73 反省会8:新兵とネロ2
「飛んだんだな?」
「飛べたんですね?」
「飛んだんだ!」
キールさんの執務室に私とアリームさん、ピートルさんを含む10人近い研究所の人間が興奮を抑えきれずに叫び声をあげた。
そんな私たちの顔をすっごく嫌そうな顔で黒猫君が睨む。
「ああ、飛んだよ。飛べたよ。ちゃんと壁も超えたし俺の跳躍を使って地面から浮き上がってそのまま領城の高さくらいは上がった」
「「「おおおおお!!!」」」
私たちの歓喜のどよめきが上がる。
でもそこに黒猫君の冷ややかな声が響いた。
「だがな、お前ら。あれ、どうやって下ろすかちゃんと考えてたか?」
「「「おおお……あ、あああ…………??」」」
あれ、そう言えばどうやって昨日降りたんだっけ?
「あのな、お前ら昨日ちょっと飛び上がれればスゲーつって喜んでそれで実験終わりにしてただろ。そりゃお前らの跳躍力で飛び上がったくらいですぐに降りるならいいんだよな、たぶん」
黒猫君が淡々と続ける。
「でも俺、街の一番高台から領城の天辺くらいまで飛び上がったんだよ。だから教会との差は多分30メートルはあっただろ。まあ少しずつ高度が落ちてたけどそれでも教会に着いたころまだ殆どそのまま残ってたんだよな」
あ、メートル法はまだここで説明してないから多分私しか分からないかなこれは。
そんなことは気にも留めずに黒猫君がまだ淡々と続ける。ちょっと怖い。
「俺がどうやって降りたか知りたいか?」
そこで「お前がターゲットだ!」って強い意志を感じる眼差しで黒猫君がしっかり私の目を見つめながら問いかけてきた。そんなの分かるはずもない私は恐る恐るとにかく頭に浮かんだ返事を返してしまう。
「……勝手に下に降りてくるの待ってた……わけないよね?」
私の完全に思い付きにしか聞こえない答えを聞いた黒猫君の目がギラリと光った。
や、やっぱり今日の黒猫君、怖いよ。
「あのプロペラのスイッチ。オン・オフしかねーのな」
「あー、えっと、そうだったかな?」
私が自信なく周りを見回すと周りの研究所のみんながコクコクと頷いた。
「ってそうだったね」
く、黒猫君がさっきより怖い顔になった。
さっきっから黒猫君の声が震えてる気がするのはなぜ?
「切ると重力操作の軽石にも魔力行かなくしたろ」
あ。ヤバい。今思い出した。
危ないから後で魔力元を付け足して切り替えようと思って忘れた……。
私の背中を思いっきり冷たい汗が伝った。
「う、うーん、そうだったかな──」
「そうだったんだよ!」
あやふやに流そうとした私の言葉尻を黒猫君の叫びが消し去った。
「なあ、なんで俺がそんな事知ってんのか知りてーよな?」
あれ? 黒猫君、さっきより近くないですか?
「自然に降りたかったんだよ! 俺だって! だからスイッチ切ったんだよ! プロペラ止めようと思って!」
一言一言思いっきり区切りながら私の顔に唾が飛びそうな勢いで黒猫君が自分で問うて自分で答えてくれる。
あ、もしかして初めて黒猫君が本気で怒ってるとこ見てるかもしれない。
ちょっと現実逃避でそんな事考えてました、私。
「もしかして……落ちた?」
「落ちたってか、あれ、ストールってやつだ、失速」
「や、やっぱり」
「やっぱりじゃねーよ!!」
あ、黒猫君の握りこぶしが奮えてる。気のせいか私の周りから人が減った気がする。ああ、皆気圧されて後ろに下がってっちゃったのか。
私はと言うと。
黒猫君にはとっても申しわけないんだけど実はちょっとこの状況を喜んじゃってたりする。
何て言えばいいのか。私、こんなに誰かに強い感情ぶつけられたの生まれて初めてなんだよね。
黒猫君は私たちのせいで凄く酷い思いして、でもそんな状況でもちゃんと生き残ってくれて。
それで私にこんなに力いっぱい怒ってくれてる。私には怒られる理由があるからもちろんごめんなさいってすっごく思ってるんだけど。
それでも不謹慎な私はそれが嬉しくて、ついちょっとだけ頬が緩んでしまうのをこらえながら黒猫君に尋ねた。
「そ、それで……?」
私の反応を見て突然黒猫君がスッと真顔になった。それからぶっきらぼうに説明してくれる。
「突然すげー勢いで機体が落ち始めて、慌ててすぐスイッチ入れたんだよ。それで取り合えずは持ち直した」
「よ、よかった。二回目でも点いたんだね、スイッチ」
あ、あれ? 今の答えもマズかった?
