26 対価
「では秘書官のお二人も賛同されていることですし、これは北ザイオン帝国からエルフ族への依頼と取らせていただきます。よってこの件に関しましてはキーロン陛下と陛下の王国に正当な対価を要求いたしましょう」
なんか落ち着きのないシモンさんの様子が気になったけど、私たちが何か言う間も与えずにシアンさんが私たち全員に向かって朗らかにそう宣告した。
途端キールさんが顔を引きつらせ、テリースさんが顔をしかめる。黒猫君は用心深くシアンさん達を見返し、私は反射的に聞き返した。
「ど、どんな対価ですか?」
問いかけた私にシアンさんが振り向き、私に向けられた紫色の双眸が一瞬だけ不安気に揺れた気がした。だけどそれは次の瞬間には綺麗に消えちゃって。今度はキールさんじゃなく私を真っ直ぐに見据えながらシアンさんが口を開く。
「王室秘書官とエルフ王族の婚姻を申し出たいと思います」
私を見据えてはっきりとそう告げたシアンさんの言葉に、反射的にズキンっと心臓に痛みが走った。
婚姻てまさか──
「まさか、く、黒猫君とシアンさんの……ですか?」
聞き返した私の声が自分でわかるほど震えてる。机に乗っていた指先がカタカタと音をたて始め、それが恥ずかしくてなんとか動揺を押し殺そうと自分で自分の手を握りしめた。
でも私の胸の痛みや動揺なんてお構いなしにシアンさんが先を続ける。
「いいえ、私とネロ様ではありませんわ。そうではなくて、このシモンをあゆみさんの婿にして頂きたいの」
「へ? 私?」
「おい!」
思いもよらないシアンさんの返答に、凄く気の抜けた声が勝手に私の口から漏れだした。それまでの緊張の反動もあってそれ以上言葉が出てこない。
そんな私に微笑みながらシアンさんが畳み込むように続ける。
「幸いネロ様とはまだ本当のご夫婦になられてないようですし、あゆみさんはキーロン陛下の親族でもあられます。王室どうしの婚姻はこのような国同士の取引を末永く良好に保つ上で非常に有効な手段だと思いますがいかがかしら? ねえキーロン陛下?」
「お待ち下さい大叔母様! いくら何でもそれは無茶苦茶です。この二人はつい最近結婚したばかりなんですよ!?」
「分かっていますよテリース。別にあゆみさんにネロさんと別れろって言ってる訳じゃないの。ただこの子も貰ってほしいのよ。この国でもあゆみさんたちの国でも複数の伴侶を得るのは別に禁忌じゃないでしょう?」
焦ってテリースさんが仲裁に入ってくれると、それにかぶせるようにサラサラとシアンさんが返答を返す。
シアンさんの勢いに負けちゃってすぐに反応出来なかったけど、これは!
私は慌てて口を挟んだ。
「待ってくださいシアンさん! そ、それだけは初代王太郎さんの持ち込んだ間違いです。私が住んでいた日本では少なくとも結婚はお互い一人だけでしたから」
「……そうなの?」
うあ。シアンさんの目が一瞬で凍り付くほど冷たくなった。その本気の怒りを真っ向から受けた私は、蛇に睨まれたカエルのごとく一瞬で完全に凍り付いた。その眼光のあまりの鋭さに背中にだらだら汗が流れ出す。
どうしよう、シアンさんがメチャクチャ怒ってる!
だけどこのまま黙ってるわけにもいかず、私は何とか一言小さな声で「はい」と返事を絞り出した。
私がどんな勢いで怒鳴りつけられるのかと身をすくめて反応を待ってると、それまでの怒りが嘘のようにシアンさんが涙目になってシモンさんの袖を掴んで噛みしめた。
「ぬ、主様ったら! もう文句の一つもいってやりたくてもとっくの昔にご自分だけ旅立たれてしまって。悔しいったら!」
そう叫びながらシアンさんは、私たちが呆然と見守る中、一通り『主様』あての文句を繰り返し続けた。それをシモンさんが何とか取りなし、シアンさんが立ち直ったところでやっと顔を上げ、開き直ったように私たちに告げる。
「でもこの際『日本』の習慣は関係ありません! 今この国では複数の伴侶を持つことは許されてるはず。特に王族に連なる者は個人的に文官などの立場を与えてそばに置くこともあると聞きます」
へ!? そんな話は聞いた事なかった!
