6 給料
「キール、なんだこれ……」
「ああ、言っただろう、ナンシーに着いたらちゃんとするって」
「それは聞いた。だけどそれにしても……」
黒猫君が言葉に詰まるのも無理はない。
アルディさんに連れてこられたのは結構大きな部屋だった。多分会議室なのだろう。部屋の真ん中には木製の長いテーブルが4っつほどくっついて並べられててその両側に椅子が並んでる。10人は軽く一緒に座れそう。その片側からズズズっとなんか同じ様な物が2組色々並んでる。
「まあ、今までの分が溜まってたからな」
そう言ってキールさんがニヤリと笑った。
黒猫君に抱えられたまま椅子越しにテーブルに沿ってそこに並んでる物を一緒に見ていく。
まずは洋服が数組。
これは黒猫君と私それぞれ別々だけど共通しているのは何とも重そうな生地だってこと。ウールなのかな? ああ、ここの冬は寒いって言ってたもんね。ちょっとこの前ポールさんが着てた服みたいだ。
次にタオルが数枚。タオル!
『ウイスキーの街』では見た事無かった。あ、でも手触りはやっぱり麻だ。
それと手拭いが一山。何故か白い布と毛織の布がそれぞれ一山。
その他にも色々な生活用品が続いて、その次がペンとか紙とか……紙!
「キールさん、この紙白いよ!?」
「ああ、正式文書用だからな」
驚く私にまるでそれが当たり前だというように答える。
インクも山ほどあって、その次がしっかりした革の袋が2つづつ。
黒猫君が椅子を引いて私を下ろしてくれた。それぞれ自分の分の袋を開けてみる。
一つ目は二人とも同じくらいの小銭入れサイズ。
開けてみると……うわ。金だ。金貨と銀貨が入ってる!
「これ……キールさん?」
「そっちは君たちの今までの給料。ネロが持ってるもう一つの袋は君たちのここでの支度金、あゆみが持ってるのは君の足の保障金だ」
「うわ、保障金の事なんてすっかり忘れてた」
「ああ、お陰で本当に助かった。あの街ではとても払いきれなかったからな」
そう言うけどこの袋、結構な数の銅貨が入ってる。大きさもさっきの小銭入れの2倍くらいはある。
黒猫君の方を覗くとそっちは私の袋の倍はあって、やっぱり銅貨がジャラジャラ入ってた。
「靴や下着はサイズが合うものを明日街で買ってくれ。費用はその支度金から必要なだけ使ってくれていい」
袋を置いた黒猫君がキールさんを軽く睨んでる。
「キール、確かにナンシーに行ったら何とかしろとは言ったけどさ、お前これ本当に大丈夫なのかよ」
黒猫君の質問にキールさんがテーブルの端の椅子に腰かけながら悪い笑みを浮かべた。
「心配するな。全部俺の資産から出てる。これでも一応王族の端くれだからな。そこそこの資産は持ってるのさ。ただ今まで訳あって手を付けなかったが今回の事で少しばかり考えを変えた。こんな物眠らせてても意味ないからな。これからは有効に使っていくさ」
「待てよ、それなんか条件とか付いてたりしないよな?」
「俺にか? まあ無いわけじゃないが大したことじゃない。それに今の所お前らに渡してる物は利子だけで賄えてる」
それを聞いた黒猫君が「これ全部利子で片が付くのかよ」って呆れてた。
二人のやり取りを聞きながら、私は私の列の最後に置かれていた紙に気づいて手に取ってみる。
「あの、キールさん? えっと私達がランド・スチュワードってのは前にも紙でいただいてましたけど、このプライベート・セキュレタリ・トゥ・ザ・プリンス・キーロン? ってなんですか?」
私の声に黒猫君がぎょっとして私の手の中の紙をひったくった。すぐに自分の紙も手元に引き寄せて睨んでる。
「おい、聞いてないぞ。しかもなんだこの俺のメイジャーってタイトルは? あゆみのはまだしも」
言われて私の名前を見たら「Mrs」ってなってる。Mrsって「ミセス」だよね!?