黒猫君の顔がまたさっきと同じ怒りに染まり上がるのが見えて慌てて聞きなおす。
「え、それじゃあどうやって降りたの?」
私の質問に今度は黒猫君が一瞬躊躇ってから言いづらそうに答えてくれた。
「文句言うなよ。仕方ねーから俺の爪で翼裂いてゆっくり落としたんだよ!」
「「「えええええーーー!!???」」」
し、信じられない、あれ破っちゃったの!?
っとその場の誰もが思ったと思う。
でも私が文句言うよりも早く黒猫君の怒声が響いた。
「降りられない様なもん作っといて文句言うなよお前ら!!! 二度とこんな危ないもん俺に押し付けんじゃねーぞ!」
あー、うん。
ごもっともです。
私ほか研究所所員一同、自然と頭が下がった。
やっぱりテストは重要だね。次はもっとちゃんとしよう。
「それでお前は大丈夫だったのか?」
私たちが静かになったのを見てキールさんが話を戻そうと新兵さんに声をかけると、黒猫君と私の話に聞き入ってた新兵さんがコクコクと何度も頷いてから説明を続けた。
──その頃教会の中(哀れな新兵の回想)──
「すみません、ごめんなさい、すみません、ごめんなさい」
既にほとんどの司祭様たちは教会裏の扉から飛び出して行ってしまいました。
ただ今正に風前の灯となった命をかろうじて守っている新兵の僕です。
残った司祭様たち三人が僕を取り囲んでさっきっから僕を小突きまわしてます。僕はと言えばむかれたままの下着一枚の情けない姿で一人冷たい床に座って小突かれてます。
何で抵抗しないかですか? そんなの僕にそんな技量がないからに決まってるじゃないですか。
プライドなんかより命が大切。ネロ少佐も無理はするなって言ってくださってたし。
「なあ、お前本当に転移者なのか?」
結構な時間僕はひたすら3人に好きな様に小突かれてましたがいい加減僕の見張りも小突き回すのも飽きられたのか、3人のうちで一番背の高い司教様が僕の前にしゃがみこんで詰問してきました。
「ええっと、違うとどうなるんですか?」
「まあ、取り合えず身体のサイズは悪くないから神殿裏の治療院行きだろうなぁ。あそこで手足綺麗に外して売り物に追加だな」
噂には聞いていましたけどやっぱりここの治療院は入ったら帰ってこれないところらしいです。
「あまり聞きたくありませんがその時点で僕の命は?」
「生きたままの方が外したパーツの活きがいいまま保存できるからちゃんと生かしておいてやるぞ。首を落とすまではな」
それはいい事ですか? 悪い事ですか?
震え出した僕に司教様が聞きたくもない先を続けてくださいました。
「教会に盾突いた時点でお前の非人落ちは決定だ。安心して人間様の役に立つといい」
僕、さっき『非人の扱いは国に移る』って通達したはずですけど、もちろんそんなことは聞いてくれてなかったんですよね。さっきはそれでも他人事だと思って聞いてましたが、これ、自分の身の上に降りかかると死ぬほど怖い現実でした!
僕はとっさにつきなれないウソをついてみました。
「じゃ、じゃあ僕、転移者です」
「絶対ウソだろ」
即答で言い切られてしまいました。な、なぜ僕のウソはこうも簡単にばれてしまうんですか?
