57 報告
泣きそうな顔で俺を見送ったヒロシと別れて塀を超えるとすぐにアルディが駆け寄ってきた。その肩に止まってそのままその場を離れた。
「どうでしたか?」
人影のない裏道に入ったところでアルディが静かに聞いてきた。
「あゆみが見たっていってた通りの状況だったがそれ以外にも色々分かった。まずは戻ろう」
そう言ってアルディを促して兵舎へと戻った。
兵舎ではアルディの不在の中、キールの采配で授与式が無事行われたらしい。
人が集まってる食堂では副隊長へと昇格したカールが誇らしげに酒を飲んでいた。
あの横に座ってるのが奥さんか。中々美人じゃねえか。
あゆみも子供たちもその奥でキールたちと一緒に座っていた。俺に気づいたあゆみがすぐに立ち上がってこちらに寄ってこようとしてるのに気づいて慌てて俺の方が駆け寄った。
「お前な、杖つきながらこの酔っ払いどもの間を急いで歩こうなんて無茶だろ」
「え? 私全然大丈夫だよぉ。皆もぶつかったらちゃんと支えてくれれしぃ」
待て、何か変だ。あゆみのろれつが回ってない。まさか……?
「お前、また酒飲んだのか?」
「え? お酒? 飲んでないよ。このジュース貰ってたの」
そう言って突き出したのはリンゴのジュース……と見せかけてこれ、アップル・タイザーじゃねえか!
「バカ、これアルコール入ってるぞ」
「え? ウソ。だって甘くて美味しいんだよ」
ああ、そうか。この甘みに誤魔化されて飲んじまってたのか。ヴィクがすぐ近くで苦笑いしてる。
「ヴィクなんで止めてくれなかったんだ?」
「なぜって、あゆみは十分大人だろ。本人が飲みたいって物をなぜ止めるんだ?」
「こいつは酒癖が悪いんだよ。知らないぞ」
「そんな事はない。さっきっから楽しく一緒に飲んでるぞ」
言われてみれば確かに今回は何の被害も出てない様だ。
なんだよ、俺と一緒に飲んだ時だけこいつはああなるのか? なんか気分悪いな。
「そんな事より黒猫君、どうだったの?」
「ああ、必要な事は大体確認できた。細かい事は明日話そう。お前はもう部屋に行けよ、足元危なくなるだろ」
「ミッチが運ぶから大丈夫!」
「そうか、ミッチが……」
不機嫌に俺が釘を刺すとミッチが横から代わりに答えてきた。
運べるもんなら俺が運びたい。でも猫のこの身体じゃなんもしてやれねえ。
俺もいい加減ふて寝してとっとと人間の姿に戻りてえ。
「ネロ君、もう挨拶は良いでしょ、ほらキーロン殿下に報告に行きましょう」
「あ、じゃあまた後でね」
立ち上がったキールとアルディに俺がせかされるとあゆみにはそのまま軽く手を振ってさよならされてしまった。
お前、そんなにそいつらと飲んでるのが楽しいのか。
分かってる。これは完全に俺のやつあたりだ。それでも腹が立つものは腹が立つ。
俺は不機嫌に短く「じゃあな」とだけ答えてアルディに連れられてキーロンの部屋へと向かった。
「キール、手短に説明するぞ」
流石に疲れたのとあゆみの様子に腹が立ったのとでかなり不機嫌な俺はイライラと机の上を行ったり来たりしながらキールに話しかけた。そんな俺をキールが苦笑いしながら見てる。
「教会の敷地内はなんか別世界だった」
「別世界?」
「ああ。正に別世界。俺たちのいた世界で俺たちが住んでた国の100年くらい前の状態にすごく似てた」
「お前たちが『ニホン』って呼んでるところか」
「ああ。日本がまだ封建主義で農民が使役されてた頃に近い。日本の昔とよく似た農村が中に出来てた。組み分けされて5組7家族づつらしい」
「やけに詳しい情報だな」
「ああ、中に住んでる坊主と知り合った。うまい具合に俺を猫の神様だって勘違いして色々教えてくれた」
「猫の神様っていうのは聞いた事ありませんねぇ」とアルディが不思議そうにつぶやいてる。と言うことはこれもあの塀の中だけの物なのか。
ヒロシは結構色々知っていた。おかげでこっちも手が打てる。
「その35家族が一軒の庄屋を通して教会に年貢を納めてる」
「年貢?」
「ここの税金と同じだ。物は麦ではなく米だけどな」
「コメですか」
アルディが驚いた顔で繰り返したのを聞いて俺の方が驚く。
「まて、アルディお前米を知ってるのか?」
「神殿で神にささげる供物にその名があるのは知っています。教会に通わさせられたことのある者ならば一度は見た事があるでしょう」
ちくしょう、バカは俺か。聞くだけ最初に聞いてみればよかった。
