5 テリースと教会
治療院への帰り道、テリースさんはずっと無言だった。黒猫君もそれをわざわざ邪魔する気はないようで、スタスタと先を歩いて行ってしまう。私は一人テリースさんの腕の中で、気まずい空気に息を詰まらせていた。
黒猫君の話はテリースさんをそこまで落ち込ませるような内容だったのだろうか?
教会の前を通るとき、テリースさんがそれまで以上に顔を歪めて目を逸らした。
あ、そうか。もしかするとテリースさんは死んでしまった司祭さん達の中に知り合いでもいたのかもしれない。そう思えば、あの内容はテリースさんにとってキールさんの裏切りにも取れる凶事だったのかもしれない。
どちらにしても今は尋ねるのが難しそうだ。
因みに私を送り迎えすると言う名目でテリースさんの昼休みを長くして、一旦みんなで一緒に治療院に戻れるようにキールさんが取り計らってくれた。
治療院に戻ると、すぐにピートルさんが厨房に顔を出してくれた。
「ああ、今度はあんたらも一緒か。じゃあ俺の手伝いはいらないか?」
「いえ、私は一度院内の見回りをしてきますから、ここのお手伝いはピートルさんよろしくお願いします」
早口にそれだけ言ったテリースさんは、私を椅子に優しく下ろしてさっさと部屋を出て行ってしまった。
「どうしたんだテリースの奴。なんか顔色が悪かったぞ」
「あの、ちょっと兵舎で色々ありまして」
「また教会の奴らがちょっかい出してきたのか?」
「え?」
黒猫君と二人で驚いてピートルさんを見た。
「あ、いけね。お前ら知らないなら聞かなかったことにしてくれ」
「いえ、そんな訳にはいきません。テリースさんは私たちの命の恩人でもあるんです。今も実はテリースさんがなぜ落ち込んでいるのか分からなくて困ってたところだったんです。もしピートルさんが何かご存じなら教えていただけませんか」
私の言葉にピートルさんが困った顔でガシガシと頭を掻く。
「いや、まあ、もうこの辺では知らないやつもいない話だからあんたらに話しても問題はないと思うがな。あいつ、エルフのハーフなんだよ」
ピートルさんが『重大な秘密』とでも言うように私たちにそう告げた。
でも、それはもう私たちだって知ってる。
「えっと、それはテリースさん自身から昨日伺いました」
「え? ああ、なんだ知ってたのか。だったら分かるだろ。あいつが教会に狙われてる理由」
「へ? ちょっと待ってください、なんでテリースさんがエルフのハーフだと教会に狙われるんですか?」
私の質問に今度はピートルさんのほうがポカンとこっちを見返してきた。
「あんた物知らずだとは思ったが、どうやったらそこまで物を知らないまま今まで生きてこれたんだ?」
呆れるピートルさんに黒猫君が私に代わって返事を返す。
「悪い、俺たちちょっと変わった所から来たんだ。まだあんまりこの辺りの風習に慣れてないのさ」
ピートルさんは黒猫君の返事を胡散臭そうな顔で聞いてたけど、すぐにため息をついてから話を続けてくれた。
「まあテリースが連れて来たんだ。悪い奴らじゃないんだろ、あんたら。で話を戻すがな。ここらでは教会は人間以外の生き物には生きる権利はないと主張してる。教会が崇める神様は元人間なんだとよ」
「はぁ?」
「ちょっと待て。まず、あんたはその神様を崇めてないのか?」
驚く私をよそに、黒猫君がすかさず質問を返す。と、ピートルさんがやけっぱちな声で即答した。
「崇めてるさ。崇めてないとこの辺りでは生きていけないからな」
「悪い、聞き方が悪かった。その神様はあんたにとって本当に信じられる神か?」
「んなわけあるか。崇めないと制裁を与える神なんか誰が信じられる」
ぐえ。そうでなくても私、宗教は苦手なのに。
「……ここでその神様を崇めないと具体的に何が起きるんだ?」
「まず、税が払えない」
え、それっていいことじゃないの?
「ひでーな」
「え? なんで? 税金なんて払わなくて済めば楽じゃないの?」
「馬鹿。税金を払えないってのはその社会に属することを許されないってことだ」
「?」
「要するに、この街の市民権がないってことだと思えばいい」
え? あ、そういうことになるの?
