2 治療院
「あのぉ、ここ本当に人が住んでるんですか?」
そう聞かずにはいられない。
だって外壁は崩れだしてるし、幾部屋か壁の穴から中が見えてるし。壁を伝う蔦が壁の崩壊をかろうじて助けてる気がする。
冬になってあれが枯れたら崩れ落ちるんじゃない?
「外見ほど中は酷くないんですよ」
苦笑いしながらそう言ったテリースさんが玄関の扉を引くと、グワンっと扉の下がこっちに向かって回ってきた。下の蝶番が外れてて、抱えながらじゃないと開けられないと言う。
これじゃ危なくて私には使えない。
「……これくらい直すヤツいないのか?」
「蝶番は……安くないんです」
黒猫君の問にテリースさんが恥ずかしそうに答えた。
うわ、そこまでか。
「どうぞこちらです。まずは空いている部屋に行きましょう、荷物を置いてから院長に挨拶に行きます」
「はい」
「あ、それからネロ君、建物の中での排泄は控えてください」
「しねーよ!」
猫扱いされて黒猫君が怒った。
猫なのに。
さて、確かに外側に比べて内側はまだ見られるものだった。
所どころ壁に亀裂が入ってたり、角が削れてたりはしてるものの、壁はどこも煉瓦造りで頑丈そうだ。
板張りの床は時代を経て使い込まれた結果、綺麗に磨きあげられて艶が出てて、実は結構綺麗だったりする。院内はくまなく良く掃除されていて、覗いた限りそれぞれの部屋も質素なりに綺麗にされていた。
「こちらのお部屋を使ってください」
そう言ってテリースさんが見せてくれたのは二階の一番奥の部屋だった。一階は診療室しかないので住めないのだそうだ。
それでも私の足の状態を考慮して、一番人気のこの階の部屋をくれたらしい。
「ありがとうございます」
そこは建物の裏側に面した部屋で、目の前には高い杉のような木が立ってる。部屋にはその木立を通して木漏れ日が射し込んでいた。
室内には一人用のベッドが一つ。
窓際に小さな椅子と小棚、小さな机。
それだけ。
私は黒猫君と自分の荷物……っと言っても布の小さな袋一つだけど、それをベッドの上に置いて扉に戻る。
黒猫君はクンカクンカとまるで犬のように部屋で匂いをかいで、すぐに顔をしかめて扉に戻ってきた。
「死体の匂いがする」
「ええ、前の方は昨日亡くなったばかりですから」
「ひえ!」
「どうかしましたか?」
そ、そうか、ここ病院だもんね。これは当たり前なのか。
「それでは院長室に参りましょう」
そう言ってテリースさんがまたもや先導してくれた。
そこは一階の一番奥、私たちの部屋とは廊下を挟んで反対側の下になる。重厚な木製の扉は、なぜか傷だらけだった。
「失礼します、先日手紙でお知らせしたあゆみさんをお連れしました」
「ああ、テリース、良く帰ってきたね。さあ皆さん中に入ってください」
「失礼します」
部屋に入ると、お医者様の匂いがした。あのスンっていう薬品の匂い。
「そんな馬鹿な。この匂いは!」
黒猫君がキッと院長を睨みつけた。どうしたんだろ?
「え? ああ、この匂いですか。独特の匂いでしょう。この地方のウイスキーの匂いなんです。アルコール度が高いので医療器具の洗浄に使うんですよ」
そう言ってボトルを見せてくれた。
ボトル、と言うよりはボトルの形をした壺だった。ガラスじゃなくて陶器製みたいだ。
そう言えば、こちらの建物の窓にはガラスが入ってなかった。開けっ放しの窓枠に鎧戸と普通の扉が二重に付いていて、夜寒ければそれらを閉める。日本みたいに蚊とか刺す虫がいないみたいで、雨が降らなければ窓はずっと開けっぱなし。
「あの……これすごく高そうですけど」
「え? ああ。本来かなり高価なものですが地元の、しかも最近出荷がままならない品ですから安値で買い取れたんですよ」
「院長、そんなこと言って院長がご自分で飲むために買って来られたんでしょう。こんな物に無駄遣いしないでください」
「すまないねぇテリース君。で、あゆみ君だったかな? 足の状態はいかがかな?」
顔を引きつらせて小言をいうテリースさんにおっとりとそう返した院長先生は、私の足を診ようと腰を浮かす。
あれ? 私治療の為に来たんだっけ?
「院長、治療は今はいいですからまずはお話し合いを」
「や、すまない、ついいつもの癖で。そうでしたね」
すかさずテリースさんに指摘された院長先生、ポンと膝を打ちながらまた座り直す。そして私に向き直って頭を下げた。
「あゆみさん、まずはテリースの命を救ってくださったそうでありがとう。院の者を代表して感謝させていただく」
「滅相もない。テリースさんにも言いましたが、こちらこそ命を救っていただいてるんです」
「ああ、それは君たちが発見された時のことだね」
「はい」
そう言って院長さんは私と黒猫君の両方に目を向けた。
「そちらの君はネロ君でいいのかい?」
「ああ、もうそれで構わないです」
黒猫君が猫の肩をすくめる。
あ、ちょっと可愛い。
「君もテリースに救われたと思っているのなら、それは間違いだよ。君の精魂転移術を行ったのはキール隊長だから」
黒猫君が目を見開いた。
「あのような術はこのような治療院の救護師などにはとても出来る代物じゃない。君は本当にラッキーだったね」
そう言えばキールさん、テリースさんに痛覚隔離も掛けてたんだからやっぱりすごい人だったんだ。
「さて、話を戻そうか。君たちの善意に報いるためにも、ここの部屋は好きに使ってくれて構わない。食事に関してなんだが……」
そこで院長さんが一旦言葉を切って私に尋ねる。
「君、因みに料理は出来るかい?」
「料理ですか?」
「ああ。最後の料理人が先月辞めてしまってね。今まで近所の女性が交代で手伝ってくれていたんだ。もしできれば料理を手伝ってもらえると助かるんだが」
えっと。
日本では最低限の料理はしたことがあった。
まあ、去年付き合っていた彼のお陰と言うべきか。
一応ままごとみたいな彼女の手料理一通りはやってみた。決して美味しくはなかったが。
彼はそれでも美味しいと言って食べていたけど、作った本人が言うのだ。あれは間違いなく美味しくはなかった。
「任せてもらって大丈夫だろう」
答えあぐねてた私の代わりに、黒猫君が勝手に返事を返しちゃった。
慌てる私を横目に、黒猫君が余裕そうな顔で院長先生を見返してる。
「それは良かった。ではテリースが厨房に案内するから今日から早速よろしくお願いしますよ。その分君たちの食費はいりませんから」
「ありがとうございます」
またもや黒猫君が返事をした。
「良かった、これで私も兵舎に戻れます」
「テリースにはいつも迷惑を掛けますねぇ」
「院長、そう思われるのでしたらお酒は控えてくださいね」
苦笑いで釘をさしたテリースさんに連れられて、私たちは院長室を後にした。