26 停止
「あゆみさん。少しは落ち着いてお茶でも飲んで」
レネさんが自ら入れたお茶を私に差し出す。何の気なしに口を付けそうになって慌ててやめた。
それを見たレネさんが苦笑しながら続けた。
「このお茶には何も入ってませんわ。ほら、私もちゃんと一緒に飲みますから」
そう言って同じポットから自分のカップにも一杯ついで目の前で美味しそうに飲んで見せてくれる。横に座ってるキールさんも頷いてるのでやっと安心して手を付けた。
でも口に含んだお茶は決して美味しくはなかった。美味しくないって言うかちょっと苦い。それが顔に出てたみたいでレネさんとアルディさんが小さく噴き出した。
「僕も先程いただきましたがテリース曰く強壮効果のあるハーブをつかってるんだそうです」
アルディさんが同じように入れてもらったお茶に少し顔をしかめながら説明してくれた。
そうだったんだ。そういえば私の首もレネさんの痛み止めが効いてるらしい。
ここに入ってすぐテリースさんに隣の部屋で身体をチェックしてもらった時に教えてもらった。
他の傷は治せても首の周りの痣はしばらく残るのだそうだ。火傷のせいで出ていた熱もレネさんの解熱剤のおかげで昨晩の間に下がってるらしい。テリースさんにして素晴らしい調合だと言わせるほどレネさんの調合したお薬は効き目が抜群だった。
「そう言えばレネさん、お薬をどうもありがとうございました」
「効いてるようでよろしかったわ。テリースさんも他は問題ないと言ってらしたのでしょう?」
「あ、ええ、はい。でも一緒にいっぱい怒られましたが」
「あらまあ」
レネさんが少しだけほほ笑んだ。
隣の部屋で診察を受けた私はテリースさんにしっかり叱られた。
実は私、気を失いながらもどうやら二つの魔術をかけっぱなしだったらしい。
一つ目は黒猫君の痛覚隔離。これはすごく危ない事だって怒られた。人間は痛みが分からないと無茶な事を平気でしちゃう。特に黒猫君みたいなタイプは最も危ないよね。
そしてもう一つが排泄物処理の魔法。うん。これは多分無意識に続けてたんだと思う。テリースさんには呆れられたけどこの服でこんな状態で私よく頑張ったと思う。と言ったら思いっきり怒られた。
「いいですか、あゆみさんは自覚がなかったかもしれませんが良いにつれ悪いにつれあゆみさんがすぐに意識を失ったのは失血のせいでしょう」
えっと思わぬことを言われてハタと気づいた。多分テリースさんが正しいと思う。いつものパターンを考えれば気を失ったころにはかなり酷くなってたはずなのだ。
「レネさんからお話を聞きましたがあゆみさんが気を失うには時間が短すぎるんですよ。しかもだからって火魔法が良く収まったものです。通常失血が多くて体力が落ちてしまった場合、他の者に魔力で生力を補ってもらうものなんですがね。あゆみさんの場合、ご自分の魔力が十分過ぎるほどあるので身体が勝手に失血を補うために魔力を生力に変換し始めたんでしょうね。まあ不幸中の幸いというか、そうでなければこの館は焼け落ちていたかもしれませんが」
テリースさんの恐ろしい予測に流石にひやりとした。
「しかもその状態でもネロ君の痛覚隔離と排泄物処理の魔法だけは切らさないなんて全くあなたは。今すぐ全部一旦止めなさい」
「あの……止まりません」
止めろと言われても止め方さえ分からない。なんせ一晩無意識に続けて来てたから意識の外に行っちゃったらしい。私の返事にテリースさんがまたもため息を付いて私に手を差し出した。
「仕方ありません。手を貸してください」
私が自分の手をテリースさんの手に重ねると何も起こらない。
「あゆみさん、私の手に集中してください。ここに魔力はありません」
あ、ああそう言う事か。正しいかどうか分からないけど私はテリースさんの手に感じる普通の温かさと肌の柔らかさ、そして微かな脈動に神経を集中させた。心がだんだん凪いで、フッと気が緩んだその時。
「痛え!」
隣で黒猫君の叫びが聞こえた。
「ほらね」
そう言ったテリースさんと一緒に見に行けば黒猫君が足首を掴んで顔をしかめてた。
ズキンと胸が痛んだ。
テリースさんの言う通り一歩間違えれば私、黒猫君の怪我を酷くしてたかも知れないんだ。
昨日の夜から反省ばかりでもうこれ以上下げる頭が見つからないよ。
自分の馬鹿さ加減と危うさに自分でも頭が痛くなってくる。
私こんなんで黒猫君の近くにいて大丈夫なんだろうか?
