84 綿花摘み
「まあもう、これしかないよな」
「ほらネロ君、休んでないで続けますよ」
あの後あれっきり戻ってこないシアンさんにシモンさんとキールさんがなぜか一緒になって一通り悪態を吐き出したところで話し合いはお開きになった。それでもあんな風に言われてしまってはキールさんもシアンさんが起きるまで待つしかないと不服そうに同意した。
お話し合いが終わった後、シモンさんは神殿に茨刈りに行き、私と黒猫君は一緒に兵舎周りの綿花摘みに来てる。
因みにキールさんは新政府のお役人さんたちと反抗した貴族の処罰や新しい任官の話し合いをするそうですっごく忙しいらしい。危なく私と黒猫君も一緒に連れて行かれそうだったんだけどアルディさんが魔術の使える黒猫君と私は優先敵に雑草の片付けに欲しいと言ってこっちに連れて来てくれた。
とは言えこっちの仕事も全然楽じゃないんだけどね。
綿を摘む作業はやっぱり手でやるしかなくてこれが結構大変。綿はふっくらしてて綺麗だけど、その殻がかなり硬くて棘があって。気を付けててもちょくちょく手が切れちゃう。
それでその間、黒猫君が何をしているかと言うと。
「はい、次は水、中級1。火中級2。水中級2。こっちは火下級2。次水中級3。それじゃ高位まで行っちゃってます、抑えて」
私たちが綿を摘み終えて一度刈り取った雑草の残りをアルディさんから魔術の手ほどきを受けながらガンガン燃やしてるのだ。
私と違って簡単に魔力調節の出来る黒猫君は結果的に言うと高位までの火と水、それに雷魔法が出せてしまうんだそうだ。で、試験に備えてそれの調節を訓練中。元々あまり目立たないように高い階位を取らせない予定だったんだそうだけど、色々考えた結果黒猫君は中級3位くらいまでになっておくのが一番都合がいいらしい。
引き換え私はどの道下級くらいの魔力しか出せないから訓練の必要なし。このまま最低限の下級2位くらいになってればいいのだそうだ。
「あゆみ姉、これは?」
「うん、それも大丈夫だと思うよ」
ミッチちゃんとダニエラちゃん、それと彼女たちのお友達たちが取りこぼした綿を拾って集めてくれてる。
今日は他にも貧民街の獣人族の皆様が手伝いに来てくれてる。
なんかゴーティさんが私たちの秘密をばらしちゃったのを私が不問にするって聞いて慌てて皆さんを引き連れて朝から押しかけてきた。私たちがキールさんの執務室で会議に入っちゃってたから兵士さん達もそのままみんなを兵舎に入れるわけにも行かず、結局外の通りの綿花摘みを勝手に始めてくれていた。
しかも皆さん、会議が終わって出てきた私と黒猫くんを見てその場で平伏しちゃって。
「猫神様~」
「猫神様の巫女様~」
「猫の神様~」
なんかとんでもない呼び名で声をかけられて私と黒猫君が引きつってるとゴーディさんが前に出てきて挨拶してくれた。
「ネロ様、あゆみ様。ご挨拶が遅くなって申し訳ありませんでした。まさかネロ様が猫神様だとは露知らず、先日いらっしゃられた時にとんでもなく失礼な態度を取りました非礼をどうかお許しくださいませ」
「はあ? 何言ってるんだ、誰だ俺をそんな訳分からないものに祭り上げようとしてるのは?!」
「何を言ってらっしゃるのですか? ヒロシがネロ様ご本人から伺ったと言ってましたぞ。狼人族のバッカスもネロ様がいつでも黒猫と人の姿を行き来出来るうえ魔術も出来ると教えてくれました。これが猫神様以外何者でしょうか? それに彼も先程から布教されてますし」
そう言ってゴーティさんが指差した方を見ると。
「そうです、僕は見ました! ネロ少佐が白い翼を広げて降臨される姿を! 太陽を背に光輪を背負って……」
「お前か新兵!」
あらら。どうもあのちょっと錯乱しちゃってた昨日の新兵さんが獣人族の皆さんと先に出会ってしまってたみたいだ。黒猫君の文句なんてものともせずに片隅で演説を続けてるよ。
「しかも今回は愚かな私めがお二人の情報を裏の者に売ってしまったにも関わらずなんのお咎めもなくお許しくださるとシモンからうかがい、まずは謝罪とお礼をさせて頂きたくこちらに参りました」
ゴーティさんはその真っ白な長いヒゲを地面に広げながら平身低頭のまま話し続けてる。
「あゆみ様もバッカスより『獣人に魔力を授けてくださることができる巫女様』だと伺っております。しかも彼らを虜にするほどのゴールデンフィンガーもお持ちだそうで……」
「あの馬鹿、秘密にしとけって言っておいたのに」
