3 白ウイスキー
「何を馬鹿なことを。麦無しでウイスキーが作れるわけ無いだろ」
ドンタスさんが黒猫君の言葉を鼻で笑い飛ばした。
「作れるさ。まあ呼び名は変えるべきかもしれないが。あんた、酵母を抱いて寝てるんだってな。それを俺も作ったって言ったら俺の話を信じるか?」
ああ、いつぞやのジャガイモの皮のイースト!
「はぁ? 素人がそんなもん作れるはずねぇだろ。大体酵母ならなんでもいいってわけじゃないんだぞ」
「ああ、知ってる。だから無論あんたはあんたなりの工夫が必要だろうけどよ、それだって材料あっての話だよな。どうする? 麦買ってるのはもうキールにバレちまった。もう市場で手に入れるのは無理だぞ」
黒猫君の言葉をドンタスさんが唸りながら聞いてる。
「お前、確かに少しは知識がある様だな。だが何考えてる? 今正に食料難だって言ってるのに俺に酒を作らせるのか?」
「ああ。あんたが言ったとおりさ。ナンシーに行くのに手ぶらで行っても金になんねぇ。だから手っ取り早く金になるもん作ってもらいたいんだ」
「何で俺が作る酒でお前が金を作れるんだ?」
「それは酒税を掛けるからさ」
「き、汚ねぇ!」
「ああ、今のここの状況でキレイ汚いは言ってらんねぇ。悪いが一割付ける。その代わり原材料はガバガバ買い付けさせてやれるぞ」
黒猫君の最後の言葉にドンタスさんの目が光った。
「それは本当か?」
「ああ。それと情報量として少しは融通しろ。キール、直近買い付けの借金はどれくらい溜まってるんだ?」
「140万って所か?」
「おい、結構あるじゃねぇか。そこまで積み上げるなよ」
「仕方ないさ。借りられるうちが花だ」
「じゃあ、ドンタス、悪いが情報量はその140万だ。半額は今すぐ、残りはナンシーで物が売れてからで構わない。どうだ?」
どうだって黒猫君! 何か凄い金額乗せてない?!
驚いて声の出ない私を他所に黒猫君の顔をドンタスさんがじっと睨んでる。
「情報量を負けろとは言わねぇ。税金負けろや。そんなに乗ってちゃ商売になんねぇ」
「なに、材料費がめちゃくちゃ安くなるから安心しろ」
ドンタスさんがまた唸る。さっきっからガマのような顔にジリジリといくつもの汗の線が垂れてきててかなり見た目がキツイ。これぞ正にガマの油。もしかして薬になるかな。
「本当に出来るんだろうな?」
「信じる信じないはあんたの勝手。ここで売れなきゃピートル連れてナンシー行ってから他のやつに釜ごと売ってくるわ。無論酵母の仕組み込みで」
「お、お前、それは……」
「酷いとは言わせねぇぞ。別にあんたの酵母を盗んだわけじゃねぇんだからな」
とうとうドンタスさんが観念した様に大きなため息を付いて頷いた。
「良いだろう。じゃあその酵母をまずは見せてみろ」
「酵母そのままだと情報がもれ過ぎるから今昼飯を持ってきてやるよ」
そう言って黒猫君が席を立って部屋を出て行く。しばらくするとトーマスさんと一緒にお皿に乗ったこの前と同じフカフカのパンを持ってきた。
付け合せに今日は緑色の豆のスープが付いてる。
それをここにいる全員に配ってトーマスさんが付け加えた。
「今日のスープは庭に植えといた豆や野菜が何故か凄い勢いで育っちまったんでそいつのスープです」
こちらを見ながら「お前だよな」って言ってるけど黒猫君、君、私が居るのを利用してイーストも作ったんだよね?
