9 重い溜め石
「ふう、もう食べられないよ」
「俺ももう無理だ」
あんなに頑張って食べたのに、結局全部食べきれなかった……
それどころか食べれば食べただけ、後から後から追加のお皿が運ばれてきてたから全然減った気さえしない。
これ最初っから私たちが食べきることなんて想定外だったのかも。
これからまだ明日の準備があるらしく、途中でキールさんとテリースさんはリタイヤしたんだけど。
その分まで頑張ろうと限界まで食べ続けた私と黒猫君は、あまりに苦しすぎてしばらく動けそうにない。
「さて、あゆみさんとネロさんは今夜こちらに残られますわよね?」
まるでそれを待ってたというようにシアンさんが私たちに確認してきた。当たり前のようにそう言われて、食べすぎて座布団からはみ出すように後ろに伸びてる私たちはそれを否定する気にもなれない。
そんな私たちをテリースさんとキールさんがそろって心配そうに見てきた。
「シアン殿、またコイツラを試すような真似はどうか謹んでもらいたい」
「あらそんなこと、これっぽっちも考えていませんわ。お二人はここの主人なんですもの、ゆっくりおやすみして明日の謁見に備えていただきたいと思っているだけです」
はっきりと釘を刺したキールさんに、だけどシアンさんがしれっと言い返す。
「ならいいが」
キールさんが難しい顔で相槌をうつ。
「あゆみさん、明日は朝一でお迎えをこちらに送りますから、ネロ君と一緒にこちらにお持ちした衣装に着替えていらしてください」
キールさん同様、心配そうにこちらを伺うテリースさんが、それでも部屋の隅に持ち込んでいた大きな衣装箱を私たちに指し示す。
箱に入れられた私たちの着替え一式は、前もって用意周到なメイド長のイリヤさんが準備してくれてたらしい。
最後まで心配そうに私たちを振り返りながらも、明日の謁見の準備がまだ残ってるらしく、結局キールさんとテリースさんは王城へ帰っていった。
二人が帰った後、先に動けるようになった黒猫君は、サリスさんに誘われて二人でお風呂にいっちゃった。
食事中もお刺身やら食器やらの話題で楽しそうに話してた黒猫君は、すっかりサリスさんと意気投合したらしい。動けない私をシアンさんに預けて二人でさっさといってしまったのだ。
まあ、ずっとエルフに憧れてたんだから、気が合うエルフさんが見つかってよかったのかな?
結果、ただ今私はシアンさんと差し向かいで、シアンさんがご自分で淹れてくださったお茶を頂いてる。
こんなにゆったりしてると、今朝までのあの全力疾走は一体なんの為だったんだろうって思ってしまう。
黒猫君も私も、本当はすぐにでもシアンさんに私の記憶の問題について聞きたかった。
私がこれ以上記憶をなくしちゃう前に、一刻も早く今後なにをして良くて、なにをしちゃいけないのか教えてもらいたかったのだ。
そう、これは私にとって一刻をあらそう問題だったはず。
やっぱり今聞いてみようかな。
だけど私が口を開くより早く、目の前で同じくお茶を啜ってたシアンさんと目が会ってしまった。すぐにシアンさんが全てを見透かすような笑顔を私に向けて口火を切った。
「あゆみさん、ネロさんたちがお風呂から帰ってくる前にこれを終わらせてしまいましょう」
そう言ってシアンさんが一つの革袋を私に手渡してくれる。それは、以前渡されたクズ魔晶石を入れた袋よりもかなり大ぶりの革袋だった。
中を開けてみると不思議な石が転がりだす。
それは親指の爪の先くらいの大きさの丸い石で、一見グレーに見えるけど光の加減で薄い雲母のような線が複雑に光って見える。
「これは……?」
疑問をそのまま顔に浮かべた私に、シアンさんが同じ石を一つ自分の手にのせて説明を始めた。
「これは、あゆみさんが使ってる溜め石の上位版って言えばいいかしら。決して美しい石ではないでしょう?」
「はあ」
私の曖昧な返事に、にっこり笑ってシアンさんが詳しく教えてくれる。
「通常、魔晶石の底にくっついた状態で採取されます。私たちのもとに持ち込まれる魔晶石の成形の依頼では削り落とす部分なのだけれど、溜め石同様、いいえ、溜め石以上に多くの魔力を長時間溜めておくことが出来るの。ただ研磨の工程で出るものは小さいものばかりなので、今回はそれらを一塊にして結晶石で薄く包んであるわ」
「…………」
そっか。
当たり前だけど、シアンさんたちは私たちよりよっぽど魔晶石やその他の鉱石にも詳しんだ。
こんな便利な石があるなんて、シアンさんが今教えてくれなければずっと知らないままだった。
「これにね、あゆみさんが入れられる限りの魔力を注いでほしいの」
「これにですか」
もの珍しげに手のひらの上で石を転がしてる私に、シアンさんが説明を続ける。
「ここを出立する前、あゆみさんが時間停止している人たちの救済方法について相談してたでしょう?」
「あ、はい」
確かにお願いした。
ウイスキーの街には傀儡の魔術の支配を止めるために時間停止した人たちがいるし、他にもまだ傀儡になってしまっている人たちがここナンシーやウイスキーの街に潜んでいる可能性も考えてる。
だから今後救済が必要になる人がもっと増える可能性もあるのだ。
だけどこの石とそれがどう関わってくるのか、いまいち理解できなくて首を傾げてしまう。
そんな私を見てシアンさんが静かに笑った。
「これが、今停止されてる人たちの寿命になるって言えば分かるかしら」
「寿命、ですか」
「そう。この中には小さな生魔石が一緒に挟んであるの。だからこれを時間停止している人の体内に埋め込めば、その人はこの石に注がれた魔力が持つ限り傀儡の呪縛にとらわれることはないし、それまで通りの生命活動を維持出来るでしょう」
シアンさんに言われたことを頭の中で反芻する。
それってつまり……これが時間停止されてた人たちの命を繋ぐバッテリーみたいになるってこと?
