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閑話 黒猫のぼやき2

 やばい、やばい、やばい。

 ここ思ってた以上にマジでヤバかった。

 今まで色々回ってきたけど、こういう場所には無理して近寄ったりしないようにしてきたのに。


 今日は本当に色々あった。

 まずやっと兵舎を出てテリースが働いているという治療院に移ることになった。

 話を聞くにどうも働いているというか住んでるようだ。


 そこに向かう途中であゆみの足の保障金の裏事情を聞かされてマジ引いた。

 国が保障金を出すほど肉体の売買が横行してる。

 あゆみは多分半分も意味が分かってない。

 こいつは自分のことでいっぱいいっぱいだから、多分売買されているのを足だけだと思っているのだろうがそんなはずないだろう。


 内臓系の治癒魔術はあまり発達してないってことは腹の中身は大丈夫か?

 そうだとしても、下手したら頭以外そっくりってのはあるんじゃねーのか?

 確認したいようなしたくないような。


 で、しかもこういうことがここまで表立って出来てしまうってことは、裏社会が結構しっかりしちまってるってことだ。

 それはそのまんま、中央政府とやらの統治力の低さを示す。

 ヨーロッパの下のほうの、どっかの国のようなもんだ。


 その場合、多分需要と供給がバランスしてる限り、突然身体を奪われるってことはないと思いたい。

 いっそ猫の俺のほうがあゆみより安全と言えるかもしれない。

 かなりひでえ状態だって覚悟を決めたその話は、だけどまだ始まりでしかなかった。


 治療院は……思っていた以上に酷かった。

 あゆみは外見に(おのの)いていたが、ヨーロッパでさえこれくらいは下手したら現代でもある。

 だが蝶番が買えないって、それは鉄の価値が上がりすぎてるのか、ここが本当に貧しすぎるのか。

 どちらにしても、それがこの1年ほどの間に起きているってのは嫌な予感しかしない。


 提供された部屋は清潔だけが取り柄の質素な部屋だった。

 テリースはこれでもわざわざ二階の部屋を空けたって言うけど、あゆみの足の状態を理解してるんだから、一階の一階の診察室を空けてくれてもいいだろうに。

 まさか、自分じゃ階段上がれないあゆみを毎日抱えて上がるのが目的だったりしないよな?


 院長室に入ったら病院でするのと同じクレゾール臭がした。

 馬鹿な。クレゾールをここで作れるはずがない。


 瞬時に警戒した俺の反応をしっかり見ていた院長が、すっとぼけてわざわざウイスキーの匂いだと説明してくれた。

 確かにウイスキーからも似たような匂いはしていたが、それにしては香りが強すぎる気がする。

 この院長、なんか胡散臭い。


 部屋はタダだが、テリースと院長はあゆみに厨房で働く代わりに食い物を提供してもいいと提案してきた。

 それに対してあゆみは自信なさそうに俯いて、いつまでたっても返事しない。


 この状態で断る、なんて選択肢はありはしないってのに。

 どうせ断れないなら、いっそ偉そうにしてたほうがまだ有利なのが分かってない。


 仕方がないので俺が勝手に決めてしまう。

 まあ、今までにもそこそこ酷い国は回ったからなんとかなるだろ。


 そう思っていたが、ここは俺の経験の中でも底辺に近いぞ。


 あいつら分かっててあんな言い方してたのか?

 テリースは俺たちを馬鹿にするつもりだったのか?


