14 『黒猫君』
「あゆみ、お前さっきから俺のこと避けてないか?」
家具の移動が終わって部屋に戻ってきた元・黒猫君が開口一番そうのたまった。
「え、そ、そうかな? そんなことないと思うけど」
そう言いつつも、視線を合わせられない。
私の前まで来た黒猫君がはぁーっと重いため息をついて私の目の前の椅子に座った。
「俺、やっぱ猫の方が良かったみたいだな」
ぼそりと呟いた黒猫君を見れば、なんとも複雑そうな顔をしている。
そんな顔をされても……
ちょっと申し訳なくなって気を許した私が馬鹿だった。
「まあ、そんなこと言ったって今更だがな。もう悪いが慣れてもらうしかないっ!!」
「ギャッ!!!」
それまでのしょげたような態度をバッと脱ぎ捨て、元・黒猫君が猫の敏捷さでサッとこっちに手を伸ばした。そのまま片手でガッと私の頭を鷲掴みにする。黒猫君の大きな手でしっかりと頭を固定されてしまった私は、視線を外そうにも横も向けないし逃げられない。逃げ場を断たれ、一気に挙動不審に陥った私を鋭い目つきで睨みつけながら黒猫君が続けた。
「それであゆみ。お前は今後俺をなんて呼ぶ気だ?」
「く、『黒猫君』?」
確か一回だけ名前を聞いた気もするんだけどもう思い出せない。
一応まだ耳と尻尾もついてるし、今更呼び方を変えるのは難しい。
私の答えを聞いた黒猫君が、またもはぁーっとため息をついた。だけど直ぐに視線を私に戻し、こちらをじっと見つめながら先を続けた。
「いいだろう。その代わりしっかり黒猫の時と同じように対応しろよ。返事は?」
そんな強引なっとは思うけど、逃げ場のない状態で答えを要求されて私は仕方なく目で頷く。
それを見て黒猫君も宜しいと目で頷き返す。
「それからな。ありがとよ」
そこで突然、それまでのしかめっ面がスッと優しい顔になってお礼を言われてしまった。
「文句ばっか言ってて悪かった。正直、人間の体に戻れたのはかなり嬉しい」
そ、それは反則だぁ!!!
今更素直にお礼なんか言われたって、私はなんて返せばいいのさ!
しっかり目を見つめられてそんなことを言われては、照れくさくてどうにもならない。
赤くなってくる顔をなんとかごまかそうと返事を返す。
「に、人間にご昇格おめでとうございます」
「……昇格とは違うだろ」
「じゃ進化?」
「これは……進化なのか? ああ、そうかもしれないな。獣人のそれが成長なら確かに……」
私の思い付きで放った言葉を吟味し始めた黒猫君が、やっと私の頭を掴んでた手を放してくれた。
とは言え、今のやり取りだけですっかりライフを削られた。まだクラクラする頭を振って息を整える。
思い出してください。
中身はともかく、黒猫君の容姿は私にとって初めてのど真ん中もろ好みなのだ。
もうすっかりきっちり死んじゃって、多分腐って風化しちゃって跡形もなくなっちゃったハズ。そう諦めて、思考の端っこで消え去っていた問題が今更戻ってきた。
うん、忘れよう。
この問題にはどうやってもいい答えが見つかる気がしない。
仕方ない。なんとか黒猫君の言う通り、この顔に早く慣れて普通に対応するしかないだろう。
「ああ、そうだ。わら半紙だがどうやら頼めばこっちの好きな大きさで作ってもらえるらしいぞ」
ふと思い出したように黒猫君がこちらを振り向いた。
ブワッと赤面してしまった私は悪くない。
「……お前熱でも出てるのか? さっきから顔がやたら赤いぞ」
……ああ。黒猫君が鈍感で本当に良かった。
「なんでもない。多分さっきの魔術のせいじゃないかな?」
「もう結構時間たっただろう」とブツブツ言ってるけど放っておこう。
私は無難に違う話題に話を持っていく。
「それでそのわら半紙は今から頼むとどれくらい時間がかかるんだろう?」
「やっぱり乾かす手順が発達してないみたいで3日くらいはかかるらしい」
私はちょっと手持ちぶたさになって台帳に手を伸ばす。
「あ、そう言えばここに来てからほとんど雨が降ってなくない?」
「ああ、それは今が乾季だかららしいぞ。麦の取入れを急ぐのも、これが過ぎると雨季に入って麦が取れなくなっちまうからだ」
これは3年前の物みたいだ。2年前の台帳と一度比べてみたい。
「雨季って言うと梅雨みたいなのかな?」
「多分違うだろう。ここの気候はイギリスや中部ヨーロッパに近い。まあこれは明日キールにでも確かめておいたほうが良さそうだな」
「じゃあ本当に麦の収穫の準備を始めなきゃだね」
私は本棚に入っている2年前の台帳を引き出そうと立ち上がったのだが、パッと横から手が伸びて、私が取ろうとしてた台帳を引き出して執務机に置いてくれる。
「多分それにも少しは俺の知識が役に立つと思う。現代知識って程じゃないけどな。アフリカで青年海外協力隊の奴らが教えてたやつを作ろうと思う」
「ありがとう。って黒猫君それにも参加してたの?」
「いや、俺は現地をうろついてただけ」
「なんでそんな所に……?」
「ああ、スコットランドのBushcraftで知り合った仲間がジンバブエの出身で、誘われて一緒にアフリカを回ったんだ」
「…………」
ああ、これやっぱり黒猫君だった。電車で会ったのはきっと別人だ。




