12 成長
「結果から言えば、どうやらあゆみさんの固有魔法には成長を促進させる作用があるみたいですね」
やけにあっけらかんとテリースさんが宣言した。
「いや、そんな魔術聞いたことないぞ。しかもあんな短時間であれだけの影響って行き過ぎだろ」
キールさんが呆れたように私を振り返る。
執務室に戻ってきた私たちは、先ほどのようにそれぞれ椅子に座って話しているのだが。
私の隣の椅子に……元・黒猫君(人型)が座ってる。その存在感が大きすぎてつい椅子を離したくなる。
「ああ、あのイーストもお前のせいか!」
唐突に元・黒猫君が私のすぐ横で叫んだ。
突然こちらを振り向いて睨みつけてきた元・黒猫君の鋭い視線に射抜かれて、ビクンと椅子の上で飛び上がってしまった。
「イーストってのはなんだ?」
キールさんが疑問を挟む。
「ああ、イーストってのは発酵を促してパンを膨らますために使うもんだ。酵母って言っても分かんねぇかな。ウイスキーを発酵させるときに使ってないか?」
「ああ、ウイスキーの味を決める大事な『聖水』だとか言ってあいつらが抱きかかえて寝てるって噂の壺か。なんでも魔法みたいに麦を入れた水を酒に変えるって言ってたな」
「もしかして……作り方は公開されてないのか?」
「当たり前だ。だからこそ、こんな地方の街がウイスキーの収入で大きくなったんだ。大体、街道から結構距離があるにも関わらずこの街が王都からナンシーの街道町として認められているのも、このウイスキーの生産が主な理由だ」
「だからパンだけまだ硬かったのか」
元・黒猫君が一人で納得して頷いてる。元・黒猫君が頷くと、それに合わせて伸び上がった尻尾がスイッスイッと前後に揺れて──
「それでそのイーストがどうしたんだ?」
「ここでちょっと仕込んでみたんだが、本来少なくとも一週間以上かかるはずのイーストが一日で出来ちまった」
「そうなのか?」
キールさんがこっちに視線を向けてその顔を顰めた。
元・黒猫君まで胡乱な目でこちらを見てる。
「おい、今何しようとしてた」
「え、あ、ちょっと。つ、つい手が勝手に……」
伸びてしまってた。元・黒猫君の尻尾に。
今、正に掴もうとしたところで見つかってしまった。
元・黒猫君がはーっとため息をつく。
「こいつは放っとけ。それで次にそのイーストを使って麦を発酵させたんだが、これも本来数日かかるべきものが半日で仕上がっちまった」
「でもそうすると、あゆみさんは魔力テストをする前から魔力を使っていたってことになりますね」
テリースさんの指摘に私もハッとする。
「え、でもテリースさんがテストするまで自分では全く魔力を使ってる自覚ありませんでしたよ?」
そこにキールさんが独り言のように呟く。
「種族特有の固有魔法は時に勝手に発現する。もしかするとあゆみはもうかなり前から勝手に流していたのかもしれん」
それを横目にアルディさんが付け加えた。
「でもこれでネロ君の成長には説明が付きましたね」
「おい待て、この状態は本当に成長なんてもんで片付けていいのか!?」
元黒猫君の言う通りだ。普通猫は成長しても人間にはならない。
「確か獣人族は幼い時野生の動物と変わらない姿で生まれてくることがあると聞きました。それに近いのではないでしょうか?」
テリースさんの言葉に元・黒猫君が片眉を上げた。
「じゃあ、俺はこれからずっとこのままなのか?」
「分かりません。もっと成長するのか、それともこのままなのか、それともまた猫に戻るのか」
あ、元・黒猫君が固まった。
「まあ、そう焦っても仕方ないだろう。育っちまったもんは仕方ない。人手が増えたと考えて喜んどきゃいいだろう」
キールさんはこの事態のもたらした、とても現実的な自分の利益にニヤリと顔を歪ませた。それを見た元・黒猫君がはっきりと侮蔑を顔に浮かべた。
うん、やっぱり猫の時より表情がはっきりしてて、怒ってるのが非常に分かりやすい。
「でも厄介ですね。これってもしかすると、あゆみさんの固有魔法は彼女自身にも操れないってことじゃないですか?」
アルディさんが横からそう指摘するとキールさんもスッと眉根を寄せる。
「ああ。色々使い道のありそうな魔法ではあるんだがな。さっきの様子を見ても試すだけでもどんな範囲でどんな影響が起きるか分からないのが厄介だな」
「ええ、もっと心配なのがネロ君の固有魔法です。ある程度雷系統だろうと当たりを付けて試したあゆみさんでこうだったのですから」
「ああ、コイツの場合、一体何が起きるやら」
あ、そうか。自分のことで手いっぱいで元・黒猫君の魔法を忘れてた。
そこで考え込んでいた元・黒猫君がぼそりと呟いた。
「……俺もしかして魔力も変わってるんじゃないか?」
「あん?」
「だって、体がこんだけ変わっちまったんだぞ」
「…………」
キールさんが黙り込む。
「さっきの状態でもアルディが押され気味だったんだ。今度は俺がテストしてやろう」
そう言ってキールさんが手を差し伸べる。
元・黒猫君がその手に自分の手を重ね、ゴクリと唾を飲むのが聞こえた。
「始めるぞ」
途端、光と光がぶつかるように元・黒猫君とキールさんの手の間が光り出した。
「これは……!」
テリースさんとアルディさんが息を飲む。
元・黒猫君はどうやら全く影響を受けてないようで、体も全く光り出さない。同様にキールさんも全く光ってない。
「まさかとは思ったが」
ふっとキールさんが手を放すと二人の間の光が消えた。
「どういうことだ?」
「……魔力が全く流れない。要はお前には今全く魔力がないか、俺と比べてさえ巨大すぎる魔力で押し返されているかだ」
ええ? そういうことなの?
「この街の中でお前の固有魔法のテストをするのは禁止だ。その内外に出る機会があったら試してみよう」
そう締めくくったキールさんの厳しい声音に、元・黒猫君がなんとも複雑そうな顔で自分の手を見つめた。




