17 後片付け
「……えあがれ、ってこれなんだっけ?」
「あゆみお前なぁ……」
あれ?
黒猫君のがっかりした声がした。
えーっと。なんか暖かいような寒いような。
目がくっついちゃっててなんか開かない。
「目覚めて……最初の言葉がそれかよ……」
ため息交じりの黒猫君の声が私の耳のすぐ横でする。
なのに私は今だに目が開けられない。
「黒猫君、そこにいるの?」
「目……まだ開けられねーか?」
「え、ああ、うん、なんか開かない」
「じゃあ開けるな」
「開けるなって」
「お前何があったか……覚えてるか?」
えっと。あれ?
なんだ?
全然何にも頭に上がって来ないぞ?
「娼館に一緒に行ったのは……覚えてるか」
「あ、うん。やっと予定してたぶんの書類仕事が終わって外でて気持ちよくて」
「ああ。で……娼館でレネに会ったのは?」
「あ、レネさん。うん。会った。凄い美人さん」
「それでそのレネと……お前が言い争いになって……賭けになったのは?」
思い出した。やめればいいのにお客さんの相手して見せるって言ったんだった。
あ、黒猫君の大きな手がぎゅっと私の手をそれぞれ握ってくれた。
「えっと、お客さんの相手するって言って着替えしてお部屋で待ってて」
誰とだっけ?
「それでお客様が迫ってきたら黒猫君が来てくれてえっと思ったら……」
思ったら、思ったら、思ったら……ルーシーちゃん!
「ル、ルーシーちゃん!」
「やめろ、暴れるなあゆみ。落ち着け」
闇雲に手足をばたつかせた私を黒猫君が優しく押さえつける。
ああ、私座ってる黒猫君に後ろから抱きかかえられてたんだ。
さっきまで両手を握ってくれてた黒猫君の手と腕が今は代わりに私の身体を抱きしめてる。
「ルーシーちゃんは?」
「…………」
「死んじゃったの? あれは本当だったの?」
「……ああ」
そんな。ルーシーちゃん……
いっぱいお話したのに。
着替えを助けてくれてお化粧もしてくれて。
「ルーシーの身体は……ほとんど残ってない。お前が無事なのがっ……分けわかんない程酷かった」
「私の、せい?」
「違う、あゆみそれは違う。お前が魔力を制御できなくなったのは……あいつが死んじまってからだ。あのくそ野郎がっ…ルーシーの身体を乗っ取って。それに怒りを抑えられなくなったお前がっ…意識がなくなるまであいつを焼いただけだ。……その時にはルーシー本人はもう死んじまってた」
黒猫君が私を抱きかかえ、優しくゆすりながらゆっくりと説明してくれる。
何となく思い出した。そう、私はすっごく怒ったんだ。目の前でルーシーちゃんのこと殺したって言われて。それを黒猫君のせいにされて。しかも私を絞め殺そうとして、それさえも黒猫君のせいみたいに言われて。
「黒猫君、大丈夫?」
「あ? なに俺の心配なんかしてんだよ。……まずは自分の事考えろよ。お前マジで……結構酷かったんだぞ」
「え?」
「お前……首絞めてるルーシーのっ…身体にしがみつきながら……火だるまになりやがって……」
さっきっから黒猫君の声がなんか変だ。
「お前自身は自分の火魔法だから問題ないのにっ……燃えてるルーシーの身体は手放さないわっ……燃え上がったカーテンは落ちてくるわっ……」
黒猫君の声がところどころ切れて聞こえる。え、これもしかして黒猫君、泣いてる?
