26 あゆみの記憶
「あゆみの古い記憶が消えてるのが分かった」
私の問題ってまさか!
突然こんな皆の前で話題に出されて焦る私を他所に、黒猫君がとってもザックリ私の問題を説明しちゃった。それを聞いた途端、私の胃のあたりがまたキュッと締まる……よりも早く。お腹の前で私を支えてた黒猫君の腕がギュッと私を引き寄せた。
「どうやら強い魔力を使うと、俺たちと出会う前の記憶が消えちまうらしい」
黒猫君はルディンさんのお母さんが言った話を隠すことなく説明してく。
「消えた記憶が今後どうなるのかは分からねえ。しかも大切な記憶から消えてるらしい」
そこでまた、私が顔を歪ませるよりも早く黒猫君が私のお腹をギュッと引っ張った。
それまで煩かった兵舎のテーブルがいつの間にか静かになっちゃってる。皆が私を見てるのが分かっていたたまれない気持ちになってると、アルディさんが真剣な面持ちで尋ねた。
「ならばあゆみさんには今日も作業をして頂かないほうが良かったのでは?」
「それを今ここで話し合いたいんだ」
そう言って、黒猫君が私を真っ直ぐ見下ろした。
「あゆみ聞いてくれ。俺はお前がこの問題を一人で抱え込むのは絶対に避けたかったんだ。お前、一度変なほうに思い込むと俺たちに話もしなくなるだろ」
確かに黒猫君の言う通りだ。私はあの時、記憶が消えちゃった事実を知って心が凍りついちゃった。もうどうしようもなくショックで、周りの声がよく聞こえなくなってた。
友人の名前が思い出せないこともショックだったけど、それ以上に、私がずっと家族のように一緒に過ごして来た沢山の猫や犬の名前が全く一つも思い出せなくて……
違う。思い出せなくなってることにさえ気づかなかった、自分が信じられなかった。
私、なんて薄情なんだろう。
「ほらな。今の一瞬だけでもお前、何回自分を責めてた?」
「え……だって」
「だってじゃねえ。お前の記憶が消えたのはゼッテーお前のせいじゃねえ。お前は自分でそんなこと選んだりしねえ。だろ?」
「…………」
私が答えに迷ってるのにも関わらず、アルディさんをはじめテーブルに残ってた皆が黒猫君に同意するようにそれぞれ頷いた。それを見回した黒猫君が、改めて私を見下ろして続ける。
「あのなあゆみ。お前が一人でそうやって考えることなんて、結局お前から見た、お前にとっての側面でしかないんだよ。わかるか?」
真剣に話す黒猫君の言葉に、テーブルの何人かがウンウンと頷いてる。
「お前が下手に一人で思い悩んで落ち込むより、こー言う問題はここに来てからのお前をずっと見てきた俺たちと一緒に話すほうがゼッテー間違えにくい」
「そう、なのかな……でも……」
黒猫君の言うことはわからない訳じゃない。だけど。
何かそれはずるい気がする。だって。
私は周りを見回す。こんな私個人の話をこんなふうに沢山の人の前でするのは恥ずかしい。恥ずかしくて、上手く考えが纏まらない。
先が続けられないまま無言になっちゃった私の言葉を、だけど皆待ってくれてる。
だから私は、自分の胸のうちにある説明し辛い苦しさを、それでも精一杯言葉にしてみた。
「でも黒猫君、私やっぱり自分が許せないんだよ……だって私、私があの子達を忘れちゃったのだって、もしかすると、こうやって皆と過ごす時間が増えたからかも……それがその、楽しくて……」
この世界に来て、黒猫君と出会って、キールさんやアルディさん、テリースさんと出会って。
バッカスと出会って、狼人族さんたちとも出会って、その他沢山の人たちと出会って。
私は毎日忙しくて、いつも誰かと一緒にいて、以前と違っていつも誰かといっぱい話してて。
それで忘れちゃってたんじゃないだろうか、大切な自分の家族の名前を。
そう、思ったんだけど、だけど。
「ああ、それなら僕もたまにありますね」
アルディさんから思わぬ言葉が飛び出した。
「実を言うと、あゆみさん達が来てから余りに生活が変わりすぎて、以前の砦で死んだ仲間のことを忘れてることがあるんですよ」