驚いて私と黒猫君がバッと振り返るとキールさんが気まずそうに視線を泳がした。
「き、キールさん、それ本当ですか!?」
「まあないとは言えん。決して強制でもなんでもないがな」
それって、まさか───
「イ、イアンさん、まさか今日の講義で皆さんがわざわざ自分の年齢を申告したり、訳の分からない質問したりしてたのって……」
「……お二人の文官候補は、まあ、そういう意味合いもないわけではありませんですから……」
私の問いかけにイアンさんまで気まずそうに視線を泳がせながら答えてくれた。
うあああ。あれってじゃあもしかして公開お見合いパーティー状態だったんだ!
あまりの事実に言葉が出なくなっちゃった。
ハッとして黒猫君を振り返る。
「ま、まさか黒猫君も……?」
途端黒猫君が慌てた様に手を振って一生懸命答えてくれる。
「ま、待てあゆみ。確かに俺も文官の面接をさせられたが結局誰も選んでねーぞ。大体そんな趣旨だなんてまるっきり聞かされてなかったしな」
キッと今度はキーロンさんとイアンさんを二人で一緒に睨んだら、二人して責任を押し付け合うようにしばらくお互いを肘で突きあって。結局キールさんがゴホンっとわざとらしく咳払いして返事をしてくれた。
「あ、ああ、本当にそんな深い意味はない。別に必ずしもそういう意味合いで選ぶ必要もないし、君たち二人に専属の文官が必要なのは事実だ」
「だとしてもキール、お前そういうことは先にいっておけよな……」
黒猫君が不満そうにキールさんに愚痴ってる。全く持って私の言いたい事そのままだから私も力強く頷いといた。
「でしたらやはりシモンとの婚姻にはなんの問題もありませんわね」
私たちのやり取りを暫く静かに聞いていたシアンさんが話が途切れたのを見逃さずにきっぱりとまた断言する。
待って、これまさか私の重婚が正式に決まっちゃう流れなんだろうか!?
私は慌ててなんか他にもいい言い訳がないかと考えた末、突然思いついてシモンさんに向き直った。
「で、でもシモンさん、テリースさんのお祖父様なんでしたら奥様がいらっしゃるはずですよね?」
ここに気づいた私偉い。これならシモンさんの奥様に申し訳ないって言って切り抜けられる。きっとシモンさんの奥様も賛同してくれるはず。
そう思ってホッとしたのもつかの間。シモンさんが苦笑いしながら照れたように申告してくれた。
「ええ、確かに以前は結婚もしていましたが、あいにく2500年ほど前に死に別れましたので今は立派に独身です」
そ、そんなこと照れながら言わないで欲しい。
「ええ、ですからこの結婚には特に障害になるような問題は何一つありません。それどころかこの北ザイオン帝国の王室とエルフの王室が婚姻関係になれば、今後もお互いに多くの利点を見いだせる事でしょう」
他に有効な言い訳が何一つ見つけられず、焦りまくってる私をしり目にシアンさんがまとめるようにニッコリと笑ってそう言いきった。
横ではそれを聞いていたテリースさんが青い顔で「あゆみさんが私のお祖母様に……」とか呟きながら目をまわして倒れ込む。
ずるい、私だって倒れちゃいたい。
「それであゆみ、君はどうしたい?」
現実逃避気味にテリースさんの背中を睨んでた私に、キールさんがトドメの様に落ち着いた声で問いかけた。