「この食事がどうしたんだ?」
「そのパンを食ってみろ」
黒猫君に言われてドンタスさんがパンに手を付けた。
「お、柔らかいな。なんだこれは?」
「酵母が入ってるんだよ。あんたなら分かるだろ? 酵母は麦を膨らませるから全体に空気が入ってふっくらと焼きあがるんだ」
「こんな使い道もあったのか……」
ドンタスさんがしきりに感心しながらパンを食べてる。
自分のパンを食べ終わったところで黒猫君を睨みつけながらドンタスさんが聞いてきた。
「お前、何でこっちのアイディアを金にしようとしないんだ?」
「あ、そうだよ黒猫君。このパン売れるんじゃないの?」
私も驚いて一緒に聞いてしまう。すると黒猫君は肩を竦めキールさんを見ながら話し始めた。
「それはキールにも聞かれた。だけどな、このパンの作り方を広めちまうとこの街が唯一売りにしてるウイスキーの製法に気付くやつが出て来るだろ。それにな、これ以上麦への執着を今煽りたくないんだよ」
「そっか。麦足りないんだもんね」
黒猫君の返事を聞いてじっと残りのパンを見ていたドンタスさんがバンっとその場で立ち上がった。
「金を取りに行ってくる。お前はまず酵母と作り方の説明の準備をしてろや」
そう言ってドタドタと地響きを鳴らして出ていってしまった。
「凄いなネロ。ドンタスから一発で金を引き出した奴なんて初めて見たぞ」
キールさんが小さく口笛を吹きながら黒猫君を見る。
「え? だってキールさん、いつもドンタスさんから銅貨貰ってたんですよね?」
「ああ。足元見られて何度も買い叩かれた。ドンタスはあの通り商売にはすこぶる貪欲だ。頭も回るし今だって酒が作れない代わりに金貸しで儲けてたんだ。こんなこっちの言い値をあいつに出させるなんてのはもしかするとこの街始まって以来かもな」
それを聞いても黒猫君はあまり嬉しそうでも無く、「もっとふっかけりゃ良かったか?」と一人でブツブツ怖いこと言ってる。
「誰が脅して搾り取らないって?」
「ガマの油が絞りたくて気が変わったのさ」
キールさんの皮肉にニヤッとして黒猫君が答えた。
一時間もせずに帰ってきたドンタスさんが手渡したお金をキールさんに任せて黒猫君は私を抱えて厨房に移った。
この前のが壺ならこれはもう瓶としか言いようの無いどでかい陶器の器を出してきた黒猫君がその中身をドンタスさんに見せてる。小さなシュウシュウという音と共にほんの少しだけ酸味がかったアルコール臭が漂ってきた。
それとさっきからトーマスさんが掻き回してるマッシュポテトの入った鍋を見せる。私もさっきちょっと代わって混ぜるの手伝ったんだけど結構力がいる。
「ジャガイモは実は発酵率の良い食いもんなんだ。茹でて潰したジャガイモを温度を下げないように注意して水をいま鍋に入ってる位の硬さまで足して、このまま熾火程度の温度で砕いた麦芽と一緒に一時間くらい少しずつ温度を上げながら煮込む。今丁度良いくらいだ、こんくらいの甘さで火を止めて液体だけ絞り出す。ほらトーマスがやってるみたいに。あとは酵母を足しつつ時々かき混ぜながら発酵を待ってウイスキー同様の処理をしてやるとかなりきつい酒になる。本当は常温で2週間程発酵させるんだがあゆみがいれば一晩だろうな」
呼ばれた私はニッコリ笑って絞った酒の入った瓶に、強くなれ~、強くなれ~、と願を掛けとく。こんなのも気持ち次第だもんね。
「ジャガイモの酒か。確かにこれなら幾らでも手に入るな」
ドンタスさんがそのガマの様な小さな目を輝かせながら黒猫君の手元を見ている。
「味はどうなんだ?」
「そうだな、この酒は蒸留が終わったら樽で寝かせる必要も無いからあんたらが作ってるウイスキー程の風味は付かない。その代わりそれを果物と混ぜたりして飲むのに向いてる」
あれ? それって?
「黒猫君、それもしかして焼ちゅ……」
「白ウイスキー。誰がなんと言おうとこれはウイスキー」
黒猫君、私に言葉を続けさせないで無理やり言い切った。
うわ、凄い強引だ!
黒猫君、焼酎をウイスキーで通しちゃったよ。
「白ウイスキーか。そいつはいい名前だ。これは金の臭いがプンプンする」
ドンタスさんはでもそれは嬉しそうに黒猫君と握手した。
作者より:
日本でお家でお酒作っちゃうと法律に引っかかります。
日本ではお酒は二十歳になってから飲みましょう。