35 遠くを見渡すそのときに
「すごい景色!」
一旦馬車を降りた私は思わずそう口にしながら、これから私達が進む道を見渡した。
あれから半日馬車に揺られた私達は、今、絶壁のすぐ近くに立ってます。
あれだけ変化のなかった荒野の一本道は、あるところから徐々に下草が見え始め、ゴツゴツとした低い岩山や、丘が顔をみせ始め。
それが突如、遠くの視界がひらけたかと思ったら、小さな集落とその先の絶壁で突然行き止まりになった。
馬車の前方、遠くに低地が広がるのが見えてきたときは、このまま迂回するのかと思ったんだけど。
おじいさんたちによると、この先の段差はどこまでいっても回避できないのだそうだ。
「ヨークはナンシーよりかなり低地にあるからな」
「この段差は昔、初代王の頃に大地が真っ二つに分け隔てられた名残だと言われていますが、流石にそれは当時起きた自然災害の名残だろうと最近の学者は結論づけています」
私の隣に立つガイアさんの言葉を、歩み寄ったタカシくんが補足してくれた。
なのに、それを聞いた黒猫君とまだ鎧を付けたままのキールさんの意味深な視線が私に向いた。
うう。わかってます。
確かに以前、山半分吹き飛ばしてしまった身としては、それがもし本当に初代王の成したことだって言われても信じるしかない。
すぐ横に立つテリースさんまで一緒になってジト目でこっち見てる。
それを不思議そうに見たガイアさんに、言い訳をするように私も口を開いた。
「待って、いくら私でもこんなことできませんよ? 第一もう魔法使っちゃいけないんだし」
そう言ってるのに、三人そろって全然ジト目をやめてくれない。
うー、笑いかけても誤魔化されてくれないし、これ結構本気で私ならやりかねないって思われてるっぽい。
全然信用されていないよ、私。
私達がそんなことを話しながら絶壁の先を見てる間も、実は兵士さんほか皆様が馬車を荷下ろし用の太い縄にくくりつけていた。
これ、どうやって進むのかと思ったら、近づいてみれば一段下がった迫り出しに荷物の昇降用の縄と長い長い木組みの階段が作り付けられていたのだ。
昇降用といっても、滑車があるわけじゃないらしく、本来軽い荷物以外は上げ下げできず、ここで新しい荷馬車に乗り換えるものだったらしい。
この崖の周りにある集落は、元々そのために出来たものだったんだって。
「まあ最近じゃこの道を使って行き来する人間もめっきり減っておったがな」
「やはり不景気のせいか?」
黒猫君が尋ねると、あの無口だったおじいさんが静かな声で教えてくれる。無口なおじいさんはルークさんと言うらしい。
「いや、それよりもヨークの衛兵どもがナンシーの様子がおかしいと言って一時的に出荷を規制しとったせいだろう」
「こちらの農民がナンシーの農民とともに北に送られた時点で、ヨーク公がいち早く動いたからのう」
そういったのは馬車の中で一番よく喋ってた固太りのおじいさん。
お名前はゴルドーさん。
それに一番細身のおじいさん、フラコーさんが横から口を挟んだ。
「ヨークの教会は情報機関でもあるんじゃよ」
すぐにいつも疲れた様子のカンサさんが、私たちを見て少しすまなそうに付け加えてくれる。
「あんたらが北の農民を引き取ってきたってのも知ってる。だが、それでもナンシーが落ち着くまでは蓄えを使って街を閉じとったからのう」
そして一番小柄なオズノーさんが、下を見下ろしながら少し不安そうにつづけた。
「まあこんな道は人が通らなくなるとあっという間に廃れるからのう。今回はまだそれでも三ヶ月ってところか? 昇降機がしっかりまだ動いてくれていて助かったのう」
あれから馬車のなかでおじいさんたちの名前は教えてもらったんだけど。
私はまだ時々名前を忘れちゃう。
六人も一度に覚えるのは中々大変。
「これって本当に馬車を上げ下げして大丈夫なのか?」
「安心しろ、荷物を分けて車体には軽石を山程つけた。正直崖の側面にさえぶつけなければ、人間数人と変わらん重さだ」
私を抱えた黒猫君が心配そうに尋ねると、すぐ後ろに立っていたキールさんが兵士さんたちを指さして答えてくれる。
「あー、それで結構時間かかってたんですね」
「ああ。あそこの荷物の山が全部降りたら俺達の番だ。階段を下りるのは一苦労だからな」
キールさんが指差す先には結構な数の荷物の山ができていて、これはまだ当分ここでゆっくりできるな、なんて思ったその矢先。
「いい森だな」
「そうっすね。いい獲物がうようよ潜んでる気配がするっす」
突然、後ろからバッカスとハビアさんの声が聞こえてきた。
ああ、そういえば、同行してた兵士さんたちがいるんだから、バッカス達ももちろん来てるよね。
なんて、思ったのもつかの間。
「なあネロ。俺らはこのまま降りちまえばいいんじゃね?」
「まあそうだが」
「え?」
バッカスがなんか言ってるけど、それで黒猫君がチラリと私を見たけれど。
え、待って。
「肉確保が最優先だろ。行くぞ」
またも狼姿に戻ったバッカスが鼻先で下を示してる。
待って、待って。
このままってどういうこと?
私が疑問を顔に浮かべてるのに、誰一人答えてくれない。
そして黒猫君が困惑する私を抱えたままひらりと身を翻し、当たり前のようにバッカスの背中に飛び乗った。
バッカスの言葉の意味が私のとろい頭に到達して、自分の置かれている状況が理解できた瞬間。
バッカスが、崖に向かって駆け出した。
「え、待って、待って、待って!」
私の叫びをすっかり無視した黒猫君が、私の体を抑え込むように伏せながらバッカスの大きな耳に囁く。
「あとであゆみの制裁受ける覚悟しとけよ」
「いや、いや、いや、違う、そういう問題じゃない、バッカスやめて、お願いやめて、いやああああーーーー!」
叫ぶ私の声を完全に無視した狼姿のバッカスが、ほぼ垂直にそそり立つ壁をその跳躍力とバランスまかせに、ほぼ落ちていく。
すぐ横をハビアさんも器用に落ちていくのが目の端に見えるけど。
「ひっやあああああぁぁぁぁぁーーーーーー!」
自分の悲鳴さえも後ろに飛んでいく中空で、声とともに遠のいていく意識の向こう側、黒猫君が「あーあ」ってボソリとつぶやく声が聞こえた気がした。




