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10 準備

 それからしばらくキールさんの軍内の異動の発表を聞いてから、私たちはまたも上の部屋に戻ってきた。さっきキールさんの横に立っていたのが副隊長さんだそうで、繰上りで今後彼がここの隊長を務めることになるらしい。

 この兵舎には隣町から出張してきた兵士さんたち50名ほどと、元々ここの街の守備に集められていた兵士さんたち100名ほどがいるらしく、主な変更は隣町からの出張組の中で行われた。副隊長さんがこの出張組を臨時の近衛隊として遇するよう説明をしても、それに異議を唱える人は一人もいなかった。


「で、これからどうするんだ?」


 キールさんは疲れ切った様子で自分の椅子に沈み込んだ。その横でテリースさんがお茶を入れ始める。今回はさっき隊長さんになったばかりの元副隊長さんも同席している。


「待ってください、まず自己紹介をさせてください隊ちょ……殿下」

「殿下はやめろ」

「……もう他に呼びようがないですよ、だって僕がもう隊長になっちまいましたから」


 キールさんが不貞腐れた顔で黙り込んだ。そこで元副隊長さんが私に向き直る。


「えっと、ネロ君のことはもう知ってるけどあゆみさんにはまだ挨拶したことがなかったんじゃないかな」


 そう言って元副隊長さんが柔和な笑みを浮かべた。

 この元副隊長さん、背はこの中で一番高いのにキールさんに比べて少し細身だ。真っピンクの髪を綺麗に後ろに撫でつけて、後ろで短い尻尾に結わってる。顔は少し童顔で、ピンクの髪との組み合わせで下手したら私より年下に見えそうだ。


「僕の名前はアルディ。今日から近衛隊隊長に昇格しました。元々は隣町の護衛騎士団の副隊長です。あ、隊ちょ……殿下、僕たちの隊、もしナンシーに戻ったらどうするんですか?」

「そりゃ重複勤務だな。俺の近衛隊なんざ別に形だけだから基本は元の護衛騎士団だ。あ、お前は隊長な」

「うへ、やっぱりですか」


 二人のやり取りを見ていた黒猫君が口をはさむ。


「そのナンシーってのはなんだ?」

「ああ、隣街の名前だ。この辺りでは一番大きな街だぞ」

「ここの何倍ぐらいある?」

「そうだな、詳しくは分からんが、ここがこんなになる前で約2倍位だったか?」

「そうですね、そんなものです」

「あ、ついでだ、あんた達なんでこの街に留まっていたんだ? いつからだ?」


 黒猫君の質問にはアルディさんが答えてくれた。


「元々は狼人族の牽制に来たんですよ。襲われる商隊が増えすぎて届けが沢山来ていましたので。ナンシーにももう一人の副官がいて残った部隊を統率してます」

「元々ここも俺の管轄だったから月に一度は見回りに来ていたんだが、狼人族の動向を観察するためにもしばらく腰を据えて様子を見ようと半年前にこちらに来た。一か月程駐留してこの辺りの調査にあたる予定だったんだが、そこにあの教会の連中の問題が起きたんだ」

「じゃあ、約半年って事か」


 テリースさんが()れ終わったお茶をみんなに配ってくれる。それに口を付けたキールさんが顔を顰めた。


「おいテリース、治療院じゃあるまいしもう少し味のするお茶を煎れろよ」

「ああ、そうですね。次は気を付けましょう」


 全く気にする様子もなくテリースさんが相槌を打った。


「それでネロ、お前の言う通りここの連中には説明したぞ。そろそろ今後の事も説明しろよ?」


 返事がないのでふと見ると黒猫君がテリースさんを睨んでる。

 あれ? 黒猫君のお茶がない。


「あ、ネロ君もお茶いりますか?」

「別にいいよ。あゆみのが冷めたらもらうから」


 あ、そっか。猫舌だもんね。

 私は自分のお茶をフーフーして冷まし始める。


「さて、あゆみも俺もそろそろ治療院で夕食の準備をしなきゃいけないんだがな。仕方ないから少しだけ説明しとくよ」


 あ、また黒猫君が凄く偉そうに話し始めた。


「今日、3つの鐘が鳴る頃に治療院に人を集めろ。あんたが麦を卸している連中も残らずな」

「3つって、もう2つの鐘も鳴った所ですよ? なんでそんな急に?」


 アルディさんが驚いて声を上げる。


「届け物が来るからだ。兵を使って治療院の二階の部屋の準備もしておいたほうがいいぞ」


 黒猫君の言葉に耳を傾けながらキールさんがアルディさんを見る。キールさんに目くばせをされたアルディさんが慌てて部屋を飛び出していった。


「俺がここを統治するのを発表するだけじゃなかったのか? 何をするつもりだ?」


 やっと冷めたお茶を黒猫君に差し出すと、ピチャピチャと音を立てて啜った。

 うーん、カップから飲んでもらうのはちょっと問題だな。周りにお茶が飛んじゃってる。

 少し喉を潤した黒猫君が言葉を続けた。


「何って、税金を受け取ってやるんだよ。農村の奴らがあの村の去年の税金分の麦を荷車に積んで持ってくる手はずになってる。このうち半分を税金として受け取って、残りの麦を買い取ってやれ。ついでに今年の麦も全て買い取る約束を集まった人間の前でしておくんだ」

「おい、いくら俺でもそんな金は無いぞ?」

「あんたはその場で今まで麦を卸していた連中に売っちまうのさ。金は直接その連中が農家の奴に払う。金額はあんたが今まで卸していたのと同額だ。でもって他の連中にも言ってやれ。今後税金は全て物品で受け取るってな」