す、すごい!
ことの重大さを理解して、思わず自分の手の中の石を見つめ直してしまった。手の中の小さな石が、やけに重く感じてしまう。
そんな私にシアンさんが小さく頷いて、石を袋に入れながら続ける。
「ただし、この石一つで活動し続けられる時間はそれほど長くはないでしょう。多分、数年か、十数年か」
ずっと気になっていた問題の解決策を教えてもらって一気に興奮してた私は、続けられたシアンさんの言葉に冷水を浴びせられた気がした。
こんな小さな石ひとつで数年、十数年分の魔力が溜められるのだとしたら、それは本当に画期的なんだけど。
でもそれでも、たったの数年、十数年。
「もう少し、長く出来ないんでしょうか?」
それではあまりに短い気がして、思わず聞き返してしまった。でもシアンさんはそんな私を見返して、困った顔でゆっくりと横に首を振る。
「これ以上石を大きくするわけにはいかないの。回りの人に気づかれてしまうのも困るでしょうし、なにより身体に安全に埋めておくことができなくなってしまうもの」
言われてみればそれはそうだ。これがその人の生命線になる以上、隠せるならばちゃんと隠せるほうがいいに決まってる。
手の中の石がいっそうズンと重く感じられて、思わず両手で持ってしまう。
諦めきれない私の様子を見たシアンさんが、私を宥めるように言葉を続けた。
「確かに石を何度もとり変えれば寿命はいくらでも伸ばしてしまえるわ。でもね、あゆみさん。貴方は彼らをただ救いたいと思っているのでしょうけど、寿命のない人間はもう人間ではなくなってしまうもの。ちゃんと人として幸せに生きるには、寿命はどうしても必要なのよ」
それは以前もシアンさんに言われていた。
あれからずっと考えてみたけど、どんなに考えてみても、長い寿命を生きてきたシアンさんのその忠告を否定できる言葉が私には見つけられなかった。
この小さな石が皆の残りの寿命を決めると言うのなら、今の私に出来ることは一つだけだよね。
覚悟を決めて、シアンさんを見返す。
「分かりました。出来る限り、入れられるだけいっぱいいっぱいまで魔力を入れてみます」
手のひらの上の石をギュッと握りしめ、力を込めて答えた私を、だけどシアンさんが心配そうに見返して告げる。
「待ってあゆみさん、ひとつ私と約束して。お願いだから、決して日に十個以上の石を魔力で満たそうとしないで」
「でも、私の魔力は……」
『私の魔力は無尽蔵』そう言おうとしてすぐに自分の記憶の問題が頭をよぎり、言葉が尻すぼみになってしまった。
そんな私の肩にシアンさんが手を乗せる。そして優しく私の肩を撫でながら微笑んでくれた。
「この石に入れられる魔力は限られているから安心して。だけど貴方がいざっていう時に魔力枯渇を起こしていたら、救われるべき命も救われなくなってしまうかもしれない」
「待ってシアンさん、それって──」
記憶の問題を私が尋ねようと思ってたの、シアンさんはやっぱり知っていた!?
問い返そうと身を乗り出した私に、シアンさんがだけどまたも首を横に振って私を押し止める。
「貴方たちがラー女王からなにを聞いたのかは伺ったわ。でも今はそれを私に聞かないで。絶対にあゆみさんの為になるはずだから……」
普段とは違い、シアンさんがまるで懇願するような眼差しを私に向けてくる。
袋いっぱいのグレーの石を手にしたまま、私は頭の中でシアンさんの言葉を反芻した。
シアンさんたちは出来ないこと、したくないことに関して、今までいつも色々難しい言い回しで誤魔化してきた。
なのにこの問題に関して『今は聞かないで』ってはっきり言った。
これって要するに、時期が来れば話してもらえるってことだよね?
シアンさんがそう言うのなら、きっと意味があるんだと思う。
なら今はそれを信じて我慢しよう。
未練を吹っ切るように首を一振りしてから、シアンさんに頷いてみせる。
「分かりました。じゃあ私は今自分に出来ることを進めてみます」
手に収まってる石を握りしめてはっきりと答えた私を、シアンさんがどこか懐かしそうな顔で見返す。その眼差しは少し眩しそうに見えた。




