36 ドラゴンと交渉
話し終えてもまだジッと私を見つめてるドラゴンの視線に怯えつつ、私がゆっくりと背を向けると、それまで背後を囲ってたドラゴンの翼が左右に開いた。
すぐ向こう側でアルディさんを先頭にあの3人組と他にも武装した兵士さんたちが武器を片手にこちらを見てた。皆、一定の距離を取りつついつ飛び出そうかと頃合いを測ってるみたいで、顔が凄く怖い。
お、お願いだから今はとびかからないで!
そう叫びたいけど、今叫んだら色々始まっちゃいそうで叫ぶに叫べない。
「ど、どうしようシモンさん」
ドラゴンに背を向けてアルディさんたちのいるほうに向きなおってすぐ、小声でシモンさんに声を掛けたらとってもあきれた顔で見返されてしまった。
「もしかしてあゆみさん、まるっきりの無策ですか?」
「し、仕方ないじゃないですか! あんな、突然出てきて皆殺すとか言われたら──」
「別にあゆみさんを殺すとは言ってませんでしたよ」
「そういう問題じゃないでしょ!」
小声で言い争いつつ、ガクガクと震える膝をおして数歩アルディさんたちのほうへ歩いた所で、森のほうからすごい勢いでバッカスと黒猫君が走ってくるのが見えた。
「あゆみ、無事か!?」
「あゆみ大丈夫か?」
アルディさんを追いこして駆け寄ってきた二人が口々に言うけど。
「く、黒猫君のバカ! ど、どこ行ってたの、わ、私怖くて」
黒猫君の顔を見た途端、それまでの緊張が切れて泣き言が勝手にこぼれ落ちちゃった。黒猫君全然悪くない。そんなのは分かってる。分かってるのに止まらない。その様子を見て、アルディさんが他の兵を控えさせながらやっぱりこっちに歩いてくる。
「ああ、すまねぇ。この辺りよっぽど狩りつくされちまったのかネズミ一匹見つけられなくてな。仕方なくかなり森の奥まで獲物探しに入っちまってたんだ」
ふらついた私をヒョイっと抱えあげ、私の体中をくまなく触って安全を確認しつつ黒猫君が私の八つ当たりに真っ正直に答えてくれた。やっとそこで少し安心してボロボロ涙がこぼれだす。
「ヴィク、あゆみさん、無事だったんですね!」
「あゆみ、泣くのはしょうがないが、どういう状況か説明してみろ」
ドラゴンを刺激しない様に慎重に歩み寄ったアルディさんも、私のすぐ後ろのヴィクさんの無事な様子を見てホッと息を吐きだした。黒猫君の問いかけはしごく当然だから涙声で何とか説明を始める。
「ここで騒いでる、軍、止めないと、ドラゴンが、怒って、踏み散らすって」
「あのドラゴンはこの辺りの山に寝床を整えてたようですね。それを妨げるあなた方の戦闘に頭にきて降りてきたようです。一掃しようというドラゴンに、あゆみさんが一人で何とかすると言い張って説得してきたんですよ。ただ、ご自身は無策だったみたいですが」
ちょっと支離滅裂な私の説明を、シモンさんが横から口を挟んで補足してくれた。
「お前も一緒にいてどうしてそんなことに!」
「私はちゃんとあゆみさんに危害が及ばないようにはしましたよ。ですが見逃してくれるというドラゴンを押して何とかすると言い出されたのは彼女自身です」
横にいたシモンさんはまるで他人事みたいに言うけど。
「だ、だって、ドラゴン、暴れたら、皆死んじゃう!」
「ああ、そうだな。それじゃ、あのドラゴンは俺たちが戦闘をやめればそれでいいわけだ」
あれ、なんだか黒猫君の顔が嬉しそう。なんで?なんでこの状況で。
「アルディ、いいな?」
「仕方ありませんね。結局ネロ君の思惑通りになりそうですね」
「ああ、やり方は違うけどな」
アルディさんと黒猫君が私にはまるっきり分からないこと言ってる。でも黒猫君が「安心しろ、なんとかなる」って言いながら私を抱えなおしてくれたのでほんのちょっとだけ落ち着いた。
「さっきお前も言ってただろ、やめちゃえばいいって」
「え?」
「こんな戦闘俺にしても意味があるとは思ってねえ。とっとと終わらせに行くぞ」
そう言って黒猫君がニヤッと笑って、私を抱えてドラゴンの元へと歩き出した。
「なんだ、もう諦めたのか?」
さっき大きなこといって歩き出した私が今度は黒猫君に抱えられて戻ってきたのでドラゴンが怪訝そうにこちらを見下ろした。それを黒猫君がキッと睨みあげて大きく息を吸い、口を開く。
「おい、あんたこの辺に寝床を作ってるってのは本当か?」
ええええ、どうして黒猫君、そんな恐れげもなく声が掛けられるの!?
黒猫君の大きな声が響き渡ると、ドラゴンが脅すつもりかなんなのか、その長い首の先の頭を下げて私たちに顔を寄せてきた。
「なんだ人間混じりよ。ワシが寝床を整えてたらなんだ?」
「その言われようは初めてだな。そのあんたの寝床ってのはあの山の上か?」
そう言って黒猫君が橋の向こう、左奥に見える山を指さして尋ねると、ドラゴンがその長い首の先の頭で小さく頷く。
「そうだがそれがどうした」
「じゃあ、あっちの山には用はないんだよな?」
今度は橋の向こう、右奥に見える山を指さした。
「ああ、あの人間どもが荒らしてる山の事か。あんなに汚れた場所には用はない」
すぐに興味なさそうに視線を戻してドラゴンが答えた。
ドラゴンでも汚れてるって思うほど荒れちゃってるんだ。
「なら、あそこにこれからも人が住み続けること自体には、あんたも文句ないんだな」
「勝手にすればいい。ワシは自分の寝床が汚れなければ気にしない」
長い鼻の上にシワを寄せながらぶっきらぼうにそう答えたドラゴンに、私を抱えた黒猫君が難しい顔で先を続ける。
「いや、そうも言ってられないだろう。あっちの山の汚れは川を伝ってこっちの山にも流れてくるぞ」
「……だから何だ」
訳が分からないっという顔をしつつもほんの少しだけ頭を上げたドラゴンに黒猫君が真っ直ぐに向き合った。
「俺と、こいつはそれを止めたい。別にうるさく騒ぐ気はねえが、あの山でやってることを止めねえと、結局はここら一帯森も枯れて荒れ野原になるだけだ」
「ふん。ならばその前に燃やし尽くしてくるか」
「今更ただ殺してももう元には戻らねえだろうな。そんなことよりもいい方法がある」
「なんだ、言って見ろ」
「簡単なことだ。俺たちと一緒にちょっと散歩に来てくれ」
「なんでワシがわざわざそんな事をする必要があるんだ?」
「どの道この辺りを蹴散らすつもりだったんだろちょっと歩き回るくらいいい付き合えよ」
グッと言葉に詰まったドラゴンのその絶妙の間で、黒猫君がニカッと笑って「じゃあついてきてくれ」とまるで当たり前のように言って背を向けた。
ドラゴンは鳩が豆鉄砲でも食らったような顔で歩きだした私たちを見てたけど、とうとう諦めたように生臭いため息をついてトボトボと私たちの後ろを歩きはじめた。




