95 新しい領主
「ここ、ナンシー領内の高位貴族中出席可能な5家、及び現在拘束中の残り5家を代理する中流貴族5家の同意を得て新政府の指名通りエミール・ウィルコムを次期ナンシー領主として認める事を決議する」
領城内二階にある閣議室に集まった年配の貴族の皆様が座る大きな閣議テーブルの左奥に座っている『北ザイオン帝国新中央政府』、略して「新政府」の高官のおじいさんが高らかにそう宣言してエミールさんのナンシー領主としての就任が決定した。
テーブルの一番奥にはエミールさんとキールさんが並んで座っている。しばらく顔を見なかったエミールさんは気のせいじゃなくかなりやつれてた。やっぱり連日の謝罪で疲れてるみたい。丸刈りは誰が整えたのか角刈りくらいには見える様になってた。
「同時にエミール・ウィルコムの公爵位の継承を正式に承認しよう」
テーブルの一番奥に座ってるキールさんが高官のおじいさんの言葉に頷いてその場で立ち上がって宣言する。すぐ横に座っていたエミールさんも緊張の面持ちで立ち上がり、おじいさんが差し出した指輪を受け取ってキールさんの前で跪く。
「キーロン陛下への永久なる忠誠をここに誓います」
指輪をはめたエミールさんが両手を組んでキールさんに頭を垂れた。キールさんがそれに答えてエミールさんの肩に軽く手を乗せる。
それを合図にエミールさんがもう一度立ち上がるとテーブルについていた偉そうな貴族の皆さんが一斉に立ち上がった。
「キーロン陛下の御名のもとエミール様を次期ナンシー公爵としてお迎えできる事を我々一同心よりお喜び申し上げます」
テーブルの一番奥に座っていた最も偉そうな髭を伸ばしたおじ様が代表してあいさつした。
キールさんのすぐ右側に座ってたエミールさんもその場で小さくテーブル全体に一礼する。
「この度はこの様な異例の譲位にも関わらず皆快く僕が父の後を継ぐことを認め、新しい領主としてのスタートをこの様に祝ってくれたこと、心から礼を言う。僕もキーロン陛下に賜ったこの地位に恥じる事のないよう生涯をかけて誠心誠意努めることを今日この場にいる皆に誓おう」
今までの中では多分一番真面目な顔をしたエミールさんがキリリと宣言した。
たとえあのキラキラ金髪巻髪を失ってもあの真っ白い歯の見える綺麗な微笑みに変わりはなく、貴公子と呼ぶにふさわしいヒラヒラの服をまとった今日のエミールさんは王子様っぽさが5割増くらいになってる。って、本当に王子様だったんだよね、結局。
その隣のキールさんは今日は重々しい深緑色のビロードの上下にフリルフリフリの真っ白いシャツ、それに紺色のタイ紐と同じく紺のサッシュを着けてる。もちろん頭の上にはピカピカの王冠が光ってる。ああ、そういえばあの王冠の真ん中にはまってる石って元は黒猫君の物だったらしい。黒猫君は今のところ使う予定もないし貸しとくって言ってた。キールさんがまた悪い笑顔で「王家の宝冠の玉を秘書官に借りてる王など俺ぐらいのもんだろうな」って皮肉ってた。
そのキールさんが今度は私たちを振り返って頷いた。
そう、当たり前だけど私たちもこの偉そうなおじ様たちと一緒に並んでこの重厚なテーブルに着いてる。しかもキールさんやエミールさんのすぐ右側。なんか偉そうに一番上座側に座ってたのだ。さっきっから「こいつら誰だ?」っていう皆さんからの刺さるような視線が絶えなくて居たたまれないことこの上ない。
「続けてこの二人の元皇太子付秘書官から王室秘書官への就任を正式に発表する」
うわ、来たよ。私たちの番だ。今までまだ遠慮のあった視線が一斉に全部こっちに向いて私の緊張が頂点を迎えてなんか本当に手がカタカタ震えてくる。
私と黒猫君も今日はそれぞれ整えられた一張羅を着せられてる。私のはこの前の黒猫君たちの授与式でも着たドレスをあつらえ直したもの、黒猫君のはエミールさんの軍服を同様にあつらえ直したものだった。
今日ばかりは私と黒猫君もそれぞれ別の椅子に座ってる。
「ネロ・アズルナブ、およびあゆみ・アズルナブ」
キールさんに名前を呼ばれて打ち合わせ通り私たちはその場で立ち上がった。
「両名は今後俺の第一、第二王室秘書官として働く事になる」
そう言った後キールさんは私達に向き直り、ニッカリと笑って言葉を続けた。
「既に内々に発布された『非人の取扱い』及び『奴隷の取り扱い』の勅令の執行、個人台帳への移行を精力的に始めてくれることになっている。各人これを補ってくれるよう望む」
キールさんはそんなこと言うけどね。さっきっからこの広い会議室のテーブルに着いてるすっごく偉そうなおじ様たちの視線は全然優しくない。
エミールさんに事に関しては多分色々と諦めもあったんだと思うけど、私たちは突然現れた新参者なのだから仕方ない。さっきまでの「何者だ」って視線が「なんでこんな奴らが」って視線に変わってるよ。
それでも私はカタカタ震える手を自分で押さえつけてその場で日本式に「よろしくお願いします」と頭を下げた。ところが横で黒猫君がいつもの「ヨッ」だけ言って済ませてしまった。
ヒッ! く、黒猫君それは流石にマズくないの?!?