 いや、それはないな。

 わざわざそんなことしてもあいつに利はないし、そんなやつではない気がする。

 突っ込んで少し文句を言えば、案の定、逃げ出してもいいと言いやがった。


 こいつ、本当に腹黒にはなりきれそうにない。

 多分こいつなりにあゆみのことを考えてくれたんだろう。

 金がなく、食べるものも尽きていて、それでも兵舎を出ていかないとマズいあゆみが取り合えず住める場所だけでも確保してくれたのか。

 まあ、一日二日食えなくても死にはしないが。

 もしかしたら、しばらくしたら食い物を手に入れる手立てがあるのかもしれない。


 逆に気になるのはあゆみのほうだ。さっきっからやたらと簡単に諦めすぎる。

 まあ、あの日も朝から酒の匂いさせて綺麗な服着て朝帰りしてたくらいだ。

 しかも疲れ切って電車で仮眠してた俺を、だらしないと責めるような目で見てきやがった。

 こんなんじゃ、バイト一つしたこともないのかもな。


 思い出と今のこいつの態度が重なって、ちょっとだけイラつく。


 厨房は普段から手入れされているらしく、綺麗になっていた。

 ちゃんと火をつけられる場所もあり、水場もしっかりしている。食料も届いているらしい。薪も充分積み上がってる。

 それを確認した俺はあゆみを黙らせ、なんとかすると言ってテリースを兵舎に送り出した。


 だが正直、俺の考えは甘かった。

 いくらサバイバル教室って言ったって、今時ポリタンクくらいは使う。

 火打石だってマグネシウム入りで簡単につけられる。

 大体あそこは健康じゃないやつが来るところじゃなかった。


 俺が回った貧乏国には、そりゃ足のない奴とか手のない奴もいた。

 だけどみんなその状態にもう慣れていて、大抵のことは自分で出来るようになってたし、貧しい奴らは貧しいなりにお互い助け合ってやっていた。


 それがこいつにはなかった。


 水を運ぶだけでも泣きが入ってる。

 多分まだ床に這いつくばって物を引きずってくるってのが、もうそれだけで辛いのだろう。

 現代人だもんな。


 俺だって正直手伝ってやれるなら手伝ってやりたいが、猫の身体で出来ることなんてほんとなんもねえ。

 見ているしかないのがやるせなくて、つい、キツイ物言いになっちまう。

 しかも食材はシケた野菜だけ。

 これで十人分とか冗談だろ。

 せめてパンが大きいことを祈ろう。


 他にもなんかないか、食糧庫の中を飛び回ってみたが、ホントになにもない。

 これだけの広さの貯蔵庫があるってことは、冬はよっぽど寒いんじゃないのか?

 不安が広がる。


 袋に入った穀物を見つけたのはラッキーだった。

 これが最後の食料とかだったら笑えないが。


 麦っぽいから麦だってことにした。

 俺だってそんなの見分けは付かねえが、この手の穀物はほぼどれも挽いときゃ使える。

 あれはブルガリアの農村だったか? やり方見せてもらったの。

 うろ覚えだったがなんとかなった。

 モミを濾すのは無理なので諦める。大きいやつだけはあゆみに手で取らせた。


 火をつけるのもまた一苦労だった。

 俺も古い火打石は昔イギリスのサバイバル教室の奴に見せてもらったことはあったが、あの時は確か自作の火口(ほぐち)を使ってた。

 作り方も教えてもらったことはもらったが、昔は木綿でやってたが今はティッシュで作ると言ってそれしか試さなかった。

 その火口だって、まず火があってこそ作れるもんだ。

 今の俺達には作れない。


 まずは火打石で直接藁に火がつけられるか試したが、藁が湿っているのか全然火がつかない。

 あゆみが慣れてなくて火花があんまり飛ばないのも困る。

 ここまでなんも無いと、こいつじゃなくても俺だって泣きたくなる。

 でも、かといってすでに充分切羽詰まってるあゆみをこれ以上心配させるわけにもいかない。

 仕方ないのであの時教わった火をつけられる触媒を探す。


 木の下の枯れ葉はすでに湿ってて使えない。

 ふと見上げた木の上から鳩の鳴き声が聞こえた。


 あいつらの胸毛は確か使えたんじゃなかったか?

