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「大変です。街の外に中央の役人だと名乗る方々がいらしてます」
俺達があゆみの剣幕に驚かされながらも白ウイスキーの取引について詰めようとしている所に見覚えのある兵士が駆け込んできた。
「今行く」
そう一言言ってキールは立ち上がり、壁に立て掛けられていた自分の剣を掴んで立ち上がった。
「俺も行くか?」
「当たり前だ。耳と尻尾はしまっておけ」
そう言って後ろも見ずに走り出した。
俺達が到着した頃にはその場は思わぬ騒ぎになっていた。
城門の外には2台の馬車が止まっていてそこには綺麗に整えられた髭を擦りながら偉そうに踏ん反り返る男とそのすぐ前でキャンキャンと甲高い声を上げる従者が城門を挟んだコチラ側に集まって来た人間を睨みつけていた。
門のこちら側では人だかりが出来上がり、絶えずヤジを飛ばしている。どうもあまり歓迎ムードではない様だ。
「ですから、今こちらの街の統治をされているキーロン殿下をお呼びしますので……」
城門の真ん中に立つアルディが青筋を立てながらも丁寧な言葉で対応しているのが見える。
俺たちは人垣を割ってアルディの後ろに向かう。
「何を言ってるんですか! こちらにおわすヨーク男爵こそこの度新たにこちらの統治を任された正当な統治者ですぞ。そんな田舎の殿下などの言う事を聞く必要などこれっぽちもありません! 今すぐそこを退きなさい。でないと我々が切り捨てますぞ」
「街の護衛隊長を切り捨てるとはとんでもねぇ統治候補者だな」
アルディの横にヌッと進み出たキールがそこにいる連中を睨みつけながら大声で叱咤した。
「おいそこの。ヨーク男爵と名乗るからには東のヨークの街を統べるヒヒ爺の血縁者だろ。本物なら指輪を見せろ」
「な、なんと失礼な! ヨーク公爵をひ、ヒヒ爺だなどと!!!」
「うるせえ。雑魚は引っ込んでろ」
その静かな一喝でキールは従者の男を黙らせた。キールの覇気に押された従者は口元に泡を付けて座り込む。すぐ後ろで成り行きを見守っていた髭のオヤジも慌てて指にはめられた指輪を突き出した。
「それで皇帝の直状は何処だ?」
その髭オヤジが無言で震えながら懐からクシャリとひしゃげた厚い紙を差し出す。
この場面だけ見たら俺たちの方が金持ちを剣で脅す強盗一味って所だな。
その差し出された書状を読み終わったキールがニヤッと口元を歪めて笑った。
「こりゃ本物とは言えねぇな。この書状自体は確かに王家のもんだが一番下に入るべき親父のサインが無い」
「へ? お、親父?」
「ああ、俺はこの国の第5皇子、キーロン・ザ・ビス・ザイオンだ。ほら証拠にそこの書状の一番上に付いてる王家の紋章が俺の指輪にくっついてるだろ」
そう言って髭オヤジの目の前に拳を突き出す。
一瞬殴られると思ったのだろう、頭を抱えてしゃがみ込んだ髭オヤジは恐る恐る立ち上がってキールの指にはまった指輪に目をやった。
「そ、そんなバカな、王族はもう全滅したって……」
「今なんって言った?」
それまでの馬鹿にしていた雰囲気を綺麗に捨て去ってキールが今にも斬れそうな程の凄みを載せて髭オヤジに迫った。それを見た髭オヤジは、マズイっと小さく口の中で叫んで踵を返して馬車に駆け込もうとする……が突然その場でバタリと倒れた。
「全く。もう少し役に立ってくれるかと思ったんですけど梅雨払いにもなりませんでしたね」