「じゃあアルディ、醤油とか味噌って聞いた事ないか?」
「いいえ」
「みりん、かつお節、片栗粉、ゴム、木綿、とかって言葉は?」
「片栗粉は神殿で出す甘味に使われると聞いた事があります。ゴムと木綿も教会の服装に使う儀式的な素材だと」
うわ、あったわ。色々。聞いてみるもんだな。
「後でこれもっとやろうな。まあそれは全部俺が個人的に欲しいもんで今回の件には直接関係ねえ。いや、少しはあるのか?」
俺はいつの間にか話が脱線してるのに気がついて頭を振って話題を本題に戻す。
「とにかく、教会は敷地内を隔離して自分たちの好きな様にしてやがる。中に住んでるのは中で生まれたやつらだけだそうだ。だから塀の外の事を何も知らないみたいだった。中の連中は黒髪かどうかだけで人生がまるっきり違ってる。多分元々黒髪の者をあつめてたんだろうな」
「確かに。教会は黒髪の子供を受け入れると昔聞いた事がある」
キールが俺の予想を裏付ける。
「黒髪の子は始祖の血を引いていると」
「そりゃおかしいだろ。教会の中でみた始祖らしき奴の絵は金髪だったぞ? それに町中にも黒髪は結構いるだろ」
俺の返事にキールも頷いてる。
「まあ、宗教なんてそんなものだろう? その矛盾が逆に人を惹きつける」
「そんなもんなのか」
俺には今一つ分からないがアルディも小さく頷いていた。
待てよ、こいつら……
「おい、もしかしてあんたらも教会信じてたりするのか?」
俺の言葉に二人が顔を見合わせて苦笑した。
「安心しろ、俺たちは別に教会を信じてるわけじゃない」
「殿下、この話は長くなりますから後にしましょう」
アルディにそう言われてキールもすぐに話題を戻す。
「まあ、教会内に黒髪の人間が多くいても不思議ではないが何がどう違うんだ?」
俺はそこでヒロシの分かりづらい説明から俺が何とか拾い上げた内容を説明し始めた。
「あの敷地内では黒髪の奴らが絶対的な権力を持っていてやりたい放題らしい。ヒロシって中であった坊主な、こいつの話によると村の女は6歳になると『神様の花嫁修業』って名目で全て庄屋に連れてかれるそうだ。元々はそれでも一部の子供を除いて13歳で家に戻してもらえてたらしいが5年前くらいから誰も返してもらえなくなった上に、子供が増えたからって理由で村の女手が根こそぎ持ってかれたみたいだ」
俺の話にキールが眉を顰める。
「でここからがヒロシの話と俺が見た庄屋の家の中の様子から俺が出した推測だが、まず教会は何かしらの理由で13歳以下の子供には手を出してないらしい」
俺は庄屋の家の奥で見た宴会を思い出す。あそこで侍らされていたのは見目の良い女ばかりだったが幼い子供は見当たらなかった。
「多分13歳を過ぎると本来の目的は達して見た目のいい娘は教会の奴らが好きな様にしてるんだろう。庄屋を通じて教会に提供され、どうやら一部は中央の金持ちに売られてるらしい」
「正直相手が教会だと驚きませんね」
アルディがぼそりと呟きキールが口を開きかけ、だが思い直した様に俺を促す。
「大抵は黒髪の子供は庄屋の家で生まれるそうだ。たまに髪の色の薄い子供が生まれると農民に里子に出される。逆に農民の子供でも黒髪に生まれた子供が見つかると連れてかれるそうだ」
「それは徹底していますね。いくら何でもそこまで黒髪にこだわるという話は今まで聞いた事がありませんでした」
「ああ、確か中央の教会には黒髪以外の人間もいたと思うぞ」
「そうなのか? じゃあこれはこの街だけの特例なのか」
この前会ったガルマも今日会ったタカシも二人とも真っ黒な黒髪だったから俺はてっきり教会の奴は全員黒髪なんだと思い込んでいた。
「そんな状況でなぜ農民の奴らは庄屋や教会のいう事を聞いてるんだ?」
キールのもっともな質問に俺もヒロシから聞き出したことを説明する。
「ヒロシの話からするとあの中で魔力が使えるのは教会の連中だけみたいだ。それをいい事に自分たちの雷系の魔術を神罰だっていって農村の奴らに刑罰として使ってる。ついでに黒髪に生まれなかった農民たちは生まれつき結界を超えられないらしい。多分それもあって黒髪の人間を教会に集めてるんだろう」
それを聞いたキールは首を傾げた。
「黒髪と雷系の魔術には全く繋がりはないぞ?」
「ええ、髪の色と魔術の系統が繋がってるなんて話は聞きませんね」
アルディもそう言って首を傾げる。これも教会だけの話なのか。
