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15 仕事。

 それからまたも5日間。私は部屋に閉じこもって仕事を続けていた。

 私の主な仕事は他の3人が仕上げて来た個人台帳を以前の台帳と見比べて確認する作業。人に会えないからこれが一番効率がいいのだ。細かい報告はパット君が木版でやり取りしてくれてる。

 水車小屋の方も大体の仕組みを紙に起こしてみた。作った事も見たことも無いけどこの前使った石臼の大きいのを水の力で動かすって考えれば大体予想できる。まあ、近い事は昔研修でやったしね。

 出来上がった下絵はハンコの依頼と一緒にパット君がピートルさん達に届けてくれたのでそれを元にピートルさん達がなんとかしてくれるのを祈ろう。なんせ本職の皆様みたいな知識は無いんだし。


「あゆみさん、お願いですからもうそろそろ休んで下さい」

「ああ、クロエさんは先に寝ていいよ。私はこの山が済んだら寝るから」

「……それってまだ一時間は寝ないって言ってますよね、あゆみさん」

「クロエさん、いいカンしてるね」


 私は苦笑いしながらクロエさんを見返した。ここ数日毎晩私達はこの同じやり取りを繰り返してる。それでも手に持った羽ペンを置く気のない私を困った顔で見ながらクロエさんがため息をつく。


「今日も皆さんから念を押されてきてるんです。どうかお願いですから寝てください」

「皆さんって……」


 クロエさんが眉を寄せて答える。


「この館にいらっしゃる方ほぼ全員です」

「みんなそんなに暇なの?」

「違うでしょ。あゆみさんの事が本当に心配なんですよ。あれっきり大人しくここに閉じこもってしまわれましたし」


 そりゃそうだ。私にだってショックを受けるくらいの精神はある。


「キールさん達はまだ居るの?」

「はい……」

「クロエさん、もしかして何か隠してませんか?」


 私の声にクロエさんが大きなため息を付いた。


「あゆみさん、そろそろお身体も大丈夫ですよね。良ければキーロン殿下が一度お会いしたいそうです」


 キールさんが? 何の用事だろう。ナンシー行きの相談かな?


「じゃあ、明日の朝でもいいかな?」

「そうですね。ですから今日はこの位にしてお休みください」


 そう言ってベッドの上に拡げてあった書類を取り上げられてしまった。

 困るんだよね。眠くならないうちにやる事取り上げられちゃうと。考えない方がいい事考え出しちゃうしさ。

 あれっきり黒猫君は部屋には現れなかった。そりゃそうだよね。自分で誰も入れるなって言ってたんだし。確かに私ももう少し気を付けるべきだったのかも知れない。クロエさんにも私の格好は扇情的すぎるって言われたばっかだったんだし。

 とは言えむこうの世界から来たんだから黒猫君にはもう少し耐性があると思ってたんだけど。まあ匂いがキツイって言ってたもんね。悪いことしちゃったな。

 私としては別に何をされた訳でもないしちゃんと仕事もここで出来るように手を回してくれたしもう気にして無いんだけど。気にしてるのかな、黒猫君。

 私はクロエさんに片付けられてしまったベッドにゴロリと寝転んだ。

 私としてはそれなりに黒猫君に思う所もあるのに。周りはもう私達を夫婦として認めてしまったらしい。こうなると天邪鬼な私は素直に自分の気持ちに向き合いたくなくなる。


 大体、あの日黒猫君の顔を見て泣き出しちゃった事自体、異常事態だった。

 あんなふうに取り乱して泣き叫んだのなんて子供の頃、お祖母ちゃんが田舎に引っ越しちゃって以来だ。


 うちの両親は共働きで、少し変わってた。衣食住に困った事は無いけど物心ついたころから両親の顔をほとんど見なかった。その代わりに家にはいつもおばあちゃんが居て家に寄り付かない両親の代わりにいつも私の面倒を見てくれていた。

 そしておばあちゃんは私にめちゃくちゃ甘かった。

 私、実は幼稚園に行った事がない。小学校も最初のころは出席日数ギリギリだった。もう生まれついての引きこもり。だって家にはおばあちゃんと一緒に拾ってきた猫や近所で貰った犬がいて、私はおばあちゃんとあの子達だけ居ればいいって思ってたから。おばあちゃんが田舎に引っ越しちゃってからはあの子達だけになっちゃったけど。