やけに透き通った綺麗な声がその場に響いた。
それは確かに誰もがそこで聞いていた声だったのにどうしても同じ人物の声には聞こえなかった。
その声は先程唇の横に泡を付けてしゃがみこんでいた従者の口から漏れていた。
「折角沢山の食料を提供して差し上げると言ったのにこの街の住人ときたら。こんな田舎で燻っているようなクズ皇太子に付いて私の差し出そうとする手を取ろうともしない」
薄気味悪いほど綺麗な声で続けるその従者はまるで精気の無い顔を上げてこちらに微笑んだ。
さっきまでキーキーと喚いていた時の下卑た表情が綺麗さっぱり消え去った今、その目はまるで生気がなく、全くの無表情の唇だけが飾りの様な微笑みを作り上げている。
「でも少なくともあなたを呼び出す為の餌にくらいはなってくれましたね。いい機会ですからここで終わっていただきましょう」
「それは俺の事を言っているのか?」
腰に佩いた剣を引き抜きながらキールがドスの効いた声で問いかける。
すると従者は舞台の上で登場人物を紹介でもするように片手をキーロンに向けて差し出し、淡々と続けた。
「ええ、一番消えて頂きたかったのは貴方ですよ、キーロン殿下。上から散々せっつかれていますしねぇ。」
そう言って肩をすくめる。
「折角北の野良犬の群れをわざわざ巣から追い立ててけしかけたって言うのにここを任せていたジョンズはあっという間に殺されてるはタッカーは小ズルい計画ばかり立てて役に立たないわ。散々待たされた挙句、ダンカンの話じゃ自分の見下していた貧民の者たちに吊るし上げられて捕まったそうじゃないですか」
そのままクルリと踊るように一回転した従者の両手には手の平より少し長い程の両刃の短剣が一本ずつ握られていた。二本の剣を打ち合わせながら軽い身のこなしでその場でステップを踏む。
「本来はこちらの街では食料を提供して救済に来た英雄という形で受け入れられる筈だったんですけどねぇ。先ほどからこの街の皆さんは私の差し出す救いの手はいらないとおっしゃる。上手くいかない物です」
まるで舞台の一幕の様にホウッとため息を付いて顔を上げた従者はそれまで以上にゾッとするような冷たい笑いを口元に浮かべて言葉を続けた。
「仕方ありません。それではキーロン殿下には私が直接手を下すと致しましょう。そして街の皆様には我々『連邦』による恐怖政治をご覧頂きますよ。何と言っても街ぐるみで私に楯突いたのですから」
人形の様にコテリと首を傾げ、綺麗にニコリと笑ったその冷たい笑顔に俺は冷水をぶっ掛けられたように動けなかった。
見惚れ、そして動けなかった俺は次の瞬間、何かに強く突き飛ばされて地面に転がった。
顔を上げればすぐ横にキールが転がっている。それと同時に頭上で剣戟の音が響いた。
「ネロ君、キーロン殿下を連れて中に早く!」
アルディの叫びにはっと我に返ってキールを引きずって城門を抜ける。
キールの身体から血の匂いがする。それが俺の怒りに火をつけた。城門の内側に集まっていた兵士にキールを預けた俺は踵を返して再び外に飛び出した。
「ネロ君何やってるんです! 下がってなさい!」
そう言うアルディはこちらに目もくれず、目の前の不気味な従者の二本の剣を弾き返し続けていた。
どうもアルディにはその二本の剣が速すぎて弾き返すだけで精一杯のようだ。
なるほど、短剣の方がスピードが速いのか。
しばらく見ていたが2台の馬車からは何も出て来ない。こいつら二人だけの為に何で2台も馬車が必要だったんだ?