「まあ、一つ有益な話を聞き出せた。ヒロシは教会の奴らが電撃以外の奇跡を起こすのは見た事がないって言ってた」
「じゃあ多分電撃属性の魔力持ちなんだな」
「俺もそうだと思う。実際過去に干ばつになっても水は出せなかったし、教会でボヤがあっても水を出す奴はいなかったそうだ」
「それは……なんとも」
「バッカスたちには気の毒な」
そうなんだよな。あいつら電撃が一番苦手だし。
「もう、そこは特訓でもして慣れてもらうしかないな」
「後はあゆみさんの方で何か考えつかないか聞いてみましょう」
「そうだな」
あゆみのやつなんか防御に使えるもの作る様な事言ってたもんな。
「ああ、後教会の見取り図も頭に入れて来たから今すぐ紙とペンを出してくれ。忘れないうちに描いちまおう」
そう言ってから自分で描けないことに気づいて唖然とする。待て、これ明日まで覚えてられるか? 無理だよな。
俺は仕方ないので説明を入れながら自分の尻尾で線を引いてその後をアルディにペンでなぞらせる。
「痛え。気を付けろ」
「ああ、すみませんねぇ」
不器用なのかわざとなのか数回アルディに尻尾をペン先で突かれながらもなんとか見取り図が完成した。
「黒髪の神父、司教は全部で30人、黒髪の神の子と呼ばれる予備軍が15人いるそうだ」
「最悪45人か。多いな」
「後は庄屋の所の男衆が5~6人、こっちは魔術も使えないし別に刃物も持ってないそうだ」
相手の戦力を大体掴めたのは行幸だった。これでキールたちが戦略を立てるのも楽だろう。
「俺も幾つか案があるがそれは明日バッカスも呼んで一緒に話そう」
「そうだな。あゆみも待ってるだろう、今日はここまでにしとこう」
そう言ってキールが大きく息をついた。
キールの部屋を後にしてそっと自分達の部屋に戻ってみれば既に明かりは消されて暗く子供たちの寝息が響いていた。
やっぱりもう寝てたか。
そう思って静かに近寄ってベッドに登るとのそっとあゆみが起き上がった。
「黒猫君、報告は終わったの?」
「お前寝てなかったのかよ」
「寝れるわけないじゃん」
暗闇の中で起き上がったあゆみはしっかり酔いは覚めている様子だった。
だけど眠そうに目を擦っている。
「そういう割には目がくっついてるぞ。いいから寝ろよ」
「うん。結構時間かかったね。黒猫君も寝るんでしょ?」
「ああ俺はソファーでいい……」
外をほっつき歩いた身体でベッドに入るのも悪いかと思って俺がベッドから離れようとすると、すかさずあゆみに尻尾を掴まれた。
「いいからこっち来る」
そう言って容赦なく力いっぱい尻尾を引っ張られた。
「あゆみ止めろ、尻尾はマジ気持ち悪い」
「え? 気持ち悪いの」
「ああ。なんかすげえぞわぞわして背筋が凍る感じがする」
「ごめん、今度から気を付けるね」
そういいつつもあゆみがスッと俺を腹の周りに手を回して引き寄せる。
「でもちゃんとベッドで寝なよ。今日疲れたんでしょ」
「ああ?」
「だって今日、黒猫君、一日中機嫌悪かったし」
気付いてたのか。確かに今日はなんか何やってもうまくいかない日だった。
「そういう時は一緒に寝ちゃえば大丈夫だよ。うちの子たちもよく私の布団にもぐりこんで寝てたし」
そう言って俺を胸に抱き寄せる。うわ、マジで半端なく抱きしめられてる。
「まて、俺はお前の猫じゃねえぞ、ちょっとは自重しろ」
「いつもしてるじゃん」
「それでか!」
「だって『ウイスキーの街』につくまで待つんでしょ。だからそれは良いけどでも今日は猫なんだからこのまま寝よ。ね。」
そう言って目を瞑ったあゆみはストーンと寝ちまった。
ま、いっか。こいつがそれでいいってんなら。
「言っとくけど明日の朝起きたら俺素っ裸だからな。知らねえぞ。」
多分こいつ聞いてないよな。
俺も流石に疲れててそれ以上文句を言う元気もなく。
まあ猫のおかげで毛皮ごしに色々当たってるのも最近人型で起きた色々に比べると我慢できるレベルだし。
あゆみの腕の中だって事実から目を反らせば人に抱きかかえられるのは確かにかなり心地よくて安心できて、いつのまにか俺は気持ちよく深い眠りに落ちていった。
* * * * *
あ。黒猫君が走ってる。
ああ。走ってるな。
あれ? 黒猫君? どうしているの?
知らねえ。だけど俺も見えてる。
あれ、黒猫君だよね。
ああ。俺だ。
でまた走ってる。
走ってるな。
しかもあれ、麦畑だよね。
多分ここのだな。
じゃあこれって。
夢だな。