16 襲撃
何? 今何が起きたの?
あまりの早業に私が驚いて抵抗する暇もないうちに私の身体は無防備にもお客様のすぐ目の前に横たわってしまっていた。
焦って身体を起こそうとするのにびくともしない。
ちょっと待って、すごく軽く押されてるだけだと思ってたのに、これもしかして私押さえ込まれてるの?
それでも何とか逃げ出そうともがく私の顎をお客様の指がごく自然に摘まんで顔を上向かせる。
「そんなに緊張して。でも君は何をすればいいか知ってるんだったよね?」
え? 私そんな事言ってない、言ったっけ?
少し掠れた声でそう言ったお客様は慌てる私を他所にしっかりと私の目を見つめ、私の反応を楽しむようにその綺麗な顔を傾けてゆっくりと近づけてくる。
近づいてくるその口元にはなんだか見覚えのある笑みが浮かんでた。
ま、待って、もう無理! こ、こんな事するの黒猫君以外、絶対嫌だ!
「や、ほんと無理、ごめんなさい! こんな事、黒猫君しか絶対駄目なの! もう子供でもなんでもいいから今すぐ放して!」
やっとのことでそう叫んで私が腕を突っぱねてお客様の体を突き飛ばすのと扉が開かれるのが同時だった。
「いい加減にしろ! こっちで一人捕まえたからこんな茶番はとっととおしまいにしろ!」
え? っと思ったら黒猫君が開かれた扉の内側に立ってた。慌てて立ち上がって押し返そうとするルーシーちゃんを半分突き飛ばすようにして黒猫君が押し入ってくる。そのままカーテンを破る勢いで私の所まで駆け寄ってきた。
「あゆみ大丈夫か?」
そう言って黒猫君の腕が伸びてきてお客さんとは反対側のベッドの端から私を引っ張る。
「全く。いい所で邪魔をして」
「あゆみに手は出さない約束だったろ!」
「手なんかだしてないよ、ちょっと味見しようとしただけ」
何故か二人が私を挟んで勝手に言い争いを始めた。
あれ? なんで黒猫君とお客様がそんなに親しそうに言い争ってんの?
なんか変だけどさっきっからクラクラしてた頭がとうとうグラグラまわり出した。
凄く大事なことを考える必要があるはずなのに頭が全然まわらない。
黒猫君の腕に引き寄せられてる気がしてるけどお客さんの腕もこっちに伸びててどうも私、両方から引っ張られてる?
訳わかんなくなってどうしたもんかと私が頭を片方に傾げると、ベッドのすぐ目の前でこちらの様子をうかがっていたルーシーちゃんがやっぱりコテリと首をかしげてこちらを見返すのと目が合った。
何故かゾッとした。なんでか分からない。分からないけどなんか変。
そう思った時には目の前にあったルーシーちゃんの身体がベッドの真上に飛び上がって私の頭の後ろにトンっと着地した。
「あれ、掴まっちゃったのか。困ったね。じゃあ仕方ないからこっちを頂くよ」
へ? 今喋ったの誰だっけ?
そんな事を考えるのと私の後ろからその小さな体でルーシーちゃんが私の両脇に手を差し込んでもう一度飛び上がるのが同時だった。
慌てて捕まえようとした黒猫君とお客さんの手がそれぞれ空中を切る。
驚いたことにその小さな体のジャンプは私の身体を一緒に飛び上がらせるだけの力があったらしく、気づくとベッドを飛び越えてその向こう側、薄いカーテンの手前まで飛んでいた。
「や、え? ルーシーちゃん?」
「ああ、ルーシーちゃんは今死んじゃったよ。残念だったね」
「え? え!?」
なにこれ。
肩越しに振り返ればさっきまであどけなく笑いながら私とお話してたルーシーちゃんの顔に凄く気持ち悪い笑顔が浮かんでる。唇が割けるように開いて目がニタリと垂れて。
えっと思った時には今私の脇の下に差し込まれていた腕の一本が素早くするりと私の首に巻きついた。
「グェッ!」
途端信じられないような強さで締め付ける。
「動かないでね。ほら、今のままでも苦しそうでしょ? もうちょっと力入れたら多分ポッキリいっちゃうよ」
ルーシーちゃんの細い腕が私の首を徐々に締め付けていき、目の前がだんだん赤く染まってくる。
目の端にベッドから立ち上がってこちらに手を伸ばしたまま凍り付いた黒猫君とお客さんの姿が微かに映ってるけど、さっきっからの頭クラクラと目から溢れてくる涙で滲んでよく見えない。
「さて、この子をもらってこうか? それとも君たちの目の前で殺しちゃった方が面白いかな? どっちがいい?」
ルーシーちゃんとは似ても似つかない残酷な響きを含んだルーシーちゃんの声がとんでもない事を嬉しそうに言ってる。
それがワンワンと耳に響くけど苦しくて頭が回んない。
抵抗しようと腕に爪を立てるけど、ルーシーちゃんの白い腕に自分の爪の跡が残って血が滲むのが見えて慌ててやめてしまった。
あれ、私何でされるがままなの?
