閑話:黒猫のぼやき5
熱に浮かされたような夢を抜け出してみれば、また猫に戻されていた。
猫に戻ったこと自体は思ったほどショックじゃなかった。多分、既に俺の中のどこかがこの猫の身体を受け入れてるんだろう。
だが、まだ朝日の昇らない部屋に一人でいると、どうしようもない侘しさが刺さるように襲ってきた。
もう猫なんだから問題ないな。
俺は飛び上がってドアを開き、あゆみの部屋に入る。ベッドに上ってあゆみを覗き込めば、眉根を寄せて少しうなされていた。
あの時の夢でも見てるのか。
ちょっと心配になって肉球の手であゆみの頬を撫でてやる。しばらくそうしてるうちに、寝息が静まって眉の間のしわも徐々に緩んでいった。
まあ、夢にも見るよな。あんな経験。
テリースの魔法のお陰で、多分それも最低限で済んだのかもしれないが、普通にトラウマになってたっておかしくない。
良く考えればこいつの両親はどうしてるんだ?
こいつも家族のことはまるっきり話さない。
俺の両親は二人とももうこの世にいねーし、俺がこんなことになっても嘆く奴はいねーだろう。
まあ、サバイバル教室のあのジジイくらいか?
最近じゃ滅多に日本に帰って来ないし、あのジジイにしたって、まさか俺がこんな所に飛ばされてるとは思わねーだろうし。
それは多分、一緒に旅してたやつらも同様だ。
いつの間にか誰かが連絡付かなくなるのはよくあることだった。
時にはどこかに落ち着いて新しい生活が大切になって。
時には働き始めてこんな旅の生活を思い出に追いやって。
時には死んじまって。
なぜ連絡が付かなくなったのか分かる奴のほうが少ない。俺も同様に扱われるだけだろう。
だがあゆみの場合、普通に大学に通ってたんだ。家族も友人も探してるのかもしれない。
この前あゆみにはもう戻れねーだろうって言ったが、出来ればこいつだけでも戻れる方法を探したほうがいいかもしれない。
あゆみの頭の横で丸くなって考える。
なんにしても情報は中央に集まってるみたいだ。食糧問題をある程度片付けたら、台帳の仕事やキールの手伝いはなるべく他の奴に任せよう。
なるべく早く狼人族の問題を解決して、キールを連れて中央に行きたい。キールの立場は絶対役に立つだろう……
そのままウトウトとしながらあゆみの横で考えをまとめて朝まで過ごした。
また猫に戻った俺への反応は人それぞれだった。
あゆみは……どうも喜んでいるらしい。もう俺の厳つい顔を見なくて済むんだから当たり前か。
キールの落胆は俺を新たな人戦力と見込んでた結果だから無視する。
テリースは複雑な心境が顔に出ている。
パットは。
こいつ、俺が人間の体に戻れて喜んでたのをきっちり感づいてやがったな。本当に察しの良い奴だ。
狼人族の対応について、俺は余り積極的に動きたくねえ。
あゆみも俺も命を狙われたのは確かだが、いい悪いはともかく、俺たちは軍と一緒に行動してた。その状態で襲われたのを恨んでも仕方ねえだろう。
まあ、なんとかこの問題を片付けないと中央に向かえない訳だが、だからと言って俺の持っている知識を全てキールに提供する言い訳にはならない。
大体、俺は政治家でも戦略家でもない。
こんな問題を俺やあゆみがどうこうしようとすること自体間違ってるんだ。
だから俺はキール次第では俺の知識の一部を開示して、あいつの方針の一部として考えてもらいたいと思っている。
今日は狼人族の情報をテリースから聞き出して、交渉を始める目途が付いたんだからかなりの進展だ。
あゆみと一緒にピートルとアリームの工房を覗きに行った。
アフリカで日本人のボランティアチームに聞いてた『千歯扱』と『唐箕』を模した物は、あゆみが書いた設計図を元に、ほぼ記憶にあった通りに再現されてた。幾つかの改良を頼み次回は農村で実験する事にした。
俺があの頃聞いた話が正しければ、この二つだけでもかなり農村の負担を減らすことが出来るはずだ。
他の農村もカバーするとなると、出来たらテリースの他にもう3人、風魔法の出来る奴を探してもらいたい……
そんな事を考えている間にあゆみがとんでもない物を見つけ出した。あれは間違いなく初期の蒸気機関だ。現在、蒸留技術でさえこの地域の特化した技術だって言うなら、蒸気機関なんてまだまだ自然な歴史の流れで出てくるはずがない。
もう間違いなく中央に誰かいる。
しかもあまりいい方向に向かおうとしてる気がしない。少なく見積もって2年、下手すると5年もここにいて、農業革命の方法や金利の是正もしてないような奴が手を出す蒸気機関開発にいい結末が待っているとは思えない。
そんな心配を抱えてキール達と話し合っていたのに。
あゆみのアホ。
俺がキールになんとか蒸気機関の危険性を理解させようと必死になっているその正に真横で、全くなんの脈絡もなく、考えもなく、手元にあった物だけで蒸気タービンのおもちゃを作ってた。
理由は手持無沙汰だったから。
いい加減にしてくれ!
