30 ビーノの事情
俺に抱えられたビーノはそれでもしばらくは手拭いに顔を押し付けてしゃくり上げていたが「下ろせよ」と小さくいってから「もう逃げねえから」と力なく付け足した。
それを聞いた俺は手拭いを奪い取って再度ぐしゃぐしゃとビーノの顔を拭いてから下ろしてやった。ちょっと考えたが手拭いはそのまま首に下げる。いい加減ここでこれを隠すのにも疲れて来た。どうせいつかはばれるだろ。そしたらキールがまた何とかするんだろうしもういいよな。
「落ち着いたんなら少し質問するぞ。お前があの教会に捕まったのもあの司教長に従ってたのもあの二人を人質に取られたからなんだろ」
俺の横をとぼとぼ歩いてたビーノが無言でうなずいたのを確認して先を続けた。
「あそこの司教長があの二人みたいなガキどもに何してたのかって俺が聞いたら、あの二人凄い勢いで泣き出しちまった。お前なら説明できるか?」
暫く無言でついてきたビーノはぐっと拳を握りしめて、震える声で話し始めた。
「あそこの裏、確かに治療院はあるんだよ。あいつら、最初そこに入れられてたらしい」
「お前は一緒じゃなかったのか?」
ビーノは辛そうに言葉を続ける。
「俺はあの日、ダンナの仕事で街に出てた。帰ってみたら貧民街のいつもガキが集まって遊んでる場所に誰も居なかった。最初遊び場を移したのかと思って近所の大人に聞いて回ったらどうも人が沢山減ったって言われて。その内の一人があれは教会の式典服だったって言い始めて。そこで大人はみんな黙っちまった」
ああ、それは仕方ないだろうな。普通に考えて貧民街に住んでる奴らが束になって押しかけてもあの教会の奴らは聞く耳を持つどころか相手にすらしないだろう。
「俺、どうしてもあいつらを見つけたくて。教会に忍び込んだんだ。ミサに紛れて裏に回って。でもそこで掴まっちまった」
「あの二人には会えたのか?」
「ああ……やせほそって二人とも立つのがやっとで。俺があいつらに駆けよったのをあの司教長のやつしっかり見てて俺を脅してきやがった」
悔しそうに、情け無さそうに、顔を歪めたビーノがうつむきながら先を続ける。
「俺が街で色んな事やってんの見てとったあのクソ野郎、俺が手先になって働かなかったらあの二人に飯食わせねえっていって。それどころか次の『順番』に加えるって」
そういってビーノがブルリと小さく震えた。
「……なんの順番だそれは?」
「……解体の順番だよ」
吐き捨てる様にビーノが言った。一気に嫌な予感がし始める。
「解体ってまさか……」
「北のな。鉱山。人がいっぱい死ぬらしい。怪我する奴も凄く多くて。従順で働ける人手が欲しいんだとさ」
俺の言葉には直接答えずにビーノが続けた。
「獣人は子供でも人間の大人並みに力があるんだ。だけど感情的で従順とは程遠い。エルフはすげえ頭もいいし反抗しねえ代わりに身体が弱い」
吐き気がしてきた。
「エルフと獣人の子供の頭を挿げ替えて、奴隷の印入れて残った体を捨ててるって……あのクソ野郎ども平気であいつらの目の前でそれをやって見せてたらしい」
「悪い、ちょっと待て」
俺はたまらなくなって外に駆けだした。吐き気は酷かったが何とか吐かずに済ませた。すぐに今度は体中の血が逆流して誰かれ構わず殴ってまわりたい衝動に駆られる。それをぐっと押さえ込んで外の空気を力いっぱい胸に吸い込んでから深呼吸した。
「大丈夫か兄ちゃん?」
「……あ、ああ」
情けねえ。ビーノに心配されててどうすんだ俺。
どうにも俺のこの短気は中々直らねえ。
今日もあれだけ我慢してたのにあの司教長の野郎が刃物を出した途端ブチ切れちまった。
「行こう」
それでもなんとか落ち着きを取り戻した俺はビーノの肩に手を置いて食堂に向かった。
「寝ちゃったね」
「ああ」
あゆみと俺たちの分の夕食を持って部屋に戻りそれぞれ夕食を済ませると電池が切れたように3人ともソファーで眠りこけた。部屋に3人の小さないびきが響きだす。それを暫く何とも言えない気持ちで見つめてた俺はふと思い出してあゆみに聞いた。
「お前、俺が同じベッドでいいのか?」
こいつらと一緒にマットレスで寝れない事はないが結構厳しい。
「え? 私は別にいいよ。それよりみんなをそっちのベッドに寝かせてあげなよ」
あゆみが何の躊躇もなくそう答えた事にちょっと安堵しながら……同時に邪な考えが浮かんでは消え浮かんでは消えし始めた。それを振り切る様に立ち上がって子供たちをベッドに入れてやる。掛け布団はでかいのをアルディが後から持ってきてくれた。
「何か可愛いな」
つい考える間もなく言葉が零れた。
「そうだね。黒猫君、ありがとう」
何のありがとうかとあゆみを振り返るとあゆみが少し顔を歪めてベッドに座ってる。
「今日何回もどうしていいか分からなくなっちゃった私の背中、押してくれて。黒猫君が背中押してくれたおかげで何とかこの子たちを力いっぱい抱きしめてあげられた」
俺は一つ大きく深呼吸する。いや、そうしないと何か動悸が激しくなりそうで。
そのまま戸棚に向かってあゆみに声を掛ける。
「お前の寝巻、もう新しいのないからな。今そこにある奴に着替えろよ。ここにはメリッサみたいな便利な妖精はいないらしいから週に一度回ってくる奴に洗濯物を出さなきゃならないらしいぞ」
誤魔化すように今はなさなくてもいい事を話し始めた。
「え? そうなの? じゃあ私自分の下着は自分で洗いたいよ。次にお風呂行く時洗濯しなきゃ」
こいつ。また俺に風呂場に運ばせる気か。あれがどれほど俺の自制心削ってるか全然理解してねえな。
まあそうしないと風呂に入るのは無理だろうし他のやつになんかもちろんやらせたくねえが。
昨日の寝巻は洗うつもりで別にしちまったので自分の着替えを戸棚から取り出し、後ろを振り返ってあゆみが着替え中なのに気が付いた。慌てて戸棚に視線を戻す。
「おい、せめて着替え始めるなら一声かけろよ」
「あ、ごめん」
返事をしたあゆみの声は全然焦ってる様子が無くて。こいつ俺に見られるの実はもう慣れ切ってるんじゃないか? 俺、昨日こいつに告白されたんじゃなかったけか? あれは気のせいだったのか?
