13 砦
────ピシャン……
────ピシャン……
どこかで水音がする。洗面所の蛇口を締め忘れたっけ?
────ピシャン……
嫌だな、まだ眠いのに。誰か止めてくれないかな。
────ピシャン……
「おい、起きたみたいだそ」
ん……聞き覚えのない声。
「族長を呼んで来い」
「族長よりも俺たちで味見しておいたほうがいいんじゃないのか?」
「馬鹿、族長に殺されたいのか? あの人怒らせたら冗談にならねーぞ。チッ。仕方ねぇ。俺が担いで行ってくる」
ぞくちょうって……?
やっと意識が浮上し始めて、声が聞き取れてきた時には私は誰かに担ぎ上げられてた。
「ぐぇ!」
肩に担ぎあげる時、みぞおちに肩となんか硬い物が一緒に入って息が詰まった。
一気に目が覚める。
「え? ここって……」
毛深い肩のわきから見える景色はどこか見覚えがあった。
当たり前だ。
多分ここ、あの岩の砦だ。
目の前の肩に焦点が合ってぎょっとする。
それは間違いなく、毛皮だった。
首を捩って上を見上げれば、そこには大きな耳が二つとフサフサの毛皮に覆われた後ろ頭が見える。
そしてなによりも。
さっき私のみぞおちに突き刺さった、真っ黒な鎧。そしてバサバサと揺れる尾。
狼人族!
ど、どうして??!!
焦って体を捩って逃げようとする私を、担ぎあげてた狼男がうるさ気に担ぎなおす。
「暴れるな。落ちるだろう。いっそ何回かその辺の岩にぶつけて静かにするか?」
聞こえてきたとんでもなく荒っぽい言葉に、私は震えあがって動きを止めた。
そのまましばら運ばれていくと、少し広い空間に出る。
「族長、起きましたぜ」
嫌な予感はしてたんだけど、案の定、荷物みたいに肩からおろしてそのまま床に転がされた。
「がっ!」
本やテレビに出てくる場面と大きく違うのは、岩の床は冗談抜きでめちゃくちゃ硬くて、目から火花が飛ぶほど痛かったって事。
打ちつけた肩と腰は、間違いなく青アザになると思う!
「ああ、起きたか。お前らしばらくここは立ち入り禁止だ」
そう言って、誰かが偉そうに私を運んできた狼男を追い返した。
「ほら、いつまでも転がってないで立ってみろ」
声とともに背中を爪先で蹴られた。
仕方なく、まだ痛む身体を摩りながら上体を起こす。
振り返って見上げれば……そこにはガタイのいい、大きな狼男が立ってた。
特に目に付くのはこの狼男の片目が開かないって事。
隻眼ってやつ?
もう一方はしっかりギラギラと輝いていて、そちらだけで充分怖い。
「ああ、足がねーから立てねえか」
転がっている私のすぐ横に片膝を突いて、狼男が私を見下ろしてきた。
「やっぱりお前だったか」
私の右足を確認しながらニンマリと笑う。
あれ、なんか聞き覚えがある声のような気がしてきた。
いやーな予感しかしない。
「覚えてるか、この傷。あんたが俺を刺したやつ」
そう言ってバサッと片側の鎧を外し、鎖骨の直ぐ上あたりの傷を指し示した。
そこだけ確かに毛皮が薄くて、引きつったみたいな傷跡が下に見えてる。
うわ、やっぱりそうか。
胃が競り上がって恐怖が体を支配した。
これ、この人、私が刺しちゃった人だ。
焦る私をせせら笑うように、唇の端を吊り上げて狼男が続けた。
「忘れてもらっちゃ困るんだがな。なんせ今でも疼くんだから。今まで獲物にここまでされたのはあんたが初めてだ」
そう言って私の首に手を掛ける。
毛むくじゃらのその手には肉球なんてなくて、普通に人の手みたいになってた。
短いながらも獣の爪の生えた指が、私の喉に少し食い込む。
「あんときの啖呵と言い、気に入った。やっぱり俺のペットにしてやるよ」
「そんなのいりません!」
首を掴まれているにも関わらず、反射的に答えてしまった。答えてからぞっとする。
今、この狼男が、このまま怒りに任せて手に力を籠めれば、私は難なく括り殺されてしまうのだろう。