ちょっと待って!
「キールさん、いつから私たちの苗字、アズルナブになったんですか!? しかもミセスって!」
突っ込みどころが多すぎてどこから突っ込んでいいのかもう頭が回んない。
「まあ、待て。それは後から順を追って説明するから。まずは持ち物の確認は終わったからお前らの給料袋と勅令書以外は部屋に送らせるぞ」
私も黒猫君も声が出なくてただ頷いた。それを見たアルディさんが苦笑いしながら外で待っていた数人の兵士に声を掛ける。
「じゃあ、その給金袋と勅令書だけ持って俺の部屋に移ろう」
言われるままに私が二人分の袋と紙を持ってその私を黒猫君が抱き上げる。
「ねえ、黒猫君、いい加減疲れない?」
「あ? これか? 全然」
言いたくないけど私、軽くないと思うんだけど。それもずっとだし。
「私歩こうか?」
「何か不満か?」
何か会話が成立してる気がしない。私は諦めてそのまま運ばれることにした。
キールさんのここの執務室は何とも軍人さんらしい部屋だった。部屋の真ん中に地図が貼ってあって黒猫君が飛びついてた。壁には何種類もの武具が飾られていて、部屋の片側には沢山の本が並ぶ本棚がある。でも内容が残念。またも全て軍事関係だ。
キールさんはドスンと畳一枚分くらいありそうなオークの執務机の向こうにある椅子に座る。私達も勧められるままにキールさんの目の前の椅子に座った。
結局キールさんが説明してくれたところによれば。
キールさん、自分の凍結していた皇太子としての資産を再度引き出せる形に戻すためにとうとう皇太子として正式な立場を申請したのだそうだ。どうも今まではその受領をキールさんが保留していたらしい。
そうなると新しい皇太子の立場として最低限、「キーロン殿下の執務局」を整える必要があったそうだ。
本来政治的な立場にまるっきり興味の無かったキールさん、直ぐにそれをお願いできる人が居ないそうで。それで形だけでもと言う事で名前の空いてる私と黒猫君を勝手に自分の皇太子としての直属秘書官 (プライベート・セキュレタリ)に仕立て上げたそうな。
ところが、そんな偉い職務って言うのは普通そこそこ名のある家柄とか立場のある人がする物だそうで。そこへ行くと私も黒猫君も知名度どころかこの世界に『籍』もない。
そう、よく考えて見たら私達自身、『台帳』に名前のない立場だったのだ。今まで人の事ばっかで忙しくてすっかり忘れてた。
そこでキールさん、勝手に私たちをキールさんの母方の家系『アズルナブ』に追加しちゃったのだそうだ。
どうやって!?って聞くと、蛇の道は蛇とのお答え。色々後ろ暗い事の多いお貴族様にはちょくちょくある事で結構簡単にお金で片がつくのだそうだ。
黒猫君の少佐って肩書は結局私たちにそれなりの立場を付けないと秘書に据えられないと言われたからだそうだ。奥さんは旦那さんの肩書があれば十分らしい。うーん。
「と言うわけで、この給料はお前たちがあの治療院で働き始めてから俺のランド・スチュワードをしてきたとして平均的なランド・スチュワードの給料を日割りで計算した結果だ」
日割りって、そんなの覚えてないよ。
「えっとちょっと待ってください、それって」
「28日間だ。こっちはお前らを雇ってるんだぞ、使った日数くらい勿論控えてある。ランド・スチュワードの日給は一日銀貨一枚として計算して、銀貨24枚で金貨一枚が現在の相場だ。金の価値の方が安定しているから必要になるまでは金貨で持っていた方が得だぞ、覚えておけ」
凄い、私なんてもうどれくらいたったのかすっかり分からなくなってるのに。既に驚いて声のない私にキールさんがニヤニヤしながら言葉を続けた。