「次にここを含む医療、公共機関が使えない」
「ああ、だから治療院は教会主導だったのか」
「そういうことだ」
これは私でもわかる。
「そして最後に。テリースのような教会が認めていない人以外の存在や神を崇めぬ不届き者を、あいつら一括に『非人』と呼ぶんだがな。教会はその『非人』を所有する権利を所持してる」
「……奴隷か?」
「いや、もっと酷い。奴隷には最低限、不殺のルールがある。いくら奴隷と言えど、所有者が奴隷を殺せばそれは犯罪になる。まあ、普通の殺人罪よりは軽いがな。だが、教会所有となった『非人』は殺してもなんの罪にも問われない。だから大概教会は裏社会に売っちまう」
「え、それって……足を切って売るっていう……」
「あんた幸せな奴だな、裏社会に丸ごと売られて足だけで済むわけないだろう。全身バラバラか首なしだな」
あ。一瞬クラっと来た。
「それでキールがあいつを奴隷として買ったのか」
「ああ、あんたらそこまで聞いてたのか。そういうことだ。ほらテリースの奴、ほっときゃハーフだなんてわかんないだろう? だからあいつがここに住み着いて5年、誰も疑っちゃいなかったんだ。だが5年もするとさ、あいつがキールと比べて全く歳を取らないのがいくらなんでも不自然になってきた。で、教会からテリースに何回か呼び出しが掛かって、そろそろマズいぞって時にキールが突然テリースが罪を犯したから軍の奴隷として自分が所有するって発表した」
「うわー、すげ。キールの奴マジで色々立ち回りが良すぎ」
珍しく黒猫君がキールさんを絶賛してる。
「ああ。あいつは俺たちのキングだからな」
「へ?」
「あ? ああ、あだ名みたいなもんだよ。ほら、あいつ王様って感じだろう?」
「そ、そうですか?」
どちらかっていうと大きな野蛮人って感じだけど。
「そういや、あんたら。料理はいいのか?」
「あ、いけね。先に支度だけしちまおう。昼は簡単だから。あゆみ、暖炉に火をつけてくれ。ピートル、食糧庫からジャガイモとミルクを持ってきてくれ」
「今なんつった?」
「ジャガイモとミルクだ」
「……ミルクなんてどうやって手に入れたんだ?」
「それは今は秘密だ。あ、他の物に手を付けるなよ?」
なんだか偉そうな黒猫君の言葉にピートルさんが首を傾げながらも食糧庫へ向かう。じゃあ私も働かなくちゃっと杖を突きながら椅子から立ち上がった。
「あゆみ、今朝見せた火口と昨日の燃えさしもこっちに持ってきてくれ」
「ミルク手に入れられたんだね」
「ミルクだけじゃないぞ。思っていた以上の成果だった」
そう言ってニヤッと猫の顔で笑ってから、黒猫君が昨日同様、薪を咥えてきては器用に暖炉に積み上げてく。
あれ? なんか黒猫君、昨日よりも楽々薪を咥えられてるよ?
「あれ? ちょっと待って、黒猫君、やっぱり君大きくなってない?」
「あ、お前もそう思うか? 実は俺もちょっとそう感じ始めてたんだ」
「うん、大きくなってるよ。だって黒猫君、前は私の足首にすり寄ってたのに、今黒猫君の背中が私の膝下に来てるよ? え、よく考えたら黒猫君の今のサイズって中型犬くらいあるよね?」
「ああ。俺もそう思う」
「一体どうなってるの?」
「俺に聞かないでくれ。こっちだって驚いてるんだから」
「もしかしてこっちの猫って育ちが早いのかな? 後でテリースさんに聞いてみないとね」
「そうだな。まあ、先にともかく料理を終わらせちまおう──」
「おい!!!」
厨房の扉から血相を変えたピートルさんがこちらを凄い顔で睨みながら駆け込んできた。
「お前らどこで盗んできたんだ!!??」
ピートルさんのあまりの血相に思わずビクンと飛び上がった私をよそに、黒猫君がしれっとした態度でピートルさんに答える。
「何言ってんだ。盗むわけないだろ。それは順当な報酬として俺たちが手に入れて来たんだ」
「んなばかな。今時、肉屋のジジイの寝床を漁ったって肉なんて見つかんねーぞ」
「そりゃないだろうね。だがある所にはあるのさ」
そう言って得意そうに胸を張る。猫の胸を。ちょっと大きくなった分、前より偉そうに見える。
「言っとくがまだ他の奴らには秘密だぞ。これからだって手に入るんだ、馬鹿な気は起こすなよ。あんたにはちゃんと今夜多めに出してやるから手を付けずに見張っててくれ」
「……わかった」
ピートルさんがすごく真剣な面持ちで何度もうなずく。
うわ、肉の効果絶大だね。
「さあ、昼飯を作っちまうぞ」
元気よくそう言った黒猫君は、軽々と飛び乗った机の上から容赦なく私たちに指示を飛ばし始めた。




