25 エルフとの対話
それからしばらく夕食の準備ができるまでの間、キールさんが結界石の必要性をシアンさんとシモンさんにとくとくと説明した。
シアンさんとシモンさんは黙って話を最後まで聞いてからさっぱりとした顔で口を開いた。
「お話は分かりました。それでは先ずはキーロン陛下のお話をもう一度確認させてくださいね。先ず一つ目、その『ウイスキーの街』の城壁にここと同様の結界魔法を設置されたい。二つ目、街の中にいる傀儡魔法に侵された者に結界石がどのように影響するかを知りたい。この二点についてエルフに協力要請なさりたいということでいいですかしら?」
シアンさんのまとめはとても簡潔で、キールさんが一時間近くかけて説明した街の状況や私達とのつながり、傀儡にされた人たちの哀れな現状などは綺麗サッパリ削ぎ落とされていた。
そんなシアンさんの問いかけにキールさんが少しムッとしながらもそれを押し殺し、しばらくジッと考えてからゆっくりと頷いた。
するとシアンさんは一つ小さく頷きかえして今度は私と黒猫君に向き直る。
「あゆみさんたちもキーロン陛下の要請に賛同されていると考えていいのかしら?」
黒猫君と私は顔を見合わせ、ここに来る前にテリースさんがくれた忠告を思い出してよーく考えてみる。だけど今のやり取りをどんなに考えてもシアンさんのまとめはあまりに簡潔で疑うこともツッコミを入れる事も何も思いつかない。仕方なく私も黒猫君も頷き返すとシアンさんがその紫色の瞳を叡智に輝かせながら私達を見回した。
「よろしいでしょう、それではエルフの回答を差し上げます。先ず二つ目の懸案ですけれど。こちらはあゆみさんから今朝尋ねられていた内容と重なるので先に答えて差し上げますわね」
そういってシアンさんが机の上にさっきの煮干しをいくつか取り出して円状に並べていく。
「一定以上の大きさを持った結界石というのは近くにある同程度の大きさの結界石とお互いの間に強い線を引き合う性質があります。この結界石の持つ属性の魔術で引かれた線は通常同じ属性を持つ者しか通しません。ですからこの線で区画を囲うと、同じ属性の持ち主以外はその地域の外からも中からも線を超えられなくなるのです」
そういって煮干しの間に指先で線を引いてみせ、もう一匹の煮干しが線をまたげないとジェスチャーで示す。
「生属性は生きている限り全ての生き物が少なからず持っています。それを持たない死者はこの線を越える事が出来ません。ですから結界石は街の周りに境界線を引くだけで、中の全てを守っているわけではないのです」
「……その言い方だと中に入れる可能性があるように聞こえるが?」
キールさんの質問にシアンさんが軽く頷いて応える。
「ええ、例えばもしもこの世に完全な『転移』が可能な者がいたとしたら簡単に入りこめますでしょうね」
そういって。手に持っていた煮干しをボトリと煮干しで作った円の中に落とした。
えっとちょっと待って。転移って確か私達がこの世界に来る時にしたのだよね?
私の思考がちょっと横にそれた隙きにシアンさんがまた続きを話し始めてしまう。
「ご質問にお答えすればすでに時間停止を受けてる方たちも、それ以外に潜んでいるであろう他の傀儡者たちも、この線を越えようとしない限り問題は起きません」
他の傀儡者……やっぱりいるのだろうか。多分私たち全員がいつも無視しようとしてきた問題をシアンさんの返答ではっきりと突き付けられて、私たちは言葉もなかった。
「『何かの魔法を常時流し続けることで傀儡魔術をかけた者たちを救えるのではないか?』」
そこでシアンさんは手の中の煮干しを指で摘んで私たちに見せつける。
「これは今朝あゆみさんに尋ねられた懸案ですが『技術的には可能です』とお答えしましょう。でもよく考えてみてください、傀儡魔術をかけられた者はすでに一度死亡しているのです。その身体はもう年を取ることもありませんし、それをしてしまったらその者たちは逆に『寿命を持たない者』になってしまいます」
そこで少し目を伏せたシアンさんの顔は何故か少し悲しげで。
「寿命を持たない者の末路は決して幸せなものばかりではありません。例え肉体が年を取らなくても、心は間違いなく年を重ねます。あゆみさんの意図するところの『救う』という言葉の定義にもよりますが、本当の『救い』を与えたいのであれば……私は即刻その者たちを土に返すべきだと思います」
『寿命を持たない者』
シアンさんに指摘されて初めて気が付いた。
そっか、これはそんなに簡単な問題じゃなかったんだ!
見れば横で黒猫君も顔を苦しそうに歪ませてた。私はあの時ルーシーちゃんを失って、そんな事は考えずに一人でも救えればって思ってたけど、正直救ってしまった後のことまでは深く考えていなかった。
一気にズシンと胸が重くなる。
救われた人たちが『寿命を持たない者』になってしまったとして、その後彼らがどうするのか、どうなるのか、私には責任がもてない。
かといってもし救わない選択をしたとして、彼女たちが救われるのを待っている人たちになんて説明したらいいのかも分からない。
まさかこのまま私達が何とかしてくれるんじゃないかって希望だけ持たせて、永遠に時間を止めておく分けにもいかないし。
重苦しい沈黙を続ける黒猫君と私の顔色をチラリとうかがったシアンさんはふうっとため息をつきながら続けた。
「それでもあゆみさんがどうしても、というのであればそれぞれに寿命期限を付ける形で傀儡師による乗っ取りを防ぐ方法をあとで特別にお教えしましょう」
私はハッとしてシアンさんを見た。シアンさん分かってたんだ、私が苦しむって。だからこんな言い方をしてくれたんだ……。
「すみません、無理をいって……ありがとうございます」
私の胸から溢れる感謝の籠った返事に少し困った顔で微笑み返してから、シアンさんがすっと表情を消して今度はキールさんを見据えた。
「さて、では次にもう一つの『ウイスキーの街』の防御についてお話しする前に、まずは一点はっきりさせて頂きたいと思います」
それまでの少し優しい雰囲気をきれいさっぱり振り落として、シアンさんがまたも無機質な声音でキールさんと私たちに向かって話し始めた。
「今日はキーロン陛下と秘書官のお二人、それにイアン様もご一緒ですわね。突然とはいえ、この顔ぶれでいらしたということは、これは北ザイオン帝国キーロン国王陛下の正式なご訪問と受け止めて宜しいのでしょうか?」
シアンさんの声は変わりなく和やかなものなのに途端私たちの間に微妙な緊張が走った。キールさんの顔が間違いなく強張ってる。
無理もないよ、だって私たちそんな事考えもせずに来ちゃったから。きっとキールさんだって同じだ。
「そ、それはシアンさん──」
「今日のご訪問は昨日とは違いますわ。前もって使者も頂いていましたし」
何とか取りなそうと口を開いた私をさえぎる様にそういってから、シアンさんがゆっくりと私たちを見回して言葉を続けた。
そのまま気まずい沈黙が私達の間に留まった。
数分の沈黙の果てに、キールさんが諦めたように「ああ、そう考えてもらって構わないだろう」と言って頷きかえす。それを確認したシアンさんがパッと顔を輝かせ、シモンさんがため息を付きながら私達から視線を逸らした。




