6 蒸気機関
お茶のカップが全員に行き渡ると黒猫君が改めて話を始めた。
「今日ピートルとアリームの所でとんでもない物作ってるのを見て来た」
「ああ、『蒸気機関』か?」
「知ってたのか?」
驚く黒猫君にキールさんがこともなげに告げる。
「ナンシーで工房のやつらが持て余しているのを見て俺があいつらに話を持ってきたんだ」
黒猫君が一瞬目に微かな警戒を浮かべた。
「キール、あんたはあれがどういう物か知っているのか?」
「いや? あれは中央から注文が来たと言ってたな。なんでもナンシーではあんなでかいタンクを作る技術がないって鍛冶屋の連中が酒場で愚痴ってたから、だったらウィスキー作ってるこっちのほうがいいだろうと思って持ってきたんだ。ま、出来りゃ儲けもんてもんさ」
キールさんの余りにも投げ出すような答えに、少しほっとしたように黒猫君が続けた。
「あれは……多分俺たちがいた『あっち』からの技術だ」
黒猫君の言葉に途端キールさんが片眉を上げた。
「確証はあるのか?」
「さっきピートルの作ってる鉄製品も見てみたが、ここの現在の技術レベルで出てくるはずがない発想なんだ」
「…………」
黒猫君の答えにキールさんが黙り込む。
「アイツらには適当にごまかして帰ってきたがやめさせておいたほうがいい。今の状態でどんなにがんばっても失敗しかしない。下手したら前回よりひどいケガをするだけだ」
「ネロはあれを完成させるのに必要な知識を持っているのか?」
キールさんの無表情の問いかけに黒猫君が慎重に答える。
「多少は知ってる。だけど再現しろって言われても俺一人じゃ絶対無理だ」
キールさんがまた難しい顔でしばらく考え込んでから、ゆっくりと話し始めた。
「……あの注文は約2年前に王都で発行されたらしい。それが各地を回ってここに到達するのに1年半かかってる」
黒猫君はそれが意味することを理解したみたいで、厳しい顔でキールさんに答える。
「だとしたら……少なくとも2年前の時点で王都の中央政府に俺たちと同じような『あっち』側の人間がいたって事だな」
あ、そうか。そうだよね。私の考えていた問題と全く違う方向で黒猫君は心配してたわけだ。
「そういうことになるな」
キールさんが少し躊躇ってから黒猫君に尋ねる。
「だが、そいつが蒸気機関を作らせようとしたことはそんなにマズいのか?」
この質問に黒猫君が机の上でイライラと私の前を行ったり来たりし始めた。
「一概に言い切れないがいい予感がしない。蒸気機関ってのは莫大な金が動くんだ。出来上がれば今までのここの生活が全部変わっちまう。それがいい方向に行けばいいが、その保証は全くない。事実俺たちがいた世界でもそれを機に現代化が進み、沢山の戦争も起きたし環境破壊も激化した。それでも、せめてそれが自然発生したのなら自分たちで後悔するなり学ぶなり出来るかもしれないが、それを中央の奴らが突然手にしたら何を始めるか分かったもんじゃない」
黒猫君の言葉を咀嚼するようにしばらく考え込んでたキールさんが、ふぅっと小さなため息を吐いて黒猫君に向き直る。
「悪いが、どうにも想像がつかない。あんなガラクタ一つで世界が変わるのか?」
余計イライラと黒猫君が足踏みを始めた。
「ああ。例えばな。いまあんたらのその武具だが、一個作るのに年単位の時間がかかるだろう?」
「ああ、もちろんだ」
「だが蒸気機関を上手に使えば大量の鉄を手に出来る。鉄が鉄を産むんだ。大量の鉄を使えば型に流し込む形で安く早く武具が作れるようになってくる」
キールさんの顔が引き締まった。
「しかも蒸気機関を作る上で発達する新しい技術で作られる鉄は今までの鉄に比べて格段に強力になる。また同じ鉄を使って他にもいろいろな武具が開発出来る」
聞いているうちに私の方が青くなってくる。そっか、今の鉄の技術じゃきっと鉄砲とかも危ないんだ。
なんて考えつつ。話を聞いている間中、私は暇だった。でもって手持無沙汰だった。
わら半紙を細く丸めて2本の太さの違う長い棒を作る。
もう一枚で風車を作る。
風車の真ん中に細い棒を通して……。
風車の前と後ろでちょっと折り目を入れて止めてやって。
その細い棒を太い棒の中に通して……出来た!
