8 贅沢な夕食
「さあ、教会のお話はここまでにして夕食にしましょう」
重くなった場の雰囲気を緩めるようにパンっと手を叩いたシアンさんに促され、今まで部屋の隅で控えていた猫耳の女の子が部屋を出ていった。
すぐに彼女に続いて数人の獣耳の女の子たちが一斉に部屋に入って給仕してくれる。
私たちが座ってる、大きな座卓いっぱいに次々と並べられていく料理の数々に一気に場が華やんだ。
その中でも、特に私たちの目を引いたのが──
「「お刺身だ!」」
自分の喜びの声が黒猫君と重なった。
舟盛りとはいかないまでも、大皿に艷やかな葉を敷いて、その上に見事に捌かれた色とりどりのお刺身が盛り付けられてる。彩りに一緒に載せられたハーブには見覚えがないけど、それでも見るからに賑やかな盛り付けに心が踊った。
よだれが垂れそうになって思わずじっと睨みつけてしまう。隣に座る黒猫君の目もランランと輝いてる気がする。
「どうぞ沢山お召し上がりくださいね」
そんな私たちの様子をみたシアンさんが、得意げにそう言って促しつつ自分も箸をとった。
今回はキールさんもテリースさんもそれぞれ自己流ながら箸を握って挑戦してる。
促されるまま白身のお刺身に手を伸ばした。
お箸が透けそうなほど薄く削がれた白身のお刺身をそっと一枚、はがすように箸でつまみあげる。よく見ると片側だけが薄いピンクに染まってるのが見て取れた。
多分、鯛みたいなお魚なのかな。
それを手元のお醤油にちょっとだけつけて、慎重に口へと運ぶ。口に入れた途端、一気にほんのりと甘い白身の旨みが口いっぱいに広がった。
「お、美味しい!」
あまりに美味しくて、そして懐かしくて。顔がニマっちゃって元に戻らない。
あー、そうだよね。お刺身ってこんな味だった。
美味しんだ、本当に美味しいんだよ。
全く臭みもなければ骨もない。身もプルンプルンで歯で噛むとプチリと筋が切れる歯ごたえがあるくらい。正に取れたてのような新鮮さなのが嬉しくて仕方ない。
暫くぶりの感動を味わいながらも、既に次のお刺身を目指して手が伸びた。
「これはなんのお魚だろう?」
よくよく見てみれば、お皿にはいくつか全く見覚えのないものが混じってた。ちゃんとお刺身はお刺身だし切り身の見た目はサーモンみたいなんだけど、身の片面の色が青いのだ。
他にも貝にしてはコロコロと完全な球状のものや、細切りにされた身が透けて見えるイカのお刺身なのに、色だけは綺麗なルビー色のものなんかが混じってる。
「そちらが『青サーモン』、これが丸貝、そしてこれは赤イカです。全て以前太郎様と検証して美味しかったものしかお刺身にしてませんからご安心を」
私の疑問にシアンさんがニコニコと答えてくれた。
シアンさんの言葉を信じて、恐る恐る一切れつまんで試してみる。と、見た目に反して味はやっぱりサーモンっぽい。しかもたっぷり油が乗ってて、これ本当に極上のトロサーモンだ。
コロコロの貝もルビー色のイカも、見た目はともかくどれも味は最高に美味しい。
問題もいっぱい起こしてくれるけど、今だけはお魚を持って帰ってきてくれたマイクさんに感謝しかない。
ただやっぱり量に問題があったのか、完全に生のお刺身は半分ほどで残りは酢漬けで持ってきたみたい。それらもご飯と一緒に押し寿司みたいな形で出てきてた。
「あゆみさん、これ本当にこのまま食べるんですか?」
一気にお刺身に飛びついた私と黒猫君の横で、テリースさんが疑わしげに端っこのお刺身をつついて聞いてくる。
「まあ、好き嫌いはあるだろうが食えるのは間違いない。まずはこっちの醤油つけて食べてみろよ」
心配そうに尋ねたテリースさんとは対象的に、キールさんが黒猫君に言われるがまま、お醤油をたっぷりつけてバックリとさっきの青サーモンを口に頬張った。咀嚼しつつ首をかしげ、微妙な表情を浮かべて口を開く。
「……不味くはない。だが、言うほど美味いとも思わんな」