「マジ最初……そのまま燃えちまうかと……思ったし。……放せって言ってもお前っ…燃え尽きるまでルーシー離さねーからっ…腕にやけどっ……出来てるし……」
く、黒猫君がまた泣いてる。泣くの我慢して嗚咽を殺して話してくれてるんだ……
よっぽど苦しくなったのか、ぎゅっと私の身体を抱きしめた黒猫君が私の肩の辺りにゴシゴシと自分の顔を擦りつける。黒猫君の涙が私の肩の辺りをじっとりと濡らした。
しばらくしてやっと落ち着いたのか一つ大きく息を吸い込んでから黒猫君が続けてくれた。
「燃え上がったカーテンの切れ端の火がお前のガウンに燃え移って……それ何とか脱がしてもそこら中にくっついちまって」
「え、えええ? 待ってだって全然熱くない、痛くないよ?」
「……お前最初痛くて酷くうなされてただろうが……覚えてねーのか」
「覚えてない」
「……良かったな」
うん。覚えてなくて良かった、痛いのなんて。
ちょっとほっとした私に黒猫君がボツリととんでもない事を言う。
「こっちは一晩中お前の傷舐めてたのに」
「え、えええええ!?」
思わず悲鳴のような声が上がっちゃった。
途端黒猫君の少し不機嫌な声が返ってくる。
「仕方ねえだろ。あいつらが応援に来るまでに結構時間かかったし、来たらきたでテリースにそんな恰好のお前見せたくねーし。だから隣から『痛覚隔離』だけかけてもらって治療はほとんど俺がした」
「それって……ちょっと待って、火傷ってどこにあったの?」
私が尋ねてからしばらく黙り込んでた黒猫君がぶっきらぼうに返してくる。
「今更いいだろ、……っていうか本当に知りたいか?」
「…………いえ、結構です」
世の中には知らない方がいい事もある、よね。
私が答えると黒猫君の大きな手が私の頭を撫でまわした。
「良かった。お前が無事で。またこんな思いさせられるとは思わなかった……」
「……ごめんね、黒猫君」
「今はいい。それよりまだ目は開けられねえか?」
「んー、なんかくっついちゃったみたいな感じ?」
「ちょっと待て」
そう言うと私を腕に抱えたまま黒猫君が手を伸ばすのが分かる。すぐに手ぬぐいらしき物が私の上と下の瞼の間を濡らしていく。それが何回か行き来するとやっと私の目が開いた。滲んだ視界の向こう側に目を真っ赤に腫らした黒猫君が心配そうにこっちを覗き込んでるのが見える。
「黒猫君、また泣かせちゃってごめんね」
腫れあがった目が痛そうで私がつい手を伸ばすとパッと赤くなった黒猫君がツンと横を向く。
「あんまり見るな」
「ご、ごめん」
あっち向いて袖でゴシゴシと目元を拭った黒猫君がそれ以上隠しようがない事に気づいたらしく諦めたように赤い目のままで私を見つめた。
「どっか痛い所ないのか?」
「え、全然」
「そっか良かった。じゃ、そろそろ服着て帰るぞ」
「服着てって……ひぃ!」
い、今更だけど私、まだあの恥ずかしいお衣装着たまんまだった!
「着替えこっちにあるから。って起き上がれるか?」
今更だけど私、黒猫君の膝に抱きかかえられながらベッドに横たわってたらしい。この格好で。
薄い上掛けが肩から申し訳程度に掛けられてるからあの衣装だけじゃないんだけど、さっき暴れたせいで上掛けの前がはだけちゃってて下手すると余計恥ずかしいよ。
し、しかも昨日この格好のまま黒猫君流の治療してもらったってことだよね……
うわああ、考えるな、考えるな私!
私が掛けられていた上掛けを引き寄せて前を合わせるとすぐ横にある黒猫君の顔がそれを見て真っ赤になる。
うう、君は今までずっと見てたくせになぜ今ここで赤くなる!
それでも黒猫君は上掛けごと私を抱き起してベッドに座らせて着替えの服を寄こしてくれた。
「お前が服着てる間に隣いってテリースが念のために掛けてくれてた痛覚隔離完全に外してもらうから痛かったら呼べよ」
そう言いおいて黒猫君が部屋を出てった。
フゥっと大きなため息を一つついてから周りを見回す。よくよく見ればその見覚えのない部屋には見覚えのある大きな格子の入った窓があった。どうやらここはまだあの娼館の一部屋みたいだ。
黒猫君が出ていってくれたのを確認して渡された見習い兵士の服を着た。黒猫君が手渡してくれた着替えには下着の類はなかったのでお衣装の上から直接着こんじゃう。後で返しにくればいいよね。
着替え中もしかしてどこか痛くなったり火傷の跡が見えたりするんじゃないかとビクビクしてたけど、どこもにもまるっきり違和感がない。これは後で黒猫君に改めてちゃんとお礼を言わなくちゃ。
それにしても最低限の生地しかなかったお衣装の後だとこの見習い兵士の服のしっかり全身を隠してくれる仕立てが本当に頼もしい。
着替えが終わる頃、見計らったように扉をノックをする音が部屋に響いた。
一瞬、昨日の事を思い出してビクリと飛び上がっちゃった。
「着替え終わったか」
すぐに扉の外からかけられた黒猫君の声にほっと安心する。
「うん、もう入ってきていいよ」
「レネに声だけかけてくぞ」
レネさん! そうだ!
「黒猫君、あのさ、あの時のお客さんってレネさんだったんだよね?」
さっき他の記憶と一緒に思い出していたすごく気になる発見を黒猫君に確認する。
あの時はお酒と酸欠で頭が混乱しててしっかり認識できてなかったけど思い返せばピタリとはまった。
「お前、何を今更……ってそっかその話まだ説明してなかったっけか」
黒猫君がちょっと困った顔でこっちを見る。ちょっと待って、その顔は私に話したくない事があるって事?
「何か私に隠してるのかな黒猫君?」
私の問いにヒクリと眉が上がった。やっぱり隠してる!
「い、いや、隠してたって言うかお前には言えなかったんだよ、お前嘘つけねーから」
ちょっとしどろもどろにそう言った黒猫君が諦めたようにため息をつき、「仕方ねえ、先に説明してやるからこっち来い」って言ってベッドヘッドに寄りかかるように腰かけた。それから私をすぐ横に引き寄せて長い長い言い訳を始めた。




