8 授与式
アルディに引っ張られて連れて来られたのは兵舎の一室だった。さっきあゆみと一緒に入った部屋とはまた別の棟らしい。家族用というわけではないが俺達の部屋と変わりないくらい広い。応接間と寝室が分かれていて他にも数部屋あるようだった。
「なあ、この制服、『ウイスキーの街』のとは全然違うじゃねぇか」
「あそこは辺境警備隊の管轄でしたがここは王国警備隊の管轄ですからね。僕達もあそこにいる間は辺境警備に組み込まれていたので基本あちらの制服を使ってたんですよ」
アルディが出してきてくれた制服を見て俺の顔が引きつる。
またかクソ初代王!
礼式専用だというそれは厚手の生地を使ったガッチリとした作りで、詰襟から腰の下までカバーされる上着は赤に金の縁取りがされた詰襟部分を除けば全て濃紺一色だった。それと同色のズボンが組み合わせられている。胸元に……やけに見覚えのあるエンブレムが紺で刺繍されてるが生地と同色のお陰でそれほど目立たない。かなりシンプルなデザインになっている事自体は心の底から感謝したい。
ああ、そう言えばこれの使い古したのを一度見てるな。あゆみが砦で療養してる時にあいつの布団代わりにしてたやつだ。何であの時に気づかなかった俺。
『制服』と聞いた時から嫌な予想はしていたが自分がこれを着るのかと思うと恥ずかしくて逃げ出したくなる。しかも毛織の生地は今の季節にはあまりに暑すぎてアルディも俺も中は下着以外何も着ていない。
初代王め、苦労してこんな制服作らなくていいだろうに。
何とか上下共に自分一人で着る事は出来たが首が詰まった服なんて学生の時以来だ。つい気になって襟元を緩めるとアルディがすぐに文句を言う。
「ネロ君、襟はちゃんと一番上まで留めて下さい。それにしても兄の服のサイズが合って本当に良かったです」
そう言うアルディも俺と同じデザインの軍服を着ている。
「なあアルディ、キールの奴本当に大丈夫なのか?」
襟首を引っ張りながら俺が聞くとアルディが肩をすくめながら俺に白いベルトを手渡してくれる。
ベルトは白か。有難い事に肩に羽織るマントもないらしい。やはり1000年の間に色々変わってるのだろう。
「殿下はご自分でお決めになった事を後悔されることはありませんから大丈夫なのかと言えば大丈夫ですよ。ただ今回の決断はご本人にとっては思いも寄らないものであったのは確かですね」
「それは皇太子執務局の事か?」
アルディの着けるベルトは中心に金の線が一本入っている。
「それも含みますが皇太子として正式に立たれたこと自体ですよ。ネロ君はご存知ないと思いますが殿下は一度幼い頃に暗殺されかけた事がありましてね。その時にお母上を亡くされています。それが殿下の皇太子としてのお披露目の直前だった為その授与を断って軍に飛び込んでしまわれたんです。ですからそれ以来殿下の皇太子としての相続権授与はずっと放り出されていたんです」
「よくそんな事が出来たな」
普通政治的に追い詰められるんじゃないのか?
俺の疑問は顔に出ていたのだろうアルディが眉を下げて説明を続けた。
「ええ。まあそれも元々キーロン殿下のお母様が政治的な力を持ってらっしゃらなかったからこそですが。だれもキーロン殿下を擁立する気も無く、結局みんなキーロン殿下がその立場を確立しないのであれば興味は無いと言う姿勢を貫いたのです。当代国王を含めて……」
「当代王ってそれキールの父親なんだろう?」
「はい」
「ひでぇ話だな」
「そうですね。でも貴族の間では結構よくある話なんですよ」
呆れる俺に答えたアルディは何か思う所があるような口ぶりだった。
俺がベルトを留め終わるとアルディがそこに式典用の細身のサーベルを吊り下げてくれる。
「それなのに今回キールは結局その立場を受理したんだな」
「主に君たちのお陰ですよ」
俺の問いにそう言ってアルディが小さく笑う。
「以前にもお話した事があったと思いますけどあの方は人を見捨てられないんですよ。あなた方お二人もそうですけど今回は特にあの『ウイスキーの街』の事です」
アルディがそう言って応接室の横に置かれている鉄を磨き上げた鏡に自分を映して髪を整えている。振り返って俺の頭を睨んで、すぐに鏡の横の戸棚を話をしながら漁り始めた。
「中央の出張行政と今後の執政に付いて協議したところキーロン殿下が今後も正式に執政を行うには皇太子として立たれることが最低限必要だと切り捨てられたんですよ。最初は一時的な措置を継続したいと言い張ってらしたんですが不可能と分かってやっとご覚悟を決められた様ですね」
「それはまあ仕方ないな。でも本当にそれに俺は必要なのか?」
結局机の引き出しから見つけた包帯を引き出してそれを俺の耳を押さえつける様にして頭に巻き始めた。その上に軍服とお揃いの帽子をかぶせる。こちらもヘルメットでない事に改めて安堵する。
「正直、君が必要と言うよりは君たちに必要な措置でした」
最後に俺の服と自分の服に軽くブラシを掛ける。膝までのブーツは少しきついがやはりアルディの兄の物を借りた。
「ネロ君とあゆみさんをこれ以上表舞台に出さない為にも逆に正式な立場を作って呼び出しにそれ相応の理由が必要にしたかったんですよ。何しろここについて最初に聞かされたのがあなた方に関する問い合わせが幾つかの組織から定期的に行われてるという事でしたからね」