 それからは家政婦さんが家に居た。

 私が学校に行っていないのが両親にばれて、家政婦さんが私の手を引いて学校まで付き添うようになった。それが嫌で嫌でしょうがなくて、両親に文句が行かない程度に『普通』になった。

 お祖母ちゃんが倒れた伯父さんの面倒を見るために引っ越したと知ったのはおばあちゃんのお葬式の時。仕方なかったのは分かったけど私にとってはもうどうでも良くなってた。


 あれっきりあそこまで人に心が動かされることも一緒に長くいることも無かったのに。

 黒猫君は一緒に居すぎだ。

 しかも猫だったし。

 猫だったんだよね。

 だから気を許しちゃったのかな。

 なのにいきなりあれだもんね。

 私だって色々考えさせられるよ。

 ブチブチと心の中でとりとめもない愚痴をこぼしながら、私はいつしか眠りに落ちた。



 * * * * *



「それであゆみ、折り入って相談があるんだが」


 次の朝久しぶりに見習い兵士の服を着て朝からキールさんの部屋を尋ねると、待ってましたと言わんばかりに椅子を勧められてテリースさんが入れたお茶を押し付けられた。

 私が椅子に落ち着いてお茶を頂くと直ぐにキールさんはそう切り出し、でもそれから言いにくそうに言葉を探してる。


「ナンシー行きの件ですか? 私ももう体調に問題ありませんし、行ってもいいですよね?」

「いや、その話じゃないんだが、まあそれも考えなきゃならんが」


 私が水を向けても暫く腕を組んでウーウー唸ってたキールさんは突然バンッと机に手を付いた。


「あー、そのなんだ。あゆみ、悪かった」


 突然キールさんが執務机に額が付くほど頭を下げて謝った。


「今回の結婚の話を触れ回っちまったのは俺の失敗だ。元はといえばネロが焦れったくて尻を叩くつもりで言ったんだがまさかお前が叫ぶほど嫌がるとは思ってなかった。てっきりあゆみもネロを好ましく思ってるんだとばっかり──」

「誰が違うって言いましたか?」


 頭を下げたまま言葉を続けていたキールさんは私の言葉に押し黙った。チラリと顔を上げてこちらを見る。


「あゆみそれは……?」


 私は手の中のお茶を揺らしながらため息をつく。


「正直本当に余計なことしてくれましたよね。私だってそれなりに期待してたんですよ、黒猫君、いつかはちゃんと私に何か言ってくれないかなって」


 ため息が止まんない。


「それじゃあゆみ、お前……」

「好きですよ、黒猫君が。キールさんだって知ってたでしょ」


 私のはっきりとした答えに動揺を隠せないキールさんがしどろもどろに言葉を続ける。


「いや確信は無かったんだがそうかなっとは」

「はい、そうだったんです。って言うか私もやっと最近自覚しました」


 そうなのだ。

 自分でもやたら黒猫君には色々オープンだよなぁとは思ってたんだけど。

 本当に自覚したのは多分黒猫君に押し倒された時だ。あれで自覚しないほど私も鈍くない。


 でもなんか最悪に極端だよね。

 もうちょっと普通に恋愛できないのかなぁ。やっぱり私、かなり鈍いんだろうな。


「でもですね、こんな周りが当たり前みたいに夫婦だってなっちゃったらもう馬鹿みたいじゃないですか」


 そう言って私はキールさんを睨みつける。


「私こういう風に押し付けられるのすごく嫌なんですよ。もうこのまま逃走したいくらい。どうしてくれるんですか」


 キールさんが慌ててもう一度頭を執務机にこすりつけて謝る。


「本当に申し訳ない。申し訳ないついでにあゆみにどうにかして欲しい」

「は? どうにかってこれ以上何をですか?」

「あいつだ。ネロだ。このままじゃナンシーなんて行けそうもない」

「え? 黒猫君になんかあったんですか!?」


 心配になって乗り出した私とは裏腹に、キールさんが上目遣いにこちらを見てる。


「それがな。ネロの奴。最後にあゆみの部屋に行った後、すごい勢いでお前が部屋で執務出来る様に取り計らうだけ取り計らってそれっきり執務室に閉じこもってる」

「はあ……?」


 よっぽど忙しいのだろうか?


