32 ヴィクさん
急いでご飯を食べ終わった私たちは結局キールさんとアルディさんに連れられて訓練場に出た。黒猫君は一人部屋に戻って着替えてる。ラッパの音はまだ鳴ってないけど、数人の兵士さんがすでに訓練を始めていた。あ、今日は教官の中にヴィクさんがいる。ヴィクさんが剣を持っているのは初めてみた。
私たちが訓練場に出た途端そこにいた兵士さんたちの間に緊張が走った。
「キーロン殿下が視察されるぞ」
「新兵ども、気を引き締めろ」
あ、そうか。みんなにとってキールさんが見に来るのって重大なことなのか。それをアルディさんがすごく満足そうに見回してる。
「最近ネロ君ばかり相手にしてましたしネロ君が来るまで何方か稽古を付けてあげましょうか」
その一言でその場の全員が凍りついた。そりゃ今ここでアルディさんの相手をすれば間違いなく目立つけど、同時に刻まれるのも間違いないもんね。
「私に訓練を付けて頂けますか?」
緊張する場に綺麗なテノールが響いた。あ、ヴィクさんだ!
緊張した面持ちのヴィクさんが長剣を片手に一歩前に出る。
それをアルディさんが無表情に見返してうなずきながら前に一歩出た。
「ヴィク。長剣はあなたの体型に合わないと前回も申しましたよね。また刻まれたいのですか」
「今度こそ大丈夫です」
喋りながらも間合いをジリジリと詰めた二人は剣と剣を軽く打ち合わせてから踊るように戦い始めた。
黒猫君とアルディさんがする訓練とはまるっきり違う。
あの二人の時はどちらも瞬発的に動いて次の瞬間には離れてるか黒猫君が転がってる。それがこの二人はまるで決まったダンスの手順を踏むように優雅でありながら早い。
でも十数手撃ち合ったあたりでヴィクさんが遅れだした。
それは本当に僅かな遅れで、すぐに追いつけそう、でも追いつけない。遅れはそのうち完全な隙を作りアルディさんの剣がヴィクさんを刻み始めた。
「そろそろ諦めないとまた練兵服を作り直すことになりますよ」
すっかり余裕を得たアルディさんがヴィクさんに忠告を送る。
だけどヴィクさんは余裕のない中首を振って唸りながら剣を振り回し続けた。
ラッパはすでに鳴ってたし新兵の皆さんはみんな集まってたけど教官を含めてみんな二人の組稽古を丸く囲んで見守ってる。
「君は闘志だけは本当にずば抜けてるんですがね。自分の有利不利を冷静に判断できないところが致命的です」
アルディさんの言葉にヴィクさんがカッと頬を染めた瞬間、アルディさんが自分の剣の柄でヴィクさんの手の甲を突いて剣を叩き落とし、そのまま自分も剣をおろしてヴィクさんの腕をねじり上げて地面に押し倒した。
「これで満足ですか?」
アルディさんが冷たく言い切ると訓練場にどよめきが上がった。
「アルディお前やっぱ趣味悪いぞ。もう少しマシな終わらせ方できるだろお前なら」
突然私のすぐ横から黒猫君の声が響いた。振り向けばいつの間にか黒猫君が着替えて私のすぐ横に立ってた。それに答えるように地面に転がったヴィクさんをそのままにアルディさんが立ち上がる。ヴィクさんはしばらくその場で動けない。
私がついヴィクさんの所へ行こうとすると黒猫君に肩を掴まれた。顔を見れば首を振って「ほっといてやれ」って言いおいて今日の剣を片手にアルディさんの所へ向かった。
そう、今日の剣。
実は黒猫君、毎日違う剣を使ってる。最初に見た日は凄い太くて長い剣だった。昨日は長くて細い剣。今日は短くて細い剣が二本。
「ネロ君。確かに体に合う剣を探すのも大切ですがそう節操なく毎日変える必要はありませんよ?」
「お前のせいだろうが! 最初の訓練の時の剣でやっと慣れたと思ったら取り上げられて剣なしとか! ここ暫くは俺が慣れるたびに特徴殺す技見せつけやがって」
あはは、そういう事だったんだ。黒猫君負けず嫌いだなぁ。
「それも君が毎回あっという間に使いこなして特有の癖を出し始めるからですよ。勘だけは本当にいいんですから」
「言ってろ、今日は負けねぇ」
喋りながらもすでに戦ってる。ヴィクさんの時のような開始の合図も何もない。向かい合ったら始まってる。地面に転がっていたヴィクさんがそれを見上げて悔しそうに顔を歪め、こちらに歩いてくる。