焦る僕を司教様がニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら見ています。
「お前さっきっから質問が変なんだよ。挙動不審すぎ」
「そ、そんなことない、無いです!」
焦って言い募る僕に、司教様はククッと小さく喉の奥で僕をせせら笑って聞いてきました。
「ならこの服がなんて呼ばれてるか言ってみろ」
「え? えーっと、司教服、じゃないんですか?」
僕が答えた途端、三人の司教様達がニヤニヤ笑いながら僕を見下ろしました。
「これ、もう決定でいいよな」
「ええ」
「そうですね」
「え? え?」
一体僕の答えの何が悪かったのか分かりませんがなぜか三人とも僕が転移者じゃないと確信されてしまったようです。
正解は何だったんでしょうか? 教えてもらえないんでしょうか?
焦る僕を横に皆さん晴れ晴れとした顔で僕を見下ろしました。
「もう充分だよな」
「ええ、とっとと片付けてガルマ様たちに合流いたしましょう」
「そうだな、別に転移者じゃないならわざわざ生かしておく必要もないな」
「でも誰の責任で神罰を落とすんだ?」
「勝手に処刑してしまうとガルマ様に叱られるのでは」
「では彼が逃亡しようとしたことにしてそれぞれ軽めの電撃を撃って、それでも生き残ったら治療院に入れては」
僕を取り囲む三人の司教様たちが僕を他所に頷きあい、その職業に似合わない非常に残忍な笑顔を浮かべて皆さん制服の襟を立ててます。
あ、さっきも雷飛ばす時にこれしてらっしゃいましたよね?
さっきはカッコつけて襟を正したんだと思いましたが。
ちょっと思ったんですけどあれ、もしかしてなんかついてるんじゃないでしょうか?
こんな事をグルグル考えてるのも僕の時間がもう終わりに近づいているからです。
この三人の司教様にとって僕は既に人ではなく、肉塊程度にしか見てもらえてないのがその目でしっかり伝わってきてしまいます。肉屋に見つめられる豚はきっとこんな気持ちなんでしょうか?
神様、僕は間違ってたんでしょうか?
教会でちゃんとお祈りしなかったのがいけなかったんでしょうか?
教会じゃなく軍に入っちゃったのがいけなかったんでしょうか?
それとも田舎を出たのが既に間違いだったんでしょうか?
神様、もし今日僕が生き残る事が出来たら。
誓います。
僕、もう人を殺したりしません。
軍も止めます。
ちゃんと畑で物を作って地道に生きていきます。
だから神様、お願いです。
僕、やっぱり死にたくない!
っと僕が天を仰いで最後のお祈りをささげた瞬間。
もの凄い破壊音が教会内に鳴り響きました。
司教様達には何が起きたのか分からなかったのでしょう、周りをきょろきょろとみまわしていました。
でも上を仰いでいた僕には見えました。
僕たちの真上にあるたった一つの窓が鐘楼ごと吹き飛ばされるのを。
天井かららパラパラと降り注ぐ沢山の木片が光と影を僕達に落とす中。
真っ白な翼を広げたネロ少佐が僕の元に降臨されました!
皆様、あれが猫神様の奇跡です!
僕は見ました。
僕の願いを聞き届けて僕の元に降臨された神のみ使いを!
僕は悟りました。
彼こそ、かの方こそが僕が残りの一生を捧げる神のみ使い、猫神様なのだと!
そして信じました。
この世界には間違いなく神はいると──
「おい、いい加減誰かこいつを止めろ! 何か間違いなくおかしいぞ。ゼッテーなんか決めてる。井戸に連れてって頭から水ぶっかけてこい」
いつの間にか黒猫君の足元に跪いてボロボロと涙を流しながら縋りついて奇跡を語り続ける新兵さんを黒猫君が何度も足蹴にしながら立ち上がる。
それを見てたキールさんが大きなため息を一つついて、バッカスが錯乱してる新兵さんを抱えて外で待ってる兵士さんに引き渡した。