 昔料理で使うときに羽を火で焼いたことあったがよく燃えてた気がする。


 そんなこと思う前に、本能が俺を動かした。


 気配を殺し、木を駆け上がって飛びつく。なんか以前にも増して身体が軽い気がする。

 そのまま鳩の首を噛み折って、木の下に飛び降りた。

 口の中に感じた、鳩の首の折れる感触が気持ち悪くて気持ちいい。

 総毛だった。


 大きく深呼吸して胸毛を口で引き抜き、丸めた状態で口にくわえてあゆみのところへ持っていく。

 だが、あんなに苦労して手に入れたのに、鳩の胸毛は一瞬火花がついただけですぐ消えてしまう。

 猫の口じゃ悔しくても唇も噛みしめられない。

 動揺を隠してまた外に探しに出る。


 そう言えばタンポポの綿毛って使えたはずだ。

 ただあっという間に燃えちまうから量がいる。


 大体こういうサバイバル系の生活ってのは準備がやたら大切なんだ。

 準備さえちゃんとしてあれば大抵なんとでもなる。

 ここまでなんも無いと準備も何もないけど。


 あゆみがさっきの藁を丸めている間に小枝を探してくる。

 こっちはあれだ、森の生活体験でやったやり方でいけばいい。

 細いのと太いの数本咥えては戻る。

 それを薪の前に太い物から順に積み上げる。

 あゆみの作った鳥の巣のような藁を見て殺しちまった鳩のことが頭を過る。


 あれも後でなんとかしないと……


 あゆみがタンポポの綿毛でやっとこさ火をつけている間に、テーブルに飛び乗って今日の食材を再度確認した。

 ジャガイモがあるのはありがたい。

 どうも地域や時代背景に合わない気がしたが、そんなことはもうこの際どうでもいい。

 今まで何人も転移者がいたらしいし、誰かがどうにかしたのかもな。


 ジャガイモは皮の部分でも確かイーストが作れたはずだ。

 ただ、密封できる入れ物がない。

 現代の密封容器ってすごいよな。仕方ないので壺に入れて紐で結わかせる。

 本当にこれで出来るだろうか?

 聞いたことはあっても皮でやるのは初めてだ。


 あゆみにジャガイモと粉を混ぜさせる。

 この手の団子は腹に溜まるし、スープにとろみをつけて食べでを増やしてくれる。

 まさに貧乏人の知恵だ。


 もう少し芋と粉が細かく挽ければニョッキも作れるんだが。今度茹でる方でやってみるか。

 貧乏でも芋さえあればなんとかなるんだよな、実は。


 鳩の死体を見て、とうとうあゆみが本格的に泣き出した。

 ズキンと心が痛んだ。


 殺したのは俺だ。

 海外で猟もやったし鳥も散々捌いてきたが、自分の口で生き物を殺したのは初めてだった。

 考えた途端、ゾクゾクとまたさっきの本能的な喜びと恐怖が襲い掛かってきた。

 それをなんとか押し殺して、あゆみを見つめて話しかける。


 可哀想なことに、あゆみは馬鹿じゃない。

 俺がちゃんと話して状況を説明すれば逃げることも出来なくなる。

 申し訳ないがこれでも肉は肉だし、何より俺が殺しちまったこの鳩を無駄にだけはしたくなかった。


 思った通り、泣きながら、それでもあゆみは鳩の始末を始めた。

 手先は器用なようで、説明さえちゃんとしてやればなんとか自分ひとりで全部やりのけた。

 内臓を見て嫌がるかと思えば別にそんなこともなかった。結構平気で手づかみで外してた。


 取り出した内臓を土の上に捨てさせる。実は、考えていることもあるが。まだそれに手を付ける勇気がない。


 やっと作業が一段落し、鍋を見張ってるあゆみが俺のやってた職業を聞くのでかい摘んで説明してやった。まあ、もっとかい摘めばフリーターって一言に尽きるんだが。


 あゆみはこのなりで22歳らしい。もう少し若いのかと思っていた。

 俺がこのくらいの年にはもうほとんど日本にはいなかったな。


 俺たちが全ての犠牲を払って作った夕食を、病人たちが喜んで食っていた。

 やけにテリースが真剣にスープを分けると思ったら、どうも患者の間で入っている肉の量を比べてるようだ。

 一体いつから肉無し生活してたんだこいつら。


 院長はあのポーカーフェースのまま何も話さない。

 テリースだけが心底申し訳なさそうに謝っていた。

 どうもこの病院には内臓疾患の患者はほとんどいない気がする。

 どうなってるんだ?

