68 反省会3:哀れな新兵とバッカス
「なんだよ、ネロお前全然間に合ってねえじゃねえか」
今日も部屋の壁に寄りかかりながら黙ってキールさんの隣のおじいさんとエミールさんのお話を聞いていたバッカスがその場の静寂を無視して黒猫君に向かって後ろから口を挟んだ。
「お前が言ってた計画じゃあ領主が死んでたらすぐに逃げ出して、生きてたらすぐに身分明かしてキールと入れ替わるはずじゃなかったのか?」
バッカスの指摘に黒猫君が少しバツが悪そうにエミールさんを見る。
「それはそうだがな、こいつ見てるとなんかそんな簡単に全員死んでるって言えなくなっちまってついな」
「いい加減にしろよ、狼煙が上がる頃にはこっちに着くって言ってたろうが。だから俺はこの新兵の兄ちゃんを教会に送り出したんだぞ。ほら兄ちゃん、あんたもしっかり文句言ってやれ」
バッカスにつつかれて一人の若い兵士が飛び上がる様に立ち上がって周りを見回し、緊張に顔を赤くしながら報告を始めた。
──その頃教会内(哀れな新兵の回想)──
「お取り込み中すみません!」
荘厳な教会の扉を開き、既に始まっていた本日のミサのど真ん中に進み出て、その場に集まっていた司教の皆様の注目を一身に受けながら正面切ってそういったのは……なぜか一新兵の僕。
僕は今年の春この街の護衛隊に配属されたばかりの新兵です。
北の農村出身の僕は、オークの群れから村を救ってくださったキーロン殿下に憧れて育ちました。貧しい農民の子供が兵士になるのは並大抵の事じゃありません。両親にはもちろん反対されたし生きるためには農家の仕事も疎かにできません。それでも僕には近所に同じように兵士を目指す二人がいてくれたから諦めることなくコツコツと頑張ってこれました。
出来の悪かった僕は何度も試験に落ちそれでも毎年応募を続け、とうとう今年で20歳になってしまいました。そろそろいい加減諦めて嫁を貰って農家を継げとうるさい両親を説き伏せ、これで最後だからといって受けた今年の試験でどうにか滑り込んだのです。正直隣のヴィク姉、じゃなかったヴィク兵長とその弟が代わるがわる休みに戻ってきて色々と教えてくれなかったら絶対に無理でした。ほぼ最年少の15歳で入隊したヴィク姉……じゃなかった兵長とは雲泥の差。
けれど隊に入ってみれば憧れのキーロン殿下はウイスキーの街に行ってしまわれていて、やっと帰ってこられたと思ったらすぐに皇太子になってしまわれました。それを知った僕は誇らしく思うと同時に殿下が余りにも遠い存在になってしまわれた事に少なからずショックを受けていました。
そんな僕がなぜこんな事に……
もし僕と他の新兵に何か違いがあったとすれば、それはたまたま僕が農家の出身だったから裏の畑を整える時に人を采配することになり、作業が終わるたびにヴィク兵長とネロ少佐のもとに報告に行っていたってだけ。ただそれだけだったんです。
それが一昨日の夜、突然憧れのキーロン殿下から呼び出しを受けました。何事かと緊張して部屋を訪れた僕にキーロン殿下がお願いしたい事があると言われるじゃないですか。あまりに嬉しくて舞い上がった僕は殿下が何も言わないうちからつい「お任せください!」っと調子の良いことをいいました。それで言い渡されたのがこのとんでもない大役です。憧れのキーロン殿下直々に『お願い』されてしまった僕に、断る事など出来るはずもありませんでした。それからまる一日。いくら馬鹿な僕でも原稿を百回も読めば嫌でも覚えます。
ですから僕はもう何も考えないで覚えたセリフをそのままその場で棒読みにしました。
「現時刻を持ちましてこちらの教会の強制捜査に入らせていただきます」
今この瞬間。僕はなぜか南北ザイオンの歴史始まって以来初の『教会に強制捜査を入れた軍人』になってしまいました……
──同時刻頃教会前(バッカスの回想)──
教会に新兵の兄ちゃんを送りこんで建物に入ったのを物陰から確認していた俺は、一旦キールが借り受けていた教会前の家に戻った。
その中には昨日の夜から俺の一族が詰めている。まさか日中に町中を歩き回る訳にもいかねーからキールがここを用意した。中にはその他にもシモンの連れてきた連中とそれからビーノが待機している。
「彼はちゃんと中に入れましたか?」
「ああ、特に入る事自体は止められなかったようだぜ」
中で待っていたシモンに返事をしながら俺の一族を見回す。流石に30人からの狼人族がこんな狭い部屋に詰め込まれてるとむさくるしくてたまらねえ。シモンの連れてきた連中はとっとと上の部屋にいっちまって出番までそこで待ってるつもりらしい。
どいつもこいつもかなり緊張した顔をしてやがる。まあ仕方ねーか。あの兄ちゃんがあっちで教会の連中の気を引いてる間に俺たちは俺たちでなんとしてもあの教会の塀をぶち破って突入せにゃならんわけだからな。
俺の後ろではハビアが全員に羊の毛で作った耳栓を配ってる。ネロのやつのおかげで轟音にもある程度は慣らされたがこいつがなかったらやっぱり無理だった。
ただ一旦これを耳に詰めちまうと後はお互いの声さえもまともに聞こえなくなる。だから今回全員手順は前もって嫌ってほど頭に叩き込んであった。
後はネロの奴がそろそろここに到着しねえとまずいんだが。
あいつらの立てた計画じゃああの兄ちゃんが教会に入っちまう頃にはネロはこっちに着いてるはずだった。領主と教会がお互いに援軍を出されたんじゃとてもじゃねえが勝ち目がねえ。だからこその同時分断作戦だったんだがな。
まあ、正直一つ無理があったのがネロの居場所だ。
今回、色んな事情でネロには両方の始末に関わってもらわにゃならなかった。本当ならあゆみに秘書官の名前で領城に行ってもらえりゃそれで何とかなったんだろうが、俺を含め計画に携わった人間が誰もあゆみを噛ませたくなかった。
結果ネロが割食って駆けずり回る事になってるんだが。やっぱり無理があり過ぎたか?