「しかも悪い事にドンタスの奴が出来たそばから白ウイスキーの試作品をネロの所に持ち込んでる。またネロの奴、底無しにそれを全部飲み干してるらしい。ドンタスの野郎、それを面白がって毎日持ち込んで来る。これで5日間飲みっぱなしだ」

「はぁぁぁあああ?」


 なに人の事押し倒しといて勝手に一人でそんな事になってる訳!?

 そんだけ飲み続けられるってのも凄いけど、それ体壊すんじゃないの? 大体猫の体ってお酒飲んじゃだめでしょ!


「何で止めないんですか!」

「止めるも止めないもちゃんと味見できるのは自分だけだって言い張って部屋から出ようとしない。俺もこの前の事の引け目があるから強く言えん」

「そんな情けない」

「そう言うな。男にはそれぞれ繊細な部分があってだな、それを……」

「いい加減にして下さい! そんなちっぽけなプライドと引き換えに体壊されちゃたまったもんじゃない。こっちはこの5日間ちゃんと部屋で仕事してたって言うのに!」

「す、すまん」


 呆れて声が出ない。

 キールさんもキールさんなら黒猫君も黒猫君だ。仕事もしないで飲み続けるって神経は私には理解出来ない。

 どうしてくれよう? ここはちゃんと二人に何かケジメを付けてもらうべき?

 私はこの機会にキールさんがあまり乗り気ではない様子の仕事を終わらせてもらう事にした。


「キールさん、ここはひとつ埋め合わせに森に行ってきてください」

「は?」

「森に。キールさん、なんとかちゃんとバッカス達が街で受け入れられるように直接行ってお話し合いして下さい。私達がナンシーに行く前に」


 途端キールさんの目が泳ぎだした。それはまさか──


「キールさん、何か他にも隠してる事あるんですか?」

「いや、別に隠している訳では……単に君が部屋に閉じこもってから起きた事があるだけで……」

「キールさん。お話、してくれますね?」


 私は顔を背けて目線を泳がすキールさんの顔をガッシリと掴んでニッコリと笑いかけた。



 それから小一時間、キールさんの話してくれた内容に放心してしまった私はそれ以上キールさんに文句を言う気力もなくなっていた。

 私が部屋に閉じこもっていた間に黒猫君達はとんでも無い戦闘を切り抜けたらしい。

 結果オーライなんて言葉はもう大っきらいだ。

 それでも皆が生きて帰って来てくれて本当に良かった。


「だからな、あゆみ。これは最後の言い訳なわけなんだが、ネロの奴一晩でそりゃすごい人気者になっちまった訳だ。俺としてはお前らがそんな連中に掻き回されるのも面白くなくてだな。先手を打って結婚話を広めちまったんだ」


 キールさんの言い訳は右から左に抜けていくだけだった。

 なんかもういいや。皆生きてたんだし、私も無事体調が戻ったんだし。

 そうだ、ナンシー行きたい。

 それから……そうだ!


「キールさん、もういいです。許してあげます。その代わり一つお願いを聞いてください」

「な、なんだ?」


 突然テキパキと話し始めた私にキールさんが警戒しながら椅子の上で思わず後ろに下がる。


「ナンシーには勿論一緒に行くとして、色々済んで落ち着いたらここにお風呂作ってください」

「風呂?」

「そう、お風呂。欲しいんです。切実に」


 部屋にいる間中、ずっと考えてた。

 お風呂欲しい。泣くほど欲しい。

 私の剣幕に押されて椅子の背に背中を押し付けたキールさんが顔を引き攣らせながら頷いた。


「分かった。約束する。ここが落ち着いて資金ができ次第ここに風呂を作ろう」

「やった! お風呂だ!」


 喜ぶ私を少しあきれ顔でキールさんが見つめてる。


「あゆみ、お前本当にそれで良いのか?」

「はい。これで今回の事は忘れます。さて次は黒猫君ですね。それじゃあキールさん……」


 生き生きと残酷な計画を話し出した私に遠い目をするキールさんを巻き込んで私は手早くその後の準備を始めた。


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お読みいただきありがとうございました。
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