「まあ、慣れてなけりゃそんなもんか。こんな美味い刺し身は中々ねーのに残念だったな」
どうやらキールさんは刺し身があまり気に入らなかったみたい。それを横目に、黒猫君が肩をすくめて一度に数枚のお刺身をざっと掬ってぺろりと一口に飲み込んだ。
「く、黒猫君はもう少し味わって食べようよ」
「いやこれは箸が止まらなくても仕方ありませんよ、こんな新鮮なお刺身は本当に久しぶりに頂きます」
つい文句を言ってしまった私の前で、嬉しそうに声を上げたのはサリスさんだった。見れば綺麗な箸さばきでお刺身をすくい取っては口に頬張って、感慨深そうに味わってる。
「サリスは刺し身も食えるんだな」
「それどころか、今日のお刺身はサリスが捌いたのよ。これもサリスの数多い人族知識の一つよね」
「ええ、お恥ずかしながら生の魚には目がなくて、太郎様にさばき方を教わってからはいつもご相伴させていただいていました」
「あ……」
サリスさんの食べっぷりを見た黒猫君が嬉しそうにそう問えば、サリスさんが顔を赤らめながら答えた。よっぽど照れてるのか、黒猫君をチラチラ見てはその度に恥ずかしそうに俯いてる。
そんな皆のやりとりを聞いているうちに、私はあることに気がついてぴたりと箸がとまってしまった。
待ってこれ、私たちだけこんな美味しいもの食べてていいんだろうか?
部屋のサイズに合わせたのかかなり大きな木の座卓机には、机を埋め尽くすほど数々の料理が並び、私たちは今それを分けるようにして食べてたんだけど。
「あの、シアンさん、これ私たちだけで食べるのは申し訳ないんですが。量も多すぎる気がしますし」
ナンシーも近隣の街だって決して食料事情がいいわけじゃない。それどころかこの教会内の村の人達はお米も食べられない生活をずっとしてきてたはずだ。
たとえ今は以前のような搾取をしてないにしろ、出来るなら私たちより彼らに美味しいものを食べて欲しい。
そんな私の気持ちを察したのか、シアンさんが一度箸を置いて私に向き直る。
「あゆみさん、ここに並ぶ料理は全てネロさんとあゆみさんのお帰りをお待ちしていた村の皆が持ち寄ってきたものですよ。素材も、そのほとんどがあゆみさんたちが帰ってこられたら食べていただきたいと近隣の村から持ち込まれていたものばかりです」
驚いて再度卓上を見回してしまう。
言われてみれば、品数は多いけどどれも素朴な料理が多く、しかもその内容がちぐはぐだった。
芋の煮付けと芋の煮っころがしらしきものが一緒にあるし、かと思えば炊き込みごはんとお寿司、お刺身、それにちまきのようなものもある。
「私も流石に多すぎるとは思ったんですけど……かと言って、どれかを断ることも出来なかったんですよ」
そう言って眉尻を下げたシアンさんの言葉に、私もグッと喉が詰まった。
助けられた人と、助けられなかった人。今回北の砦での一件ではどちらも沢山いた。
だからこの街に戻ってきたら、救えなかった誰かの家族に責められるんじゃないかって、実は心の中でちょっとは覚悟してたのに。
今にいたるまで誰一人私たちを責める人はいなくて、それどころかわざわざ私たちのためにこんなに色々作ってきてくれて……その気持が本当に嬉しくて。
ほんの少し目の奥が熱くなってきちゃったのを誤魔化すように、私は精一杯の笑顔を顔に貼りつけて再び箸を取る。
「そういうことでしたら、喜んで全部食べます!」
「ああ、お前ひとりじゃないから安心しろ」
「そうですね、遠慮しなくていいいのでしたら私もしっかり頂きます」
「では今度こそ、いただきます」
「「「いただきます」」」
全ての感謝を込めて私が言えば、キールさん、テリースさん、黒猫君もあとに続いた。
あとはもう、ただひたすら美味しく食べるだけ!
沢山の心のこもった最高のご馳走を前に、私たちは胃が破裂する寸前まで食べ続けた。