「あのお姉ちゃん負けちゃったね」
「シッ、ミッチ黙れ」
「いいんだよ、事実だから」
その声が聞こえていたのだろう、こちらに近づいていたヴィクさんが苦笑いを浮かべながら私たちを見た。
「ヴィクさん、ちょっとこっち来てください」
私はそういってヴィクさんに私の横まで来てもらう。
黒猫君たちの訓練は続いていて今度はビーノ君が口笛を吹きながら見入ってる。それを他所にヴィクさんの手を取って回復魔法を使った。
「こんな事しかできませんけど」
「あゆみさん、私にこんな魔法もったいないですよ。単に訓練で疲れただけなのですから毎日のことです」
「でもアルディさん、手加減ないから」
そういって黒猫君たちの方を見れば、たった今地面に転がされた黒猫君がフワッと跳ねる様に立ち上がってばねに弾かれるようにアルディさんに飛び込んでいく所だった。
「……黒猫君の場合は半分以上自業自得ですけど」
「あゆみさんは旦那様の雄姿がお好きなんですね」
振り向くとヴィクさんが私を見てクスリと笑ってる。
「そんな事をいいつつ、ネロ殿が地面に手をつかれるたびに悔しそうに見てらっしゃる」
「え? そ、そうですか。そんなつもりはなかったんですけど」
「私もあれくらい筋力があればきっと誰にも負けない……」
私の答えは聞こえていなかったのか、ヴィクさんがぼそりと呟いた。その瞳は凄く悔しそう。
「そうですね。黒猫君、やっと人間の身体で思いっきり戦えるようになってちょっと浮かれてますよね。またいつ戦えなくなるか分からないし」
意味を取りかねたヴィクさんがこちらを見た。
「なんせ黒猫君、元が黒猫ですから。以前は黒猫の体じゃ桶一つ運べないって悔しがってましたしね」
ヴィクさんが私の顔をマジマジと見てる。
「それでも黒猫君、猫のまま私の命救ってくれたんですよ」
ヴィクさんの目が見開かれて黒猫君に向き直る。
「なのに人間の姿になってすぐに私が誘拐されちゃったの凄く悔やんでるみたいで。アルディさんの訓練文句言いながらも諦めないのは多分それもあるんでしょうね。無茶ですよね、今まで剣も持った事なかったっていってましたし」
「ええ? ネロ殿は剣に馴染みがなかったんですか?」
「そうらしいですよ。なんかそういう喧嘩は好きじゃなくて刃物は人に向けたことなかったって言ってましたから。でもここに来る前に素手だけでアルディさんとやり合って素手の限界を感じたそうです」
昨日の訓練の後、あんまり黒猫君の剣さばきが様になってるから剣道でもやってたのか聞いたのだ。でも学校の授業以外で剣道も他の武術も習った事はないそうな。ただ素手の喧嘩だけは負けたことがなかったらしい。
「そうですか。才能って有るんですね」
「え? ああそうですね。ヴィクさんみたいな綺麗な撃ち合いは黒猫君には絶対無理でしょうね」
ヴィクさんが驚いてこちらを見た。そしてまた黒猫君を見る。
「黒猫君、必死ですから。でも黒猫君の格好つけてないところ、私結構好きだったりしますが」
言ってて恥ずかしくなっちゃった。だって盗み聞きしてたビーノ君とキールさんがニヤニヤしながらこっち見るんだもん。
っと。今目の前でいつも飄々と黒猫君の相手をしているアルディさんが顔をひきつらせて珍しくバッと飛び退いた。
「ネロ君、きみっ!」
「チッ。折角の今日のとっておきまで避けちまうのかよ」
「き、君いつの間に魔法を覚えたんですか!?」
あ。とうとう使ったのか。
「なんかあゆみからは信号受け取れたんだよ。だからあゆみのできる魔法は全部俺も出せる。ついでにこんな事も出来るようになっちまった」
そういって手に持っている二本の剣を叩き合わせるとバチバチと音がする。
うわ、黒猫君、あの剣を帯電させちゃった!
「ほう。じゃあ今度は俺が相手しても大丈夫そうだな」
突然キールさんが嬉しそうな顔で新兵の剣を奪い取った。
「キーロン殿下! 駄目に決まってるでしょう! とっととその剣を下ろして執務室に向かってください。もう今日の訓練はこれで解散!」
アルディさんが慌てて解散を叫ぶと喜んで散っていく兵士達とは裏腹にキールさんが一人残念そうに手の中の剣を見つめていた。