黒猫君が愚痴るとゴーティさんが慌てて言葉を続けた。
「ど、どうかバッカスを責めないでやってください、これは我々が森まで押しかけて無理やり聞き出したのですから」
「バッカス、違う、私たち言った」
「ミッチとダニエラが先に話しちゃったの」
「ああ、そういうことか。確かにチビ共の前では別に隠してなかったもんな」
黒猫君が諦めたようにため息をついた。
いつまで経っても地面に頭をこすりつけて上げてくれないみんなに私たちが途方に暮れているとアルディさんが横から顔を出してここの綿花摘みと雑草の刈り取りを手伝ってもらう事で手打ちにするよう取りなしてくれた。とはいえちゃんとキールさんから摘んだ綿花代としてお給料は出るようにしてもらったけどね。
結局私とその獣人族の女性たちとで綿を摘んでるんだけど摘み終わっても残った綿の草を刈らなきゃまたすぐ実っちゃう。実っちゃうのはまあいいとしても、それをほっておくとそのうち綿が飛んで種が広がる。そしてエンドレスな雑草との戦いになってしまうのだ。
雑草っていってもこれ、結構背が高くて私の腰より上まで伸びてるもんだから刈り取りはそこそこの体力がないと続かない。
だからキールさんの近衛兵の皆さんが獣人族の男性陣と一緒に刈り取りをしてくれてて、最後に黒猫君が残った根本を燃やして回ってるのだ。何人かは摘み終わった綿花を袋詰めにして兵舎に運び込んでくれてる。
「あゆみ、そろそろ一度またネロ殿に手を診てもらった方がいいんじゃないか?」
私のすぐ横で同様に綿を摘んでいたヴィクさんが横から私の手を覗き込んで心配そうに顔をしかめる。
ヴィクさんは獣人の右手を使ってるから全然傷がつかないのだそうだけど私の弱っちい手はあっという間に傷だらけになって真っ赤に腫れてきちゃう。昨日はバッカスたちの使い終わった雷避けのグローブを使ってたんだけど今日シモンさん達が茨を掴むのに持ってっちゃった。
「あ、後でいいよ、どうせまた切れちゃうんだから」
私が慌てて止めてるのにヴィクさんがさっさか黒猫君の所に行っちゃった。すぐに訓練を中止してこっちに来る黒猫君を私は居たたまれない思いで見返す。
「ヴィクがもうひどくなってきてるって言ってるぞ、なんで呼ばないんだよ」
「いや、ほんと、まだ大丈夫だから。お願いだから訓練続けてて」
「おい、何手を隠してんだよ、早くこっちに出せ」
「い、いや、お願いだからそれ今やるの止めて」
「はあ? バカ言ってないで手を出せ!」
なんでこんなに私が嫌がってるかと言えば。だって黒猫君、治療だって言って私の手を舐めるんだもん。いや、確かに治るよ、治るんですけどね。これ、あんまりに恥ずかしすぎるから!
それでも結局黒猫くんに引っ張られてガッシリ掴まれた手を見ないように顔をそむける。
顔だけそむけても切れちゃったとこ舐める黒猫君の舌がくすぐったくて涙が滲んできた。
「しみるか?」
「ち、違うから! くすぐったいのと恥ずかしいだけだから!」
つい大きな声で文句を言って余計恥ずかしくなった。でもそんな私の気も知らないで「なら大丈夫だな」って言って容赦なく全部治るまで舐めきったよ黒猫君!
「黒猫君、恥ずかしくないの?」
思わず聞いちゃった私に黒猫君がちょっとニヤって笑って私の頭をポンポンと叩く。
「治療してるのになんで恥ずかしがらなきゃなんねーんだ?」
そう言いおいてまた魔法の訓練に戻っていってしまった。
「ネロ殿はあゆみよりかなり上手みたいだね」
ヴィクさんがクスクス笑いながら戻ってきた私をからかう。
「ねえヴィクさん、なんか黒猫君すごく変わっちゃった気しない? なんか前はあんなじゃなかったと思うんだけど」
「それは多分あゆみに自信つけてもらってるからなんじゃないかな?」
そういうものなのかな。確かに一度告白してるし昨日黒猫君も色々言ってくれたし。それに私も嬉しかったもんね。
「ヴィクさんは? アルディさんと変わった?」
私の問いかけにヴィクさんが曖昧な微笑みを返してくる。
「変わったって言えば変わったし変わってないって言えば変わらないかな」
ヴィクさんはどっちとも言えない答えをくれたけどヴィクさんが綺麗になった気がするのは気のせいだけじゃないと思う。
「そろそろ昼飯だってさ」
ちょっと考え事をしながら作業を続けてるとビーノ君が呼びに来てくれた。そのすぐ後ろから黒猫君が来て当たり前のように私をすくい上げて食堂へ向かった。