「おい、あゆみ、お前何やってる?」
人の話を全然聞いていない私に気づき、黒猫君が私を振り返った。
それは私はまさにさっきのヤカンに手をかざし、熱し終えて丁度お湯が沸いて湯気が出てきた所だった。その湯気にかざされた風車がクルクルと回転し始める。
「回った、回った!」
まあ、紙製だからすぐ駄目になっちゃうけど。
「お~ま~え~は~っ!」
「へ?」
「今まさに俺が、それがどんだけ危ないか話してる横でなに簡単に実践して見せてるんだっ!!!」
黒猫君に怒られた。そんでもって見回せばみんなして口をあんぐり開けてるし。
「今のは? え?」
おもちゃを作って遊んでたら黒猫君に怒鳴られた。
なんで怒ってるのか訳が分からない私を、一瞬で見限った黒猫君が真顔でキールさん達に向き直った。
「お前らは見なかったことにしろ」
キールさんがあきれ顔で私を見つめる。
「おい、ネロ、今の俺たちの技術ではどうたらこうたら言ってたのはなんだったんだ?」
「いえ、これはおもちゃですよ?」
私の反論はだけど首を振る黒猫君に否定される。
「お前は! 発想の問題なんだよこれは! 発想が出来ちまったら作れるんだよ馬鹿じゃなけりゃ」
黒猫君の言葉を是呈するようにキールさんが頷いている。
「出来るな。ただ、これだと鉄にこだわる理由が分からないが」
「鉄だとより大きな力に耐えられると言う事でしょうか?」
「別にだったら木でも十分簡単な作業には使えるな」
「あ~~~~もう! 考えるな。発展させるな」
……もう無理だと思うけど。
「ここには風車とかなかったんですか?」
「……なんだそれは」
あ。黒猫君が固まった。すぐに力なく肩を落とす。
「キール待て。せめて麦の収穫が済んでからこの辺は話し合おう。この前農村で見かけたがここはまだ石臼を動物に引かせて粉にしてるだろう。あれをもう少し効率化する方法は教えるよ。今あゆみが見せたのに近い原理だ。だから今の所はその辺にしとけ。さっきも言ったが追及すると決して便利なだけじゃない技術に行きつくんだ」
黒猫君が改めてキールさんに振り返って言葉を足した。
「いいだろう。俺だって別にこの国を背負っているわけでもなんでもない。この辺りの生活が楽になるならそれで充分だ」
フッと気安く笑ったキールさんに黒猫君が少しほっとした顔で頷いた。
「それで話を戻すが」
そう言いながら黒猫君が何気なく私の風車を足でクシャリと踏みつけた。
ひどい~、折角作ったのに!!!
「前倒しで狼人族との交渉を始めよう。明日の朝、テリースを借りて農村で作ってもらった道具のテストをしてくるから、そのあとにでも交渉を開始したい。どうだ?」
「なんでそんなに焦ってるんだ?」
またイライラと黒猫君が机の上を行ったり来たり始めた。
「俺の感覚では蒸気機関なんてものを最初っから作ろうってやつが中央にいるのが凄くヤバい気がするんだ。早い所行って様子を見てきたほうがいい。最悪どっかに逃げる事も考えたいしな」
「それは中央から争いが始まるかもしれないという事か?」
「そんなもんで済めばいいが。足のないあゆみと猫の俺が生き残るには情報が命だ」
やっぱりちょっと考え込んでたキールさんが了解したと頷いた。兵士を一人出してアルディさんを呼びにいかせる。
「キーロン殿下、あまり多くの兵を出さないほうがいいと思います。決闘を重んじる彼らの印象を悪くするでしょうから」
「分かった。キールとネロは来てもらうぞ」
「私は?」
私の質問に全員がこちらに顔を向ける。
「あゆみさんは申し訳ありませんがここでお待ちください。貴方に刺された狼人族も来るかもしれませんし」
テリースさんがちょっと困った顔で返事をしてくれた。
あ、そうだった。危ない危ない。
「分かりました。では一人で台帳仕事でも始めています」
「ああ、頼まれていたわら半紙も手の空いた兵士が作ってたから明日には出来上がっているだろう」
決闘の詳細はアルディさんが来てからキールさんが相談するとの事でお話し合いは一旦おしまいになった。