叫びそうになった私とは違ってキールさんはそれをまるっきり気にしてないみたいだった。でもテーブルのおじ様たちの視線が余計厳しくなった気がするよ、黒猫君。
私たちが座ると引き続きキールさんが残りの任官を通知していく。
この前の戦闘時にこの街の施政を補佐してきた大臣のほとんどがお亡くなりになってしまった。彼らはどこかしらでここにいる高位貴族の皆様と血縁だったんだって。キールさんたちはそれを再度もめない様に適当な貴族家に任官させることで今回のこの会議を乗り切ったらしい。
すべての人の任官が終わると部屋の一番反対の端で扉の前に立っていたアルディさんの大きな声が響いた。
「それでは本日の会議はこれで終了です。この後二階の北バルコニーから本日の領主就任記念謁見を行います。各大臣の皆様は一階のバルコニーに移動してください」
そう言ってアルディさんとカールさんが部屋の扉を開けると、思い思いに席を立った皆様がゆっくりと部屋を出て行かれた。
「キールさん、あれで本当によかったんですか?」
皆が出てってしまうのを待って私はチラリと黒猫君を睨みながらキールさんにそう聞いた。
「上出来だ。どんなあいさつしたって君たちを最初っから受け入れるような連中じゃない。どの道衝突はこれからだ」
うわ、キールさんはそう言ってニヤッと笑うし、黒猫君もなんか嫌な笑みを浮かべてるけどそれって全然大丈夫じゃないって事じゃないの?
なんかここでも大変になる気しかしないなぁ。
不安を胸に秘めながら私たちもアルディさんにせかされて移動を始めた。
今日は黒猫君にもよく言い聞かせて基本私が自分で歩いてる。私も一人の秘書官として選ばれたからにはこういう場ではきちんと自分で歩きたいって思ったから。今回は黒猫君も理解して譲ってくれた。
アルディさんに連れられて外に出ると部屋の前の廊下を挟んで反対側にせり出した部屋の一番奥の壁に重々しいカーテンが下ろされてて、その前で先に部屋を出たエミールさんが居住まいを整えて立っていた。
私たちがそこに一緒に並び終えるとどこからともなくラッパの音が鳴り響き、目の前の重々しいカーテンがゆっくり開いていく。
私はカーテンの向こう側、バルコニーの目の前に広がる様相に息を呑んで凍りついた。
領城のバルコニーは綺麗に整えられた裏庭に突き出してる。そこ自体が既に下の町より高くなってる上にここが二階なので目の前には北の通りが北の城壁まで真っすぐ全部見えてるんだけど。
その『ウイスキーの街』とは比べ物にならない程広い通りにいっぱいの人、人、人。
通りに隙間なく立つ人々が全員こっちを見つめてる。荘厳なラッパの音が鳴り響く中おへその下の辺りがゾクゾクして私は立ってるのが辛くなってきた。スッと手が伸びげ黒猫君が前から見えない位置で私を支えてくれる。
情けないけど黒猫君の手が支えていてくれないと膝がガクガクいって今にも座り込んじゃいそうだった。
最後のハーモニーを響かせたラッパの音が高空に消え去るとウォォォォっと地の揺れるような轟音が下から響いてきた。それが歓声だと分かっても、もう黒猫君の腕なしには立っていられなくなってた。
「この街ナンシーに住むすべての者に告げる」
中々鳴りやまなかった歓声がキールさんが手を上げた途端静かに消え去り、それを待ってキールさんが声を上げた。
キールさんの声は良く響いた。それでもきっと街の中心に近い人たちにしか届かないはずだ。なのに通りの最後まで、立ち尽くす人の中に話し始める人はいなかった。
「まずは大変残念な知らせだ。このナンシー領城で働く者の中に教会の一部の者と結託して王家への反逆を企てる集団がいた。既にこれらの者は全て捕らえる事が出来たがこの様な反逆は皆も承知の通り従来ならばナンシー公及び関わった当人とその親族郎党全て極刑、街への処罰も避けがたい事態だ」
キールさんの重々しい声が響いた途端遠くて一人一人の顔は見えないはずなのに、通りに立つ人々に緊張が走ったのが空気の違いではっきりと感じられた。
