67 反省会2:某中央政府ナンシー出張部高官
「お前な、いい加減にしろよ。そんなこと言って気絶したフリしてちゃっかり俺に自分を抱えさせたまま逃げ回らせやがって」
途中から変な告白の様な様相を呈してきていたエミールさんの報告をネロ君がすっごく怖い顔で睨み据えて割り込んだ。
「放っとけネロ。そいつはいつもそんなもんだ」
すぐにキールさんが手を振ってまだまだ続きそうな黒猫君の文句を遮った。
「お前もお前だ、なんでこいつがこんな野郎だってもっと早く説明しておかねえんだよ」
「言っただろう、バカだって」
「じゃあなんでこんな奴副隊長につけとくんだ!」
「頭は切れるんだよ、このバカは。滅多にないがやる気を出せば剣も相当だぞ」
「本当かよ、大体だったらせめて朝のうちにそれを説明しとけよ」
「こっちはこっちで朝っぱらから死ぬほどクソ忙しかったんだ。そんな暇があるわけないだろう。彼に聞いてみろ」
そう言って今度はキールさんが自分の横に座ってる老人をつついて報告を始めさせた。
──その頃正門にて(某中央政府ナンシー出張部高官の回想)──
「本日の謁見に代理で出席していた我が秘書官をお返し願おうか」
そう睥睨されたのはキラキラと輝くほど磨き上げられた銀の鎧に漆黒のマントを翻し、輝く宝玉のはまった大剣を右肩に担ぎ上げ、後ろで結った蒼髪を揺らす大男だった。
一見粗野に見えるその態度も今のこの方がすると風格に変わる。
間近でキーロン殿下の脅しを受けた門兵たちがたじろぐのも無理もない。実際こんな姿のキーロン殿下を見てたじろがない方がおかしい。自分たちではどうにもならないと中に引っ込もうとする門兵の一人をそのままむんずと捕まえたキーロン殿下が意地悪な笑顔を顔いっぱいに広げた。
「待たないか。客を置いていなくなる気か? 俺がわざわざこうやって出向いてるんだ。お前が上まで案内するがいい」
なんて無茶を言われる。可哀想に掴まれた兵士は顔面蒼白で歯の根をガタガタと震わせている。それでも既に自分に逃げ場がない事を悟ると涙目で震えながら自暴自棄に我々を奥へと先導し始めた。
エントランスの門を抜け堂々と歩みを進めるキーロン殿下に奥からあふれるように集まってきた兵士たちも思わずたじろいで道を開けてしまう。流石はキーロン殿下。その身のこなしの端々に王者の風格が溢れている。この場にいるような下っ端の兵士には声をかける事も出来まい。一体なぜ彼の様な傑物が今まで世に出てこなかったのやら──
「お、お待ちください、何を勝手にわが領主の領城内に足を踏み込まれているのですか?」
そこに慌てた様子で奥から現れた壮年の男がキーロン殿下の前に立ちふさがる。
こいつはワシもよく知るこの領主の秘書官だ。
「この国の王子がナンシー公を訪れるのに誰の許可がいる。ましてここには遅れる俺の代理で秘書官が先に来ているはずだが。今すぐ彼を連れて来るように言ったがそこの門兵どもに聞いてもらちが明かない」
「それでしたら明後日の謁見を書面で申し入れてから改めてお越しください」
男が言葉遣いだけ慇懃にそう言うと、それを見下ろしていたキーロン殿下の目がギロリと光った。
「いい加減にしてもらおうか。こっちはこの前から散々待たされてかなり我慢が過ぎてるんでな。とてもじゃないがもう待つ気など一切ない。そこをどけ、このまま領主のもとまで行かせてもらう。邪魔者はすべて排除するから覚悟しろ!」
不機嫌を前面に押し出したキーロン殿下の脅しの迫力は並大抵ではない。しかも今朝早くから各所を回って全ての予定をこなし、結局少し遅れてここへやって来たのにも関わらず秘書官殿がまだ戻ってらっしゃらないと聞かされたキーロン殿下のご機嫌が良いわけがない。
キーロン殿下の勢いに押され額に汗を浮かべながらもこの愚かな秘書官はまだ殿下に道を譲ろうとはしなかった。
「こ、こともあろうに新参の皇太子がわが領主の居城に押しかけあまつさえその兵を手にかけようなどと!やれるものならどうぞご自由に。ただしそのような真似をされましたらこちらは歴史ある公爵家の名をもって正式に貴殿の国家反逆罪を追及させて頂きますぞ」
口角に泡を飛ばしながら湯気の上がりそうなほど赤くなってそう言い募った愚かな秘書官をキーロン殿下が冷たい瞳で静かに見下ろす。
「悪いが茶番はもう終わりだ。もうお前らの言い分ばかり聞く必要もないのでな。お前らが俺の秘書官と遊んでる間にこっちはきっちり必要な手続きを全て終わらせてきた」