他のもんはともかく、あの『包弾(改2号)』だけは俺だって触りたくねえ。最低限の説明は受けたし、念のためっていってやり方も見せられた。「なに、耳栓してりゃお前だって十分扱えるだろ」てネロは言ってたがやっぱり気乗りしねえ。とはいえこのままほっとくとあの新兵の兄ちゃんが死んじまう。俺はどっちだっていいがあいつはこの前のヴィクって姉ちゃんの弟みたいなもんだっつってたな。これ以上あいつの兄弟減らすのは忍びない。
どうする? 俺がやるのか?
「族長、いい加減始めないとあっちが詰んじまいますよ」
ハビアが心配そうに報告してくる。ここで一晩一緒に待機してたからこいつもあの兄ちゃんに情が移っちまったか。仕方ない、俺も族長だ。もうここは覚悟するしかねえ。
「おい、お前ら。後ろ下がって耳栓はめろ。仕方ねえから俺が始めるぞ!」
「ぞ、族長!」
情けない声を上げながらもジリジリと後退した野郎どもとは反対にシモンが慌てて俺に駆け寄ってくる。
「バッカスさん。もしネロさんを待たずにそれを使うんでしたら間違いなく教会の敷地の角の部分を狙ってください。あそこを崩さないとたとえ壁を崩せても中には入れませんからね」
「わかってるって」
これはこのシモンがこの前の作戦会議の時に持ち出してきたエルフ連中の知識だった。この連中、どうやらあの壁が作られたころから生きてるらしい。気が遠くなるほど長生きだ。当時ここを訪れていたこいつはこの建物の結界の一部がそれぞれの角に埋め込まれている魔晶石だと知ってやがった。
これを一か所でも崩せれば農村のある辺りには入れるらしい。
まあそれで全部の結界が壊れてくれりゃあ世話ねーんだが。残念ながらネロが中で聞いてきた教会の警報とか言うやつは別物らしい。だからあの新兵の兄ちゃんが何とかしねーと司教どもにあそこに立てこもられちまったら手が出せなくなっちまうわけだ。
ハビアの後ろで尻尾を撒いてる情けない野郎どもの顔を見渡してから俺が『包弾(改2号)』を前に掲げて嫌々外に向かうと、それでもハビアだけは俺の後ろについてきた。
やっぱこれぜってーネロがやるべきだ。あいつなら遠くからでもちゃんと角を狙って投げられてたけど俺じゃそんな器用な真似はとても出来ねえ。間違いなく目標に転がる様にするにはなるべく近くまでいって投げるしかねえじゃねえか。チクショウ、すげー嫌だ。
「族長、ほんとにやるんっスか?」
「仕方ねーだろ」
そう答えながらも俺の手が少し震えてる。
俺はなるったけ手を伸ばし、少しでも自分から離れた場所で導火線に火を点ける。
あいつらまさかこのために俺に火魔法教えた訳じゃねぇよな?
わ、火がついちまった! や、やべえ!
分かっててやってんのについそれでもうろたえちまう。
俺は慌ててシモンの言ってた壁の角を狙って火のついたその包みを勢いよく転がした。上手くその辺りに当たって止まってくれたのを確認してからハビア共々一目散に隠れ家に向かって走り始める。
すぐにガツンっと後ろから爆風が身体を前に押し出し、それを追っかける様に爆音が響き渡った。
ネロの野郎、騙しやがって!
たとえ耳栓してても思いっきりその振動が体に響いてちゃ意味ねえじゃねえか!
俺は何とかガクガクと震える膝を無理やり押さえ込んで隠れ家から顔をのぞかせてた野郎どもを引っ張りだし、手はず通り塀の向こうへと潜入を開始した。