「国王就任に至るまでにも幾度も危険に晒された俺は就任を機にここの領場内の反逆者を狩り出すためにここを一時開城させ該当する貴族及び教会側の協力者を全て捕縛するに至った。だがこの事実を知ったナンシー公は今後のこの街の行方を憂慮し、俺の決定を待たずして主だった大臣たちと共に自決してしまった」
鳥さえも遠慮しているのではないかと言うほどの静寂が私たちの前に広がってる。
そっか。ナンシー公と大臣の死去はそういう形で収めることにしたんだね。確かにそれが一番角が立たないのかな。
「城内からは捕縛した貴族共が教会の高位司教とともに行っていた非道な人体改造の犠牲となった者たちが多く発見された。この様な人として考えられないような行為を傲慢にも行う者を人が崇めるどんな名前の神も許そうはずもない。教会を見たものがいれば自ずとその片鱗を感じたであろう。街には幾多の雑草がしげり人ならざる存在からの警鐘をその目で見たものも少なくなかろう」
うわキールさん、私の固有魔法の暴発を天罰にすり替えちゃったよ。
「俺はこれを神からの啓示と捉え我々が反省する機会を与えし神に感謝して二度と過ちを繰り返さないためにもそれを迅速に行動で表すべきであると考える。よってここにこれからの俺の施政を支える根幹となる勅令をしたためた」
キールさんの言葉を追って私たちとは反対側に立っていた新政府のおじいさんがキールさんの短く、でも確実に物議をかもすであろう勅令を高らかに読み上げた。
「一つ。奴隷制度を廃止する」
「一つ。教会が定めていた『非人』を廃し、獣人とエルフを含む全ての者に街の台帳に登録する資格を与える」
「一つ。今後税収の管理は台帳と共に王家の管理下に収め、その実行には新政府が新たな部署を開設し補助することとする」
これを聞いてる人々の反応は……戸惑いと言うのが一番近いのだと思う。ざわざわと小声でささやき合う声がまるで波のように渡っていく。私が思うほどにこれはみんなの望む物ではないのかもしれない、改めてそう思い知らされる。
言葉がみんなにきちんと伝わるのを待って、キールさんが再び話し始めた。
「これらはどれも長年の慣例を覆すものであり一日のうちに変わるものでは無いのは明白だ。だが正に神の奇跡を目にしたこの街の者ならばその変化を受け入れる必要性を疑うものはなかろう。人の道理に背く行為を行い王家への反逆を試みた者共は極刑を受けることとなる。だが同じ神の奇跡はその非道を正したこの街に同時に多くの実りをももたらした。冬に備えるだけの恵みは街に活気を与え、俺の施政の中心となる新政府もこの街の公益を活性化する一助となるだろう」
キールさんが話してることには沢山の作り上げられた虚実が含まれてる。私たちはその真相を知ってるのだけど、それでもつい聞き入ってしまうだけの説得力がキールさんの言葉にはあった。だから多分今下でキールさんの言葉を聞いている人の多くにとって、これは真実になるんだろうな。
「さて、悪い知らせはここまでだ。ナンシー公の自分の命を賭した弁明を俺は重く受けとめ敬意を表し、このナンシー公の第一子エミールを次期ナンシー公爵としこの街を任せることとした。亡くなった全ての大臣も同様にそれぞれの親族から最も適した者が後を引き継ぐこととなる」
そう言ってキールさんがエミールさんの肩を叩いて前に押し出した。
手を振るエミールさんに残念ながら歓声と言うほどの物は起きなかったけど特にひどい反応もない。
「ついでに先程の勅令はここにいる俺の二人の秘書官たちが精力的に施行して回るから皆が協力を惜しまない事を願う」
そう言って。
キールさんは私と黒猫君の肩に手を乗せて。
私の隣に立っていた黒猫君の頭に被っている帽子を弾き飛ばした。
途端。
通りのそこここから沢山の歓声が上がった。
気のせいじゃなく「猫神様じゃー!」とか「巫女様ー!」って声が響いて来てる。
その反応の大きさに私は一瞬後ろに飛びのきそうになり、慌てた黒猫君がしっかりと支え直してくれた。
その顔を見ると黒猫君の顔も凄く引きつってる。
「黒猫君、もしかして私たち深みにはまった?」
「言うな。手遅れだ」
小声で聞いた私に黒猫君がガックリと肩を落とし横でニヤリと黒い笑いを浮かべたキールさんをキッと睨みあげた。