「何を言ってらっしゃる」
こんな最悪の事態でキーロン殿下がこちらをギロリと睨んだ。
わ、わかっておる、このためにこそワシはここに同行してきたのだ。今こそワシの一番の見せ場。武者震いで膝がガクガク鳴っておるわい。
ワシは自分の手の中にある5年ぶりに発行された正式な勅令書をよく見える様に掲げて声を張り上げた。
「本日こちらにおわす北ザイオン帝国第5皇太子キーロン・ザ・ビス・ザイオン殿下は我が中央政府ナンシー出張部にて略式ながらも戴冠の儀をつつがなく執り行い、晴れて北ザイオン帝国全土を統べられる正式な国王陛下に即位あそばされた」
ワシの宣言を横にキーロン新国王陛下が思い出したようにそれまで鎧の中に突っ込んであった王冠を引っ張り出してひょいっと自分の頭に乗せる。
それを見た周囲の人間全てが息を飲み、ある者はその場で膝をつき、ある者は剣を取り落とす。それを満足げに見回すキーロン新国王陛下のすぐ横でワシは静まり返る城内に響き渡る大声で宣言を始めた。
「早速キーロン陛下の勅令を通達する。中央政府からの最後の伝令が届いてすでに一ヶ月以上が経過した。即位に際し我が出張部からも再三の問い合わせを送ったが中央政府からは公式な返答・通達が一切ない。この状況を憂慮した我々は、キーロン新国王陛下のご判断を仰ぐに至った。我々の上告をお聞き入れ下さり、現中央政府が政府機関としての機能を果たす事が不可能な状況に陥ったと判断されたキーロン陛下は帝国政府機能の速やかな復帰を望まれ即刻我が中央政府ナンシー出張部を暫定新中央政府に指名し、その名を改め『北ザイオン帝国新中央政府』を制定された」
さっき文句を垂れていた秘書官がワシの宣言の真意を解して愕然とするのが目の端に映った。
「これにより、前国王の施政において任命されていた任官、配領、及び冠位は全て本日付で無効となり、キーロン新国王陛下の要請によりナンシーにおける現役職はすべからく一旦解任し、追って我が新中央政府より再指名するべきものとする」
先ほどの秘書官が一人しまったという顔をしたのをワシは見逃さなかった。彼がワシのこの宣言を聞いてしまった時点でこの通達はこの城全体に有効となる。愚かな。偉そうな顔だけしていてもこの状況を見てこの場を去るだけの機転は利かなかったようだ。まあ、逃げようとしたって逃がしはせんかったがな。
「この通達により現在現時刻をもって元ナンシー公の公爵位は次期指名が完了するまで凍結され、ここナンシー領の配領も一時新政府に返還される事になる。これらの勅命に従わない者は即刻帝国への反逆罪に処されることを覚悟して頂こう」
立て板に水で一気に宣言したワシの言葉を結局何も出来ずに立ち尽くして聞いていた領主の秘書官がそこでやっと息を吹き返したように文句を叫び始めた。
「そ、そんな勝手な事がまかり通ってたまるか! 田舎の出張所の役人風情の知る所ではないだろうが正式な即位を受けるには少なくとも三公のうちニ公の同意が必要なはずだ。そんな勝手に即位などと──」
「黙らんか!」
まだ続けようとしていたこの愚か者はワシの一喝で声を失った。年老いてここに引っ込んでいたとは言えワシはこれでも以前は歴代の王の横で幾度となく勅令を読み上げて来たのだ。声にだけはそれ相応の自信がある。
「貴公は大きな勘違いをしている様だ。貴公の仕える元ナンシー公爵と陛下を一緒にするでない。キーロン陛下はもとより皇太子であられる。皇太子の即位に三公の同意など全く必要ない。陛下はご自身より継承権の高い王族が死滅した時点でいつでも戴冠可能なお立場にあられたのだ」
「何が皇太子だ。そんなものこの国の社交界に所属する公人は誰一人認めておらん」
まだあきらめきれずに愚かな失言を吐く秘書官にワシは冷ややかな笑みを口元に浮かべて言い渡してやる。
「何をいっておる。本日ナンシー公ご自身がキーロン皇太子の正式な謁見を許可しておるではないか」
ワシの的確な指摘にハッとした秘書官は顔をどす黒くしてそのまま押し黙った。
そのまま何も言えずに立ち尽くす秘書官をキーロン陛下がまるで置物のように横に押しやってエントランスを横切り先へ進まれる。一拍遅れて秘書官が振り返った時にはキーロン陛下はエントランスホールの階段の一番上までのぼり詰め、我々を睥睨して晴れやかな笑みを浮かべて大声で王命を下された。
「ナンシー領城開城開始! 逆らうものは全て拘束しろ!」
キーロン陛下のその号令を合図に城の前と後ろ二箇所で立て続けに爆音が轟いた。