だってこれルーシーちゃんだし。
「この子もらって帰ったら皆でいっぱい遊んでから殺してあげる。今なら簡単にポッキリ逝かせてあげる。ほら、そこの猫耳の君、君が選んであげなよ」
「そんな事したらお前もぶっ殺してやる!」
「別に構わないよ。だってこれ僕の身体じゃないし。知ってる? この子さっきまで半分生きてたの」
さっきまでって……
じゃあルーシーちゃん、死んじゃったの?
本当に?
「君たちは僕が死体を動かすだけだと思ってるのかな? でもこの子の心はさっきまでちゃんと生きてたんだよ。ネロ君だっけ? 君がこの子の身体に触ってくれたから僕が起きちゃったんだ。だから君がこの子を殺したようなもんだね」
黒猫君が? そんなわけない。そんなはずない。
なにいってんのこの子。ひどい。
ルーシーちゃん殺しちゃっただけじゃなくてそれ、黒猫君のせいだって言ってるの?
黒猫君、そんな事あるはずないからね。
赤く染まった視界が今度は暗くなってくる。その目の端にまだ何とか見えてる黒猫君の顔が凄く辛そうで苦しそうで。
それ、ルーシーちゃんのせい?
それとも私のせい?
「さて、答えが返ってこないうちにどうやらあゆみちゃんはそろそろ窒息死するみたいだね」
「いい加減にしろ、この野郎!」
「ビュッ!」
黒猫君が動こうとした途端、ルーシーちゃんの腕がさらに締まった。勝手に潰されてる喉の隙間から空気が漏れて変な音が出た。
「だめだネロ君!」
「脅しても無駄だよ。君には何も出来ない。目の前でこの子が死ぬのを見るといいよ。僕みたいに」
許せない、私の苦しいのまで使って黒猫君を苦しめる気なの?
そんなの許せない。絶対許さない。
なくなりつつある意識の底でわたしの今まで経験したことのないような真っ赤な怒りが燃え始めた。その炎はあっという間に燃え上がり私の意識を飲み込んで燃え広がる。
「え? ちょっとなにこの子、なんか熱い!?」
「あ、あゆみ?!」
「や、何ちょっと火なんてこんな所で!」
燃える。身体が燃える。
熱い、凄く熱い。
怒りと苦しいのと悲しいのと全部一緒にごっちゃに混ざって燃え上がる。
燃えちゃえ!
黒猫君を苦しめるんだったら燃えちゃえ!
ルーシーちゃん殺しちゃったモノなんて燃えちゃえ!
「や、やめろ、抱き着くな! 僕が、僕が燃える、これじゃ逃げられない、やめろやめてくれ!」
「あゆみ落ち着け! やめろお前まで燃えちまう!」
「水、水を誰か!」
え? 水?
私の炎は水なんかじゃ治まらない。
この嫌なのが消えちゃうまで絶対消えない。
「ぎゃぁあああああああああ!」
「あゆみー!」
「うっ! やめろネロ君、もう無理だ、君の方が燃える」
●えあがれ、●えあがれ、●えあがれ……ってなんだっけ?
私は消えゆく意識の中でなんか懐かしい歌詞を思い出そうとして、でも思い出せなくて気になっちゃったのを最後に意識を手放した。