「はぁ?」

「分からないか? 今物は余ってんだよ。物価が高くなりすぎて誰も売れない。売れなくても税金は払わなきゃならない。ま、教会が出てってからはどうなってたか知らないが、今日からあんたが施政者になるわけだ。税金はきっちり取り上げろ。でもって、これも市場に適正値段で卸す」

「…………」

「ついでに税金以外(・・)も買い取るって言ってやれ。多分喜んでみんな売りにくるぞ」


 キールさんが頭を抱えこんだ。


「それだけの取引を誰が取りまとめるんだ?」

「それはあんたの仕事だな。自分ひとりで出来ないなら人を増やせばいい。今後のあんたの立場を明らかにするためにもいっそ治療院に移ってあそこにあんたの執務機関を作っちまえ。どうせ部屋は腐るほど余ってるんだ」


 そこで黒猫君は一息入れてキールさんを見上げた。


「大体、教会が逃げちまった時点で本来あんたがこうするべきだったんだ。いつまでも放っておくから余計事態が悪くなってる。全部自業自得だな」


 キールさんが低い唸り声をあげた。しばらくしてなんとか立ち直ったキールさんがまた黒猫君に尋ねる。


「それで麦の刈り入れは誰がやるんだ?」


 黒猫君はまた猫の肩をすくめて「何を当たり前のことを」というようにキールさんに言い切る。


「麦の刈り入れはあんたらがやるんだよ。150人も兵士がいるんだろ? 他にも貧民街の奴らでもスカウトしろ。今この街に遊ばせておく労力なんてあっちゃおかしいんだよ」

「だがいくら今の所気配がないとはいえ狼人族も放ってはおけないぞ?」

「それは分かっている。麦の刈り入れはまだ2、3週間後だ。その前にそっちもちょっと話し合おう」


 なんだか黒猫君がどんどん話を進めて行ってしまうんですが。


「黒猫君、私たしかマッタリ行きたいって言ったよね?」

「言ってたな」

「なんか黒猫君どんどん忙しくなってない?」

「いや、俺は忙しくないぞ。キールが忙しくなるだけだ」


 うわ、酷い。


「いやそんなことは言わせんぞ」


 そう言ってキールさんが机の引き出しを漁って羊皮紙と羽ペンを取り出した。私たちの目の前で何やらスラスラと書き記していく。

 うわ、羊皮紙なんて生まれて初めて本物を見たよ。羽ペンもなんちゃって物は売ってたけど、これ本当に羽を尖らせただけみたい。

 キールさんは自分の書き終わった羊皮紙をスッと私に差し出した。私はなんの気なしにそのまま受け取ってしまう。


「ばか、あゆみ何受け取ってんだ!」


 そんな私に向き直って叫んだ黒猫君をキールさんが片手で制止した。


「ネロ、お前を俺の権限でたった今スチュワードに引き立てる。テリースにはバトラーをさせる。テリースの性格を考えればそのほうが妥当だろう」


 ニカっとキールさんが綺麗にほほ笑んで黒猫君に言い渡した。すぐ横でテリースさんがコクコクと頷いている。


 私は自分の手の中の羊皮紙に目を通す。

 それは……何とも不思議なものだった。

 ほとんどの部分が日本語で私にも読める。なのに、一部英語。多分、カタカナが英語に置き換わっちゃってる気がする。後で黒猫君にも見せてあげよう。


「おい、ちょっと待て、俺は猫だぞ?!」

「こんな時だけ猫のフリしようったってそうはいかないぞ。なんのかんので全てお前のせいで走り出しちまった。さっきアルディも行っちまったからもう後戻りも出来ない」


 言い切られて黒猫君がキッとキールさんを睨みつけると、それを見たキールさんは余裕でフッと小さく笑ってから先を続ける。


「俺ももう覚悟を決めた。この状況下でこれ以上逃げるのは俺も止めだ。だがお前だけ逃げようったってそうはいかないぞ。早々に治療院の厨房係の替えは俺が見繕ってやるからお前ら(・・・)はもう俺の下に入れ」


 なんかキールさん、開き直ったらしい。まあ、あれだけ演説を熱烈に応援されちゃったら覚悟も決まるよね。


「っと、ちょと待って。今私もって言いました?」

「ああ、お前らは二人で一人分だからな」


 そう言うとキールさんの笑いが少しニヤニヤ笑いに変わった。


「あ、えっとそう言われると正にその通りなんですけど」


 ああ、だからこの羊皮紙を私に渡したのか。


「おい、あゆみ何勝手に納得してんだよ。お前マッタリしたいんじゃなかったのか?」

「え、だって、これ全部黒猫君が始めちゃったんじゃない」


 私はちょっと唇を尖らせて黒猫君を見下ろす。


「あのね、黒猫君。私確かにマッタリしたいって言ったけど、出来る時と出来ない時があるのは分かってるよ。ずっと黒猫君がキールさんと話してるの見てたけどさ、黒猫君なんだかキールさんより偉そうなんだもん」


 目の前でキールさんが大いに頷いている。


「そこまで人をたぶらかして事態を動かしたんなら、黒猫君ちゃんと責任取らなくちゃ」

「ぐわぁ! お前はどうしてそう変なところで融通が利かないんだよ!」


 なんか黒猫君は私の真摯な対応が気に入らないらしい。


「じゃああゆみも納得してくれたようだし、これからもよろしく頼むな」


 私たちが言い合っている間に綺麗に場をまとめたキールさんが、笑顔を浮かべて満足そうに私たちを見回した。


「知らないぞー」


 黒猫君が独り、はぁーっと大きなため息をついてその場に突っ伏した。

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