけには行かない。あゆみは…もう……」
そう言いながら近づいてくるキールの顔が少しずつ暗くなって。
世界は暗転した。
* * * * *
「……どうやら起きたようですよ」
どこか近くからテリースの柔らかい声が聞こえた。
「効いてるのか?」
「そのはずです」
何が? という疑問は暫くして自然と分かった。
やけに気持ちが凪いでいる。多分テリースの魔法の効果なのだろう。
「ネロ君、申し訳ないけど落ち着いて話が出来るように魔法を先に掛けさせてもらいました」
やっぱり。
「悪いがお前自身の保身の為だ。お前はカッとすると後先考えずに飛び出していきそうだからな」
キールの言葉にカッとしはしたものの、こいつの言葉があながち間違ってないのは俺自身が一番よく分かっていた。でもいくら心が凪いでたからって、あゆみを助けられなかった苦しみが減るわけじゃない。
「それであんたはなにか案があって俺を止めたのか? それともくだらない友情ごっこか?」
自分が必要以上に意地の悪い聞き方をしてる自覚はあった。それが自分の後悔の裏返しであることも分かってた。分かってたが、止められなかった。
「そういきり立つな。あゆみを助けたかったのは俺達だって同様だ」
キールはそんな俺の返事を聞き流し、溜息をつきながら諭すように言う。
「あの草原で狼人族に追いつける奴はいない。そしてあいつらが森に入ったらお前は群れで襲われていただろう。策もなくただがむしゃらに追いかけてどうなるもんでもなかった」
そんな事は分かっていた。分かっちゃいたが納得できなかった。理屈になんて従えなかった。
黙り込んだ俺に畳み掛けるように続けるキールは、だが俺と同じくらい苛立っているのが目に見えた。
「あいつ等と交渉をするべきだと言ったのはお前だ。一時期の怒りで判断を曇らせるな」
その通りだった。こうなってもまだ交渉をしたいのかと言われれば複雑なものがあるが。
ただ狼人族への怒りは……驚くほど治まってしまっていた。
「……あいつは生きていると思うか?」
「……分からない。今まであいつらが人をさらった事はなかったからな」
キールがため息と共に答えた。俺は暫く迷った末に思っていることを口に出す。
「俺はあいつが生きていると思う」
ボツリと零した俺の言葉にキールが片眉を上げた。
「根拠は?」
「……あいつが死ぬ気がしない」
「はぁ?」
キールの反応はもっともだ。だから俺は今自分が感じている事をなんとか伝えようと言葉を探した。
「あいつは、なんのかんので俺よりも肝が据わってる。しかもなんというか……あいつは人をたらし込むのが上手い。よっぽど狼人族の根性が悪くない限り、あゆみを殺すのはかなり難しいと思う」
口に出して説明しようとすると、何故かすごく曖昧に聞こえてしまう。だけど俺の中でこれはやけに確信を持って感じている事だった。あいつは絶対に生きている。
「……それ本気で言ってるのか?」
キールにはやっぱり伝わらなかったようだ。俺の正気の方が疑われてる。
俺ははぁ~っとため息を突いてキールを見返す。
「分かってくれとは言わない。だがこれから方針を決めるなら、頼むからあゆみが生きている事を前提にして欲しい」
「……分かった」
俺の理屈を理解出来なくても、俺がいかに真剣に伝えようとしているかを察してくれたらしいキールは、結局最後には頷いてくれた。それを見て俺は拳を握り、意を決して言葉を続ける。
「そんで、残念ながらこの狼人族にだけかまけてられないんだ」
そう言って俺は宙を見やる。
言いたくない。言いたくないが言わなければならない。
「麦の刈り入れの時期が近付いている」
俺は自分で自分の言葉に吐き気がした。
あゆみの命と麦の収穫を天秤になんて掛けたくない。
掛けたくないのに。
麦が出来ちまう。止めようのない時間の流れがそこにある。
そして麦の刈り入れが間に合わないとどうなるかを、残念ながら俺は知っている。知ってしまっているんだ。
「……出来りゃ俺だって今すぐ自分の手であゆみを救い出す方法を探したいが……農村の奴等が待っている」
一言一言絞り出すようにして話した。
「あそこのじいさんになんとかしてやるって言っちまった。新しい道具も作っちまった。これでここで俺が手を引くのは余りに無責任だ」
俺が始めちまったことに、既に沢山の奴等が乗っかって俺を信じて待っている。それを放り出す訳にはいかない。
俺は自分に言い聞かせるように言葉を続けた。
「だからあゆみのことはあんたに任す。俺を止めたのはあんただ、キール。だからあんたがなんとかしてくれ」
俺の言葉を聞いたキールは目を見開き、そして……口を引き結んだ。
「俺は……俺が出来ることをする。麦の収穫を時間内に限られた人数で終わらせる、これが俺が今しなきゃならないことだ。戦闘や交渉はあんたのほうが長けている。あんたが仕切ったほうが上手くいく可能性が高い」
理屈では分かっていて、正しいはずだと思うのに、言っているそばから後悔が広がった。
俺の絞り出した言葉に、同じようにキールが絞り出すようにして答えた。
「ああ、分かった。俺に任せろ」
一番欲しかった答えをキールから引き出したにも関わらず、俺はまるで大きな石でも呑み込んだような気分で頷いた。