 それでも数人は部屋から出てこれないって言うから、それが内臓疾患の患者なのかもな。


 皆が食い終わらないうちに、大声であゆみの手伝いを出来る奴がいないか聞いた。

 案の定、真っ先に鍋に寄ってきてた2人の患者がすぐに手を上げた。

 少しでも多く夕食にありつきたいのが見え見えだ。


 だがそれで構わない。実際に少し多めにやればいい。それで人手が手に入るならめっけもんだ。


 食後、折角俺がテリースに片付けをやらせるように交渉してやったのに、結局あゆみは洗い物を手伝っていた。

 こういう無駄な気遣いするのってホント日本人くらいだよな。


 そのままあゆみが上に這いずっていこうとしていたので、あわてて庭で水浴びをするように勧める。

 鳩を捌いたんだ、服は血だらけの泥だらけ。

 そのまま寝るのは無理だろう、俺の嗅覚が。


 あゆみが思い出したように俺にも水を浴びろと言いだした。

 どうもこの身体になってから水の近くは気分が悪くなる。特に水が背中に付くと毛が勝手に逆立つ。

 出来れば避けたかったが、あんまりしつこく呼ぶので仕方なく外に出てみれば、あゆみはまだ下着姿のままだった。


 まあ、もう何度も見たけどな。

 そろそろ俺、人間としてこいつの中で恥じらうべき相手としては認識されなくなってきている気がする……。


 片足のないあゆみは、井戸の端に座って俺に水を掛ける。

 するとまあ、あゆみの下着がすぐ俺の前に来たりするわけだが。

 俺猫だから夜目利くし。

 こいつ、また下着を着たまま水を浴びたらしく、下着が水で張りついて、角度によっては見ちゃいけない物も色々見えてる気がするんだが。


 ……役得と思って黙ってることにした。

 猫便利だな、顔色が分からない。


 ついでに娼館の話をしておく。

 いつかは言わないわけにいかなかったし、これから人が一緒にいる機会が増える。

 しかもこんな水浴びのあと、上に行ってからしたい話じゃない。


 どうもあゆみは結構本気でその道で生きていく可能性も考えたようだ。

 まあ、初めてじゃないってのもあって少し考えが柔軟なのかもしれない。

 悪いがこいつがもう処女じゃないと聞いて内心かなりほっとした。

 それは多分、こいつにとってすごく幸せなことだろうと心底思う。


 こんな世界じゃ、いつどこで誰に襲われるか分からない。

 現代でだって、ちょっと貧乏な国の田舎に行きゃ倫理なんて有って無いようなもんだ。

 そんな話はいくらでもある。

 下手すりゃ男の俺だって危なかった。


 しかもあゆみはあの足だ。大した抵抗など出来ないだろうし、俺も猫のこの体じゃ大したことはしてやれない。

 無論、そんなことにならないように注意はしているが、俺に出来ることには限界がある。

 いつ、どこでそんなことが起きてもしょうがないと、実は少し覚悟をしていた。


 娼婦の利点もちゃんと選択肢の一つとして考えた上で、あゆみはここでまだ頑張ると言う。

 俺も内心ほっとしながらそれに賛成した。

 そのあとで気づいたようにあゆみが娼館に行けば綺麗なお姉さんたちがチヤホヤしてくれると言うのには参った。


 ああ。チヤホヤ以外もさせられるかもしれない。

 ちょっと妄想がいらない方向に彷徨っていく。


 そこで話が戻ってやっと火口を作ってない事に思い至る。

 やべ、煩悩飛んでけ!


 厨房でみつけた古い木綿の布巾の切れ端を使って火口(ほぐち)を作らせる。

 上手くいくといいが。


 そこでテリースが入ってきて、この世界の聞きたくもなかったいや~な話が始まった。

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