「はぁあ? 俺達は今までこの街に来たこともなかったんだぞ」
アルディの言葉に驚きを隠せない。アルディも少し厳しい目つきでこちらを見た。
「そこなんですよ。キーロン殿下も僕もまさかそんな事態になっているとは思っていませんでした。ただ、あなた方の存在を知っていてあの街を出た可能性のある者は非常に限られています。一人はあの取り逃したダンカン。彼が『連邦』に情報を流した可能性は大いにありえます。そしてもう一つは……」
「バッカスのところか」
「はい。もしまだ他にも『連邦』の子飼いが残っているとなると色々と問題です」
「そちらの可能性はないとは言えないが少ないと思うぞ。今回渡りを付けようとした奴の顛末は知らせたそうだしこの後北に行くことも伝わったはずだ」
「そうですね。まあ、可能性が残っている、と言うだけです」
そう言ってアルディが俺を引き連れて部屋を後にした。
アルディの部屋からさっきキールの執務室があった棟に移ると一階の片側が綺麗に片付けられて広い会場が用意されていた。一番奥が簡単なひな壇に仕立て上げられ、壁にはいくつかの旗が掲げられている。そのひな壇の一番奥には既にキールが一人立っていた。難しい顔をして立っているキールは見れば俺たちと同様に濃紺の制服を着ている。こちらも特に派手な金の刺繍やマントはない様だ。
そしてその前の会場には多数の兵士が声一つ上げずに静かに直立で綺麗な列を作って待っていた。濃い緑の軍服をきっちり着込んだ姿勢の良い兵士たちがこれだけ並んでると壮観だ。
アルディに連れらえてキールの目の前まで進むとそこには十人程の兵士が既に一列に横並びに並んでいた。アルディが俺を連れてその一番右側に着く。俺たちが同様に直立不動になるのを待ってキールが口を開いた。
「じゃあ、これで全員そろった様だから式を始めるぞ。まずはその前に」
そこで言葉を切ったキールは部屋全体を一度見回し少しだけ頬を緩めて言葉を続けた。
「この半年、俺の不在の中よくこの街を守り続けてくれた。見る限りバカ1人を抜かして誰も欠けてないようだな」
何人かが笑いを零す。どうやらバカ呼ばわりされた者は皆の知っている人間らしい。場が再度静まるのを待ってキールが続ける。
「既に話を聞いている者も多いとは思うが。今回、『ウイスキーの街』が半年の間孤立する中、街の施政がどうにもならない所まで追い詰められ、仕方なく俺が執政を取る事となった。結果、非常に遺憾ではあるがここで俺が皇太子として正式に立つ必要が出来てしまった。今まで長い間ここの部隊を任され、諸君と共に戦って来れた事を非常に光栄に思っている。今後はアルディが俺に代わってここの隊長を担う事となる。後で挨拶させるが可愛がってやってくれ」
「殿下、可愛がっては酷いですよ」
そこら中から笑い声が上がった。それを抑えてキールの言葉が続く。
「形式上、現在中央の軍と連絡が取れなくなっている今、まずは俺が全員の昇格を終わらせてから俺自身の引継ぎとなる」
そう言ったキールは左から順にそれぞれの昇格の通達を行っていく。名前を呼ばれた者が一歩前に出てこちらの敬礼らしきものを行うだけだ。どうやらこの半年の間に色々な入れ替わりがあったらしく俺の横に並んでいた兵士たちが順に名前を呼ばれていく。
「次にネロ・アズルナブ。ネロは俺の親戚になるわけだが訳あって『ウイスキーの街』で俺と合流して入隊した。その後一週間ほど前の『連邦』との攻防において先鋒の凶刃に倒れた俺を後方に連れ出し、アルディと共にその先鋒を仕留め、沼トロールを街から遠ざける為の囮を務め、最後には500を超す『連邦』の私兵を一網打尽にした。その功績を持ってこの度メイジャーに昇格となる」
今度は周り中から息を呑む音と驚きのどよめきが響いた。誇張ではないにしろやけに色のついた説明に俺は恥ずかしくて顔を俯ける。
「下を向くなネロ。胸を張って受領しろ」
そう言ってキールが俺の両肩に一房の銀のリボンの房を付けた。初めてそこに物を吊るす事が出来る事に気づいてアルディを見るとアルディの肩には金色の房が同じ様につけられていた。
「最後にアルディ。今までの副隊長としての実績に加え、今回の『ウイスキーの街』でネロと共に上げた功績とその揺るぎないリーダシップを持って君に俺の隊長の座を譲る事とする」
「大変光栄です」
キールは話しながら自分の肩に付けられていた少しくたびれた濃紺の房を外し、アルディの両肩に吊るした。
「これで堅苦しい式典は終わりだ。皆解散! ただし食堂に行けば飲み物と晩餐が用意してある。気の向いた者は行ってみろ」
軽い調子で言葉を締めくくったキールを睨みながらそれを合図にアルディが踵を鳴らして手をあげると、途端部屋に居た兵士が同様に踵を鳴らし、全員こちらの真っすぐ手を上げる敬礼をしながら声を合わせた。
「Behold the prince Kieron (ビホール・ザ・プリンス・キーロン)!」
「「「「All Hail to the Prince Kieron (オール・ヘイル・トゥ・ザ・プリンス・キーロン)!」」」」
響き渡った男たちの大声に部屋の壁が揺れた気がした。
『ウイスキーの街』の時とは違い今回は冗談でも悪ふざけでもない。それは一隊から真に王族への起礼だった。それを理解しての事だろう、今回キールは顔を引きつらせながらも文句ひとつ言わずただ黙ってそれを壇上から見下ろしていた。