「ここからはこれに皇太子秘書官の給料が加算される。日給にして銀貨10枚だ。ネロお前には本来少佐としての栄誉給も付くんだがこっちはアルディがまけてくれとさ」
日給銀貨10枚。一月で300枚。それを金貨の為替レートが1/24だから……月に金貨12と銀貨12枚! ぶ、物価が分かんないけど、それとんでもない金額の気がする。
放心しちゃった私とは裏腹に黒猫君は気が重そうだ。
「それはいいけどな。どの道兵士の仕事するつもりないし。なあキール、念のため聞いておくけどこれ、もう決定事項って事だよな?」
黒猫君が手の中の紙を見せながらキールさんを見つめる。
「ああ。すまないがお前らを待たせてる間に全ての事務手続きは終わってる。申請書は全てここの行政機関に受理されてるからもう変更は利かない。ついでに言うとネロ、お前のメイジャー授与式は今夜だぞ」
「はぁあ?」
「アルディその他俺が抜けた事で繰り上がった奴らの授与式と一緒に終わらせる。まあ、そうは言っても簡単なもんだ、安心しろ」
疑わしそうに見る黒猫君にアルディさんが微笑んだ。
「その年齢でメイジャーは大出世ですよネロ君。僕の兄の方が身長が合うでしょうから彼の受勲式用の制服をお貸ししますよ」
「ま、待ってくれ、それってかなり正式な式って事じゃないのか?」
黒猫君の顔色が悪くなる。
「身だしなみを整えるのは軍人なら当然です」
「だから俺は軍に入るつもりはないって」
「……名前だけだ」
「そんなわけあるか! もうなんでか毎朝アルディに稽古まで付けられてんだぞ!?」
「なら話が早い。明日から正式に朝の新兵錬には参加しとけ」
「だーかーらー!」
「黒猫君、そこまでです。ここでこれ以上キーロン殿下を困らせないでください。キーロン殿下も煽らずにちゃんとご説明された方がいいですよ。ネロ君の素性を探られない為の処置だって」
黒猫君がピタリと文句を止めた。キールさんが少し眉を顰めてる。
「誰かに俺の素性を探られるような事がありうるのか?」
「まあ、あるかもな。なんせ今まで一切表舞台に出なかった俺が突然街の施政を始めちまったんだから。しかも正式な皇太子執務局を立ち上げちまったし。軍の肩書は便利なんだよ」
仕方なさそうにキールさんが付け加えた。
「分かった。文句言って悪かった」
「まあ、さっきも言ったように形だけだ。別にお前に軍事的な役割を押し付ける気はない。安心しろ」
「で、キールさん、さっきっから黒猫君のタイトルばっかり話題になってますけどね。私のだって十分問題ないですか? これ、もう本当の本当に正式に黒猫君と夫婦になっちゃいましたよね」
私の言葉にキールさんがぎくりとこちらを見る。やっぱりそうなんだ。
「あゆみ悪いがこれはもう他に方法が考えつかなかった。文句言われてもどうしょもない」
キールさんがすまなそうな顔ででもはっきりと答える。分かってはいたけどこれはもう諦めるしかないね。
「確認しておきたかっただけです。もういいですよ」
私はため息交じりに答えた。
少しほっとした顔のキールさんと、何故かやっぱりホッとしている黒猫君を少し睨んでしまうのは仕方ないと思う。
そこでコホンと小さく咳ばらいをしてキールさんが続けた。
「ここまでまず説明が分かったなら次に褒賞の話に移るぞ」
キールさんの言葉に黒猫君と顔を見合わせた。
「褒賞ってキール、俺達もうさっき金を受け取ったろう」
「あれは給金だ。褒賞は考えるって言ったろう。俺は払うもんはきっちり払うぞ」
ドヤ顔でこちらを見てるキールさんに私と黒猫君は再度顔を見合わせてしまった。