アルディさんがなんとも苦々しそうに続けると、ヴィクさんがその隣で頷いてる。
「私だって、あの砦で死んだ弟を思い出すことが減ったな。あんなに恨んでたはずのバッカスの顔を見ても、思い出すことのほうが今じゃ少ない」
と、突然黒猫君が「ヤベッ」と叫んで立ち上がろうとして、私が膝に乗ってるの思い出して思い直す。
「今日誰かジェームズに飯持ってったか?」
「「「あ。」」」
「わ、私が行ってきます」
転げるように若い兵士さんが配膳場にご飯のトレイを取りに行く。それを見送った黒猫君が私に視線を戻し、咳払いして言う。
「あー、だからな。忙しくてなんか忘れちまうなんて誰にでもある。もちろんお前の場合思い出せないって根本的な違いはあるが、忙しくて思い出そうとしなかったなんてのは人間誰でもあるってことだ」
「いや、囚人の食事を忙しくて忘れたってのは指揮官としては問題ではありますけどね」
一瞬納得してた私たちをアルディさんが嗜める。
私がさっきあんなに罪悪感いっぱいに落ち込んだ理由を、誰一人責めてくれない。
今ここにいる皆は、ただ私のせいじゃないって言ってくれる。
私の罪悪感を、揃って皆否定してくれて。凍りついてた心の一部が確実に柔らかく溶けたのを感じた。ちょっと涙が滲んでくるのは、隠せなくなった自分の弱さのせいだろうか。
それでも笑ってる皆に勇気をもらい、私は他の凍ってる気持ちもさらけ出してみる。
「でも黒猫君、私、なにを、どこまで、どれだけ、忘れちゃったのかも分からない……の」
私がつっかえつっかえ告白すると、騒がしくなってたテーブルがまた少し静かになった。
私の告白を聞いた黒猫君は、ちょっと考えてからまた口を開く。
「それは確かにもう誰にも分からねえな。でもあゆみ、お前の記憶は全部消えたわけじゃねえんだよな? 今まだ覚えてることもあるんだろ?」
「それは……そうだけど……」
「そうだな、たとえばお前の飼ってた猫、思い出せないのは名前だけか?」
「えっとそれは……」
ずっとずっとお家で一緒にいたあの子たち。ブチの柄から色合い、毛並み、匂い、手触りその鳴き声。くすぐったい髭やたまに噛まれた時の痛み。全部全部しっかり覚えてる。……と思う。
「顔や姿、どこで会ったか、どれくらい一緒に暮らしてたかは、多分思い出せる、と思う。でも──」
「でもはいいから、先ずはお前の思い出せる話をしてみろよ」
私が不安を吐き出すよりも早く、黒猫君が被せるようにそう言って、それに合わせてアルディさん他皆が聞き耳を立てた。
こんな話、他の人が聞いて楽しいだろうか。誰かに私の家族のそんな細かい話をするのなんて初めてで、私は恥ずかしいやら緊張するやらで中々言葉が出て来ない。
っと、ジョシュさんが明るい声で尋ねてくる。
「ではまず、一番最初に家族になったのは?」
「あ、そ、それは薬屋さんの前に捨てられた子犬です。ブチの色が牛みたいで、足が4本とも白い靴下履いたみたいな尻尾の短い子でした。雄のクセに中々足を上げるの覚えてくれなくて……」
一度話し始めると当たり前のように姿が頭に浮かんで言葉が滑るように口から流れ出した。
それにヴィクさんやタンさん、他の兵士さんも合間合間で色々尋ねてくれる。
そのうちジョシュさんが日記用の紙を持ってきて、私の描写する皆の絵を描いてくれた。流石動物好きなジョシュさんは絵も上手で、少しデフォルメはされてるけど皆特徴を捉えてて直ぐどれが誰だか分かる。
いつの間にか私だけじゃなく、他の皆も家族の話しや長く離れてる恋人の話し、嫌いな上司の話など始めてて。アルディさんが気を利かせたのか気づけば皆サイダー片手に騒いでた。
あんなに辛かった記憶の問題が、なんとなく当たり前のようになっちゃってる。思い出せない苦しみがなくなっちゃったわけじゃない。消えちゃうかもしれない不安がなくなった訳でもない。
だけど私はいつの間にか普通に笑ってて。
見上げると黒猫君も笑ってた。