「そう言わず受けときな。それで取りあえずは生き残れるぜ。俺のペットならここでは誰も手を出さねーからな。だがここで俺も手を引けば、あんたはあの部屋の狼ども全員の餌食だ。色んな意味であんたをとことんまで味わうだろうよ」
「さ、サイテー!」
「サイテー結構。人間の女に尊敬してほしいなんてこれっぽっちも思ってねえからな。お前らだって犬コロに尊敬されたいなんて思わねえだろう」
首根っこ掴まれたままの情けない状態ながら、最初の啖呵を思わず切っちゃったお陰で、そしてそれでも殺されなかったことで、私は自信を持って言い返すだけの勇気を得ていた。
でもこの狼男、どう考えても私をごみ芥のようにしか見てない。
大体、自分もイヌ科のくせに犬を凄く蔑んだ言い方するのが頭にくる。
「……尊敬されたいとは別に思わないけど、信頼されたいとは思うわよ」
「ほう、たかが犬にか?」
「犬を馬鹿にしないほうがいいですよ。狼は見たことないから、……なかったから知らないけどね、犬はちゃんとご主人様を選ぶもの。そういう意味では尊敬もされてないと主人にはなれないかもね」
うん、少なくとも家の子は賢かった。滅多に帰って来ない父でも母でもなく、私を自分の主人と決めて懐いてた。
「お前らはそうやって犬を奴隷のように従えるわけだ」
こっちは真剣に答えてるって言うのに、この大きな狼男は、まるで「お前の汚点を見つけたぞ」とばかりに目元を歪ませ、蔑むように返す。
いい加減、この狼男の態度にキレそうになりながら、私はつい声を荒げてしまった。
「はぁ? 犬も猫も、家で飼ってた子達は私の奴隷なんかじゃないわよ! みんな私の大切な家族だったんだから」
「はぁ?」
さっきまでのギラついた目をしばたかせながら、素で狼男が変な声を上げた。
全く。
「当たり前でしょ。だってどの子にもちゃんと個性があって、可愛くて、可愛くてかわいくて。私の愛情に素直に愛情返してくれる存在をどうして子分だとか奴隷だとか思えるのよ」
私は今自分の首を掴んでいるその狼男をギッとねめつけながら先を続けた。
「大体そうやって人間だ、犬だっていうあんたこそ、イヌ科のくせに犬を見下す差別主義者じゃないの」
私の言葉が頭に染み渡るのに暫くかかったようだ。
呆然としたまま無言で黙ってる。
どうやら犬より脳の処理速度が遅いらしい。
「……やっぱ、あんたは俺のペット決定。そこにある服に着替えとけ。それで他の奴には襲われなくなる」
やっと言い放たれた言葉は、どう考えても私の話を聞いてたようには思えなくて、イライラが我慢の限界で爆発しそうになった。
だけど、叫んでやろうかと迷っている間に、私をそのまま置き去りにして出て行ってしまった。
さっきの狼男のせいで、消化しきれなかったイライラが胃の辺りにわだかまる。
ちくしょー、次は絶対最後まで文句言ってやる!
そう思いつつ、もさっき狼男が指さしてた着替えとやらに目をやった。
次に自分の服装に目を移す。
私が眠らされている間に、一体何があってどんな扱いをされて今、ここにこうしているのか分からないけど、着てる軍の支給品の上下は泥と血で汚れまくってた。
ふと、さっき担ぎ上げられた時、お腹に刺さったのがなんだったのか気になって服を捲ってみると。
あれ? 杖が身体に巻きついてる!
もちろん、あってくれたほうがありがたいんだけど、一体いつどうやってここに巻き付いたんだ?
思い返しても覚えがない。
確か私、お茶を飲んですぐ眠っちゃったハズなのに、なんでこんなことになってるんだろう。
しかも、ここなんか見覚えのある部屋だと思ったら、ずっと私が使ってた部屋じゃないか!
はぁ~、巡り巡ってまたここに戻ってくるなんて……。
狼男が置いていった服は一応人間用に作られてたし、今着ている服はあまりにも汚れすぎた。
私は肩を落として、仕方なく着替え始めた。