「着替え終わったよ」
声をかけられて再度あゆみを見て内心「しまった」と思いながら顔を背けた。すぐにあゆみと反対側のベッドに進んで「あっち向いてろ」と短く命令する。
あゆみのばか。しれっとした声で答えたくせに顔は真っ赤じゃねえか。
「ねえ、黒猫君、その尻尾どこに繋がってるの?」
「おい、何こっち見てんだよ」
「え? だって黒猫君今朝気にしてないみたいだったし」
気にしないわけあるか! 気にしてないふりしてるんだよこっちは。男が裸見られて赤面とか恥ずかしすぎるだろうが。
そんな俺の気持ちなんてまるっきりお構いなしにあゆみが俺の尻尾に手を伸ばす。バッと振り返って尻尾を体の後ろにかばいながらあゆみを問いただした。
「待て、お前今何する気だった?!」
そんな俺にベッドの上で片足で横座りしてるあゆみがキョトンとした顔でこちらを見返す。
「え? 何って、この前言ったでしょ。黒猫君の尻尾、自由に触らせてもらう代わりに許してあげるって。ちょっとくらい触らせてよ」
こいつ! とんでもねえ!
まるっきり悪気もなく俺の尻尾好きな様に触るつもりでいやがる。キラキラ目を輝かせて俺の下着一枚の姿見てるあゆみにため息がこぼれる。
昨日「気をつける」っていったのはどこのどいつだ? 反省はしないのか? 学習は?
いや、もしかしてこいつ実は俺を本当に煽ってるのか……?
一気に劣情が湧き上がりそうになり慌てて顔を強張らせる。
「あのなあゆみ。まずはあっちを向け」
俺と正反対を指さしてはっきりと言ってやる。あゆみは不服そうにしばらくこっちを見てたがやがて諦めて向こうをむいた。俺は手早く着替えを終えてベッドに上り、あゆみの後ろにあぐらをかく。
「いいか。ちょっと聞け。俺はちゃんと『ウイスキーの街』に帰ってお前に言う。そしたら色々考える。それまであんまり俺を煽るな」
さっき買った櫛を脱いだ服の懐から取り出して、それであゆみの髪をとかし始めた。
あゆみが驚いてこちらを振り向こうとするのを制止してそのまま続ける。
「俺な。あんまりいい経験ねえんだよ。まともに俺と付き合う女なんて今まで誰もいなかった」
あゆみの髪は猫っ毛のようで櫛がやたら引っかかるが、一度通るとスルッと指を滑る。
「だから間違えたくねえ。ちゃんとしてやるから今は俺を煽るような事はするな。あんまり弱い俺を追いつめないでくれ」
あゆみの髪をとかし終えた俺は櫛を持った手を後ろからあゆみの前に突き出した。
「いつもヴィクから借りるのは無理だろ。これ使え」
「黒猫君これ……いいの?」
恐る恐る俺の手から櫛を受け取ったあゆみがちょっと震える声で聴いてきた。
「寝るぞ、こいつら明日俺達より先に起きるだろうから早く寝ないと辛いぞ」
「……うん」
そう返事をしてもあゆみはしばらく動かなかった。
後ろからでも分かる。俺のやった櫛、握って俯いてる。俺が今梳かしたばかりの髪の間から見えるあゆみの耳が赤く染まってる。俺はそれを暫く見つめてしまったがこれ以上はマズいと気がついて、とっとと布団にくるまった。
しばらくして「ありがとう」と小さく呟くのが聞こえた。あゆみがちょっと動いて布団に入る。魔晶石の明かりが消えて。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
……俺もいい加減これに慣れねえと身体持たねえな。