俺はそれを警戒しつつも二人の剣戟を暫く見つめる。見つめる内に、行けると思った。
それはいつものカンだ。
見える。捕まえられる。やれる。
俺はアルディが一歩引いた隙に従者の懐に飛び込んだ。
突然現れた俺に一瞬怯んだ従者は、だがすぐにクスリと笑って俺を突き刺しに来る。
悪いがこっちはよく見えてるんだよ。
こいつ、剣を振るときに手首を返してスピードを変化させてる。それが俺には筋肉の動き一つで見て取れる。
軽くヒョイヒョイっと二本の左右から突き出される剣とそこから角度を変えて振り下ろされる剣先を避けてそのまま従者の胴に思いっ切り拳をぶち込んだ。
クシャリっと、生物にはありえない、すごく嫌な手応えが返ってきて俺はほんの一瞬動きを止める。
その一瞬の間に俺の背中にはさっき避けた筈の従者の反転した剣先が迫り、正に俺が串刺しになるその寸前、アルディの剣先に弾かれ、跳ね上げられた。
背後の動きを音だけで感じ取っていた俺は迷いを捨てて爪を出し、そのまま従者の身体を上に向かって切り上げた。
血飛沫は……飛ばなかった。まるで空っぽの袋を切り裂いたような手応えのあと、パタリと従者の身体が地面に倒れた。
終わったのか。
そう思った瞬間、2台の馬車が内側から押されるように弾け飛んだ。
木片に押されて地面に転がった俺は馬車のあった場所を見て愕然とする。
そこには2つの巨大な泥の塊がうずくまっていた。
その2つの塊が、まるで風船を膨らませる様に形を変えながらゆらゆらと動き出す。徐々に質感を増し、見るからに重そうな身体を引き上げながら立ち上がったのは今まで見たことも無い巨大で醜悪な生き物だった。
灰褐色の身体はまるでまだ水気のある泥を固めた様にゆるゆると動き続ける。不格好に長い手は膝の辺りまでダランと垂れ下がり、それを吊るす肩はその身体に不釣り合いに盛り上がっていた。
まるで溶けた泥を練り上げて作ったような体からは微かな腐臭がする。
のっそりと立ち上がっただけで立ち尽くし身動きもしないその巨体はゆうに俺の身長の十倍はあった。
どうやってこんなもんがあの馬車に入ってたんだよ!
そう思いつつ上を見上げれば首のない頭と思われる部位に口であろう裂け目がポッカリと空いている。目は埋め込まれた石炭の様で、全身の色が違えば溶けかけの雪ダルマと言えなくもない。
「あーあ、ヒュウは失敗しちゃったみたいだね。仕方ないからこれで遊んでよ。こいつら愚鈍だからコントロールも効かないし面白くないんだけどね。せめてそこの街を破壊するくらいの役には立ってくれるかな」
突然の事に誰もが言葉もなく立ち尽くす中、ペラペラと軽薄な声がデカイ生物の口から漏れてきた。
呆けて見上げていた俺の横で、俺同様立ち尽くしていたアルディがまるで今の声で意識を取り戻した様にガタガタと震えだした。
「沼トロールが二匹も! ま、街が……」
「じゃあ、頑張ってね。ああ、もう少しで忘れるところだった。ほら!」
先ほどと同じ軽薄な声の後、眠ったように動かなかった2匹が最後の掛け声に合わせてお互いに手にしていた樹齢千年の巨木の様に大きな棍棒を振り上げ、お互いの頭を殴り合った。
「ヒュオーーーン」
「ビュオーーーン」
自分達で殴り合った癖に途端、それぞれ地を揺るがす様な雄叫びを上げてこちらを睨む。
……これ、凄く不味くないか?
「ネロ君、申し訳ない。一緒に死んでくれ」
すぐ横から掛けられた声に何事かと思えばアルディが一目散に街と反対の方向に向かって走り出した。行き掛けの駄賃に片方のトロールの足を切り裂いていく。
だけどアルディが繰り出した一閃はまるでめり込むように泥に吸い込まれ、そして吐き出された。切られたトロールはまるで何もなかったようにゆっくりと反転してアルディを追いかけ始める。
ああ、俺にも囮になれってことか。確かに今ここじゃ俺が一番スピードあるもんな。
遠ざかるアルディの背中に小さくため息を付いて、俺はもう一体のトロールの足の間をすり抜けて草原へと走り出した。