「時間かかってますわね」
突然のレネさんの言葉で私は現実に引き戻された。
「そりゃそうですよ。全部で四十数名いる娼婦を一人一人チェックして見つかった奴には痛覚隔離と時間停止を掛けて回ってますからね」
「そうですよね」
アルディさんの説明に私も頷く。
今黒猫君とテリースさんが娼婦の皆さんのチェックをしてるのだ。
黒猫君は昨日ルーシーちゃんの身体に入った『影の王』らしき人が私の魔力が掛かってる間逃げられなくなったのを指摘した。
「これは完全な仮定だけどな、他人の魔力が上掛けされると何かしら術者と傀儡を繋いでるもんが繋がらなくなるんじゃねーのか」
どうもキールさん達はあまり納得しなかったみたいだけど私は一人凄く納得してた。
だってこの『傀儡の魔術』ってなんだかリモコンみたいな感じがする。魔力を電力に近いと感じてたけど、だったらこの場合は電波みたいな役割をしてるんじゃないかな。
とにかく黒猫君が持ち出してきた解決方はテリースさんが痛覚隔離を掛けてる間にキールさんの時間停止の魔方陣を掛けちゃうって方法だった。
上手くいくかどうか分からないけど何もしないよりは絶対マシ。
ただこの方法じゃあ実は魔方陣を掛けられた人が止まっちゃうだけでそれ以上何も出来ないんだけど、これは何かしら魔力をかけ続ける方法を見つけられるまでの時間稼ぎ。魔方陣も魔力をかけなおす必要があるから後でナンシーから溜め石を届けてもらって私の魔力を込めて残していくつもりなのだ。
魔力をかけ続ける方法に関してはちょっとあてがある。正直上手くいくかどうかは保証できないけど。
そんなでも黒猫君が言ってた通り、失敗したとしてもこれ以上は何も出来ない。ならばやれるだけやってみたいという私と黒猫君の強い要望でキールさんが時間停止の魔方陣の書かれた紙を提供してくれた。私たちの給料から天引きって形で。
「あゆみさん、もう一度聞きますけどたかが娼婦にここまでして本当にいいんですか?」
私が顔をしかめつつお茶を飲み始めるとレネさんが尋ねてくる。この質問、答えるのが難しい。難しいけど。
「なんで娼婦だとしなくてもいいんですか?」
「なんでって……」
言葉に詰まったレネさんに私も少し困りながら言葉を探した。
「昨日あの事件が起きる前にルーシーちゃんに聞かれたんです。なんで私は秘書官なんて出来てるのかって。ここの娼館には私同様足をなくした人もいるしその人は他に生きようがないっていってたって」
無邪気に私に質問してきたルーシーちゃんの顔が思い出されて胸が痛くなる。
「あの時私はすぐに答えてあげられませんでしたがずっと考えてたんです。私もほんの2か月くらい前、ここに来ようか迷った事があったんです。足を失ったばかりでお金もなくて、こんな知らない場所に来ちゃって。テリースさんのご厚意で治療院に置いてもらえることになっても自分に一体何ができるのか、生きていく力があるのか自信がありませんでした」
話しながら井戸端で水浴びをしたあの日を思い出す。なんかすごく昔のことのような気がするけどまだたった2か月ほど前のことだ。
「でもそんな中、黒猫君が苦しくてきついけどそれでも私に進める生き方を教えてくれました。そしてテリースさんやキールさん、それにもっと沢山の人たちがいつも手を差し伸べてくれて。始まったところは一緒なんです。単にもう信じられない程私が幸運だっただけ」
私は情けなくて俯きながら続けた。
「レネさんの言ってらした通り、私黒猫君や沢山の人に助けられて今まで甘やかしてもらってきてます」
悔しさはもうなかった。代わりに感謝がいっぱい胸に詰まってた。だから私は顔を上げてレネさんを見る事が出来た。
「私とその同じような境遇の人の違いは本当に必要な時に差し伸べてくれる手があったかどうかだと思うんです。だからもし私からも同じように差し伸べられる機会があるなら差し出したい」
レネさんがジッと私を見つめ、そして小さくため息を付いた。
「本当に甘やかしてもらってきたのが良く分かりますわ。でもそれでは有難くお受けします」
そう言ったレネさんはちょっと寂しそうに私に微笑んだ。