ピートルやアリームが作ろうとしてた蒸気機関はある意味まだましだ。なんせ鉄の改良が始まらないと完成しねえだろうし。よっぽど誰かが入れ知恵でもしない限り、製鉄の精度なんてそんなに一気に向上するはずもない。
にもかかわらず、このアホは一番手っ取り早い蒸気の利用方法をこいつらの前で見せちまった。まだ風車すらなかったらしいこの世界にだ。
いっそ風車の原理はちゃんと説明してしまおう。多分それで当分こいつらは満足するはずだ。
それにしてもあゆみには要注意だ。こいつ、変な知識が俺とは違う意味であるらしい。一応大学に行ってたんだ、そりゃそうだろう。
そして午後も遅くなって。
俺たちはもう一度あゆみの固有魔法を試すことにした。キールが持ち掛けた時のあゆみの顔を思い出すと凹む。よっぽど俺の人間の姿が嫌だったらしい。朝からやけに機嫌が良さそうだったのも多分俺が猫だからこそだよな。
それでも。
悪いが俺は人間に戻りたい。出来るなら。
あゆみには悪いと思ったがキールの言葉通り試してもらうことにした。
あゆみの手から流れ込む魔力が、まるで身体の血管や筋肉に空気を流し込んで膨らませるみたいに俺の身体を肥大させる。
その過程は激しい痛みと苦痛を伴った。今まではゆっくり成長してきたお陰で痛みを感じないで済んでたんだろう。
それを押して続けたのに、前回人間に戻る直前の俺くらい大きくなったとこから、まるっきり成長しなくなった。痛みは続くのに身体が変化しない。
そりゃそうか。猫が大きな猫になるのと、人間になるんじゃそりゃ大きな差があって当たり前だ。
流石にきつくて痛みに身体を捩ってると、あゆみが涙目になってもう嫌だと言い出した。
痛いのは俺なのに、なんでこいつが泣いてるんだ……
それを見た途端、俺の気持ちがしぼんだ。諦めが広がって力が抜ける。
俺は分かったとだけ返してその場を去った。
執務室に戻って。
机に乗った。
手を見る。
多分後少しだった。だけど。多分あいつは望んでいないんだろう。
この手が人の手になれば色々してやれることもあるんだけどな。
ため息が零れた。
しばらくして部屋に戻ってきたあゆみは、……挙動不審だった。
多分、俺を人間にできなかったことを悔やんでるんだろう。
気にするなと……少し心にもない慰めを言った。
と、あゆみがおかしなことを言い出した。
あいつが俺を避けていたのは、別に俺の顔が怖くてじゃなかったらしい。
じゃあなんでなんだと聞き返しても、なんのかんのはぐらかしてはっきりした答えが返って来ない。
果てには顔色が赤黒くなってくる。
どう見ても変だ。この前も確か固有魔法を使った後に同じ症状が出てた。
念のためテリースに見てもらうように言ってやれば、流石に今回はテリースの所にすっとんでった。
部屋に戻ってきてからもグダグダ言っていたので、無視してベッドに入ってあゆみの謝罪はもう聞こえないふりをした。
俺は別にこいつに謝られたいわけじゃない。
グダグダ言っていた割に直ぐに寝ついたあゆみを見てため息が出る。
なんのかんの言って、こっちに来て一か月近く経つ。その間、全てをこいつと二人で切り抜けてきたんだ。こいつが猫の俺といるほうが楽だって言うんなら、もうそれでいいんじゃねえか。
それに、別にこいつは俺が強いから必要としてる訳じゃない。この手が人間の物なら、俺にはもっと色々出来るのだとしても、こいつはそんなこと関係なく一緒に居たいって言ってるんだ。
そう考えれば、猫でいるのはもしかすると悪くないのかもしれない。
そう自分に言い聞かせて俺は眠りについた。
* * * * *
……なあ、神様よ。俺そんなに酷いことばっかしてたか?
やっとこのまま猫でもいいかって思ったとたん、また人間に戻すとかアリか?
しかもベッドでマッパで下着姿の女横にいるとかもうどんな罰ゲームだよ?
あ、この世界の神様ってあの初代王らしいんだっけか。
……ゼッテーいつか〆る!




