16 決着
「おい、ネロは居るか? あゆみに送られてきた水車小屋の設計に質問があるんだけどよ……ってお前何してんだよ」
部屋に響き渡ったピートルの声に顔を上げた俺は酔った頭を数回振って覚醒させる。
「ヨォッ……」
「お前いくら何でも飲み過ぎなんじゃねぇのかそれ」
執務机に半分崩れ落ちながら片手を上げた俺をピートルが眉をしかめて見下ろした。
俺はまだ半分以上酒の入った素焼きの壺を横に避けながら半身を起こし上げる。途端世界が傾いた。
「おい、しっかりしろよ。どうしちまったんだお前?」
椅子からずり落ちそうになる俺を支えながらピートルが顔をしかめた。
「お前えらく酒くさいぞ? どんだけ飲んだんだよ?」
俺は自分の後ろに並んだ瓶を指差して笑う。
「あれくらいだ。ドンタスの野郎が毎日違う瓶持ち込んで味見しろってうるせぇんだ。元の味知ってんのは俺だけだから俺が納得行かなきゃ出せねぇってしつこくてな」
俺は汲み置きの水を煽りながら頭を振った。
「だからって瓶全部飲む必要ないだろう」
「いや、飲み始めると止まんなくてさ。なんせこっちは酒で失敗したばっかだしな」
そう言って自分で自分が情けなくなる。
あれは……きっと酒のせいだ。酒が残ってたんだ。だからだって思わないと余りに情けなくて泣けちまう。
入り口のところでパットが困ったように笑いながらピートルの持ってきた設計図を受け取った。
「あゆみさんに質問でしたらここに書き込んでください。後で僕の分の報告文と一緒にクロエさんに届けてもらいますから。お返事はすぐに必要ですか?」
「いや、それは明日でもいいけどよ、こいつ大丈夫なのか?」
ピートルの質問にパットがこっちに一瞥をくれてからまた困ったように笑う。
「キーロン殿下曰く付ける薬が無いそうです」
「そんなんなら少しは外に出てみろ。お前今街じゃすごい人気だぞ。同じ酔い潰れんならあいつらの相手してやれよ」
「やなこった。そんなキールがでっち上げた話で俺を弄ぼうって奴らに付き合いきれるか」
「弄ぶって……まあそうかもしれねぇな。皆酒のツマミが欲しいだけだし。お前の結婚話も出回ったから女どもは一気に盛り下がったしよ」
げぇ。街にまで拡がってんのかよ。
「とにかく一度酒を抜けよ、その顔は酔ってるって言うよりはドス黒くて死亡直前って感じだ」
「その通りだな。まさかここまで腑抜けるとは思わなかった」
パットの手渡した木版に伝言を書き留めながら話していたピートルの声に被さるようにしてキールの声が部屋に響いた。
「おう、キール。何の用だ?」
掛けられた言葉を無視して俺が声を掛け返すとキールがツカツカと俺の目の前まで近寄ってきた。
「酒浸りのやつに用事はない。ただ今回の件は少しばかり俺にも責任があるかもしれん。だから一度だけ手を貸してやる」
そう言って机にへたり込んでいた俺をグイッと引っ張り上げてそのまま首にかける様に担ぎ上げた。
「おい、何する気だ?」
「お前がそうなった原因に引き渡すだけだよ」
「はぁ? 何言ってる? いい加減にしろ、降ろせ!」
俺が叫んでるのにキールはそれをきれいに無視してそのまま執務室を出てしまう。これでも結構な身体能力があるんだ、どうやってでも抜け出してやる、そう思ってるのに全然身体が言うこと効かない。
「暴れるだけ無駄だ。酔っ払いを逃すようじゃ隊長職は務まらねぇんだよ」
キールの言う通りこいつ、単に担ぎ上げただけじゃなくていつの間にかちゃんと俺の手足を両腕で拘束してやがる!
「大人しくしろ、ほら到着だ」
そう言って降ろされたのは、すごく見覚えのある……あゆみの部屋だった。
「あゆみ、悪いが後は頼んだぞ」
そう言って俺を降ろしたキールは最後に俺を真っ直ぐに見つめ、そして部屋を出ていった。
「黒猫君」
キールが出ていくと、すぐに後ろからあゆみの声が聞こえた。
5日ぶりに聞いたあゆみの声は何かかすれてた。俺はその声に身がすくんで動けなくなる。
分かってる。俺はなんのかんの言って逃げてただけだ。自分でやっちまった事に向き合う意気地も気力も無くてドンタスが持ち込む酒に溺れちまった。まだかなり酒が残ってた筈なのにあゆみの声を聞いた途端、冷水を浴びせ掛けられたように頭が冷めちまった。
それでも振り返る勇気はなかった。あの時、俺の下で怯えてたあゆみの顔が頭にこびり付いててどうしてもあゆみの顔を見るのが怖かった。
「黒猫君。そこで立ちなさい」
だらしなく床に転がって動かない俺の後ろからあゆみの凛とした声が部屋に響いた。
「は?」
「いいから立って。今すぐ!」
俺はわけがわからないままふらつく足でその場に立ち上がる。っと。何かが俺の尻尾の先を掴んだ。
「これ、一度触りたかったんだよね。人型になった時の黒猫君の尻尾」
そう言いながらあゆみは片手で尻尾の先を押さえながらもう一方の手で長いその尻尾の背を撫で上げる。あゆみが俺の尻尾を擦るとんでも無い感触に身体が直立不動になっちまった。
「知ってる? 猫って尻尾触られるのすごく嫌がるんだよね。うちの子達も滅多に触らせてくれなかった」
そのまま俺の尻尾を撫で上げたあゆみは根元の辺りを掴んでくる。
「と言う事で。今後黒猫君の尻尾、自由に触らせてくれるならこの前の事は忘れてあげる」
やけに優しい声でそう言ったあゆみは、だけど俺の尻尾の先端と付け根を掴んでいる手に軽く力を込める。
「だけど1週間もお仕事サボってたお仕置きは必要だよね。だから、はい構えて!」
またか!
しかも尻尾!
────バチッ!
「グァ!」
そう思った時にはあゆみの電撃で俺の尻尾は思いっきり毛羽立った。
情けない声を上げてその場に崩れ落ちるように倒れ込んだ俺の顔のすぐ横で、あゆみが器用に屈み込んで床の上の俺の顔を見下ろした。
「それじゃあ、黒猫君。ナンシー、一緒に行こうね」
床に転がったまま仰ぎ見ればあゆみは屈託なくニッコリと俺に笑いかけてきた。数日ぶりに見るあゆみの顔はもう前とまるっきり変わらない。あの時の怯えは微塵も見えなかった。
ああ、どうやら俺はまだこいつと一緒に居られるらしい。
そう思った途端、自分の顔がへにゃりと笑っちまうのを抑えられなかった。
そしてそれっきり。
電撃を喰らって足腰の立たなくなった俺は恥ずかしい事にまたもキールに抱えられてベッドまで運ばれ、テリースの看病の下次の日までまるっきり起き上がれなかった。