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魔剣使われに告ぐ   作者: 杉下 徹
4.動乱と罪
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4-8

 もっとナナロに詳細を聞いておくべきだったと、少し後悔した。

 クロナの居場所はフィクサムの所有する物件であると、ナナロはそう言っていた。しかし、そうなるまでの過程が俺にはまったくわからない。コリウス家の襲撃により半壊した財閥が、如何にして話に絡んでくるのか。あるいは、その所有物件を他者が利用しているだけなのか。事の全体図が見えないまま走るのは、妙な息苦しさがあった。

「当たりだな」

 だが、とりあえず走る方向だけは合っていた。

 国防軍本部曰く、リロス中部での紛争はコリウス邸で起きた一つを除いて他に観測されていない。小規模なものなら漏れがあってもおかしくないが、クロナと彼女を危険に陥らせるほどの戦力が争えば、その規模が小規模なんてもので済むわけがない。

 つまり、もしも戦闘があったとしたら、それは人目に付かない場所、それも大規模な破壊を覆い隠すほど広大な敷地内でしかあり得ないのだ。

 広大なフィクサム本家の屋敷。前に見た時は、中身こそもぬけの殻であっても、形だけは原型を留めていた邸宅は、コリウスの邸宅と同じく物理的に半壊していた。辛うじて外壁や外庭部分が綺麗なままな事で、奥の惨事は一見して外からは窺い知れない。

「……来ると思っていた」

「っ、お前は」

 身を隠していたつもりだった。しかし、所詮は素人の隠密。屋敷脇の植え込みの間を腰を屈めて移動していた俺に、あたかも当然のようにその男は声を掛けてきた。

「だが、クーリア・パトスはいないのか」

「舐められたもんだ。手負いの上に、余所に注意を向ける余裕があるとはな」

 以前もこの屋敷で出会い、そこでキルケと名乗った男は、すでに満身創痍といった様子だった。左目は傷と共に閉じられ、左腕は奇妙に捻じ曲がり、胴体から脚部にかけては無数の傷と血が全身の白装束を見る影もなく塗り潰している。正直、こうして立っていられる事が不思議なくらいの重症だ。

 だが、そんな事は関係ない。キルケはまだ立ち、歩き、何より考えている。それだけできれば剣を扱うのに不足はない。剣使の力はあくまで剣が主体で全て、本人にそう望むだけの気力が残っているなら、剣使は死ぬ寸前でも剣使でいる事ができてしまう。

「剣を下ろせ」

 キルケの口からは、悠長な言葉。だが、今は都合がいい。俺とキルケの間の距離、剣の間合いまでと二歩と半分。会話の間に詰められるだけ詰めてやる。

「またそれか。今はそんな――」

「クロナは屋敷の地下に幽閉されている。運が良ければ、まだ生きたままで」

「――は?」

 致命的だった。

 意識の全てが言葉を理解する作業に集約される。ほんの一瞬、俺はまるで赤子のように無防備を晒してしまっていたに違いない。

「無理に行けとは言わない。俺も、クロナですらも敵わなかった。あれは誇張なしに鬼札だ、クーリア・パトスでもなければ対抗できないだろう」

「待て、お前は何なんだ!?」

「だが、できればクロナと、そしてフィネを――」

 キルケは、そこで倒れた。崩れ落ちる、なんて生易しいものではなく、衝撃を受け止める為の動作を何一つ取れないまま、胴体と頭を地に叩きつけた。

「…………」

 男の身体に背を向け、屋敷へと足を踏み出す。

 致命的な隙を晒してなお、俺はまだ無傷でいる。この男について考える事は、それだけで十分だ。警戒する必要がないのなら、もはや意識を向ける必要はない。

 キルケ。自称した名と外見以外、全てが不明な男。彼が何者で、何を思って俺に言葉を伝えたのか、たしかなものは何もない。だが、俺は彼の言葉を信じる事にした。

「……っ」

 屋敷の中は、やはり惨状で満たされていた。荒れ果てた内装、壁はいくつか跡形もなく消え去り、剣使の死骸が無数に転がる。それが生きた剣使でない事は、俺にとっては幸いなのだろうが。

「待ちなさい。この屋敷に何の用で?」

 男の声。地下牢に向かう最中の一室に、その男はいた。

 薄い革鎧に腰には剣。年は若くも老いてもなく、顔や背格好にも特徴のない男。しかしそれがむしろ、この場においては異質に見える。ここは戦場の過ぎ去った後の惨状。死骸と残骸の転がる中で、男には傷どころか返り血一つ付いてはいなかった。

「……お前は誰だ? そっちこそ、こんな屋敷の残骸で何をしている?」

「私はこの屋敷の警備を任された者です。今は残骸と言えど、貴重品の類が無事で残っているかもしれません。それらのものを、火事場泥棒に持ち去られないようにと」

「火事場泥棒?」

 男の発言は、どうも場違いなものに聞こえた。

 それはきっと、俺がこの屋敷に囚われたというクロナを助けに来た立場だからなのだろう。何もわからず、それこそ火事場泥棒のように屋敷に忍び込んだ者がいたなら、屋敷の警備がいる事自体に疑問は持たなかっただろう。

「……いや、俺はただ、ここの様子が変だから興味本位で見に来ただけで。別に泥棒とかそんなつもりは……」

 焦ったような、言い訳するような、そんな演技をする。

 男の対応は、おそらく一般に向けてのものだ。なら、俺もその一般の枠組み、その中でも無害な者だと思わせれば、この場での戦闘は避けられるかもしれない。

「そうですか。それは、なんとも運の悪い――」

 楽観だった。

 素早く抜かれた剣の刀身から炎の塊が放出される。予備動作を見て同時に抜いていた魔剣『不可断』で炎を切り裂くも、すでに第二、第三の炎波が放たれていた。

「っ?」

 炎を避け、打ち消しながらの前進の最中、脳裏には疑問。

 実のところ俺は、今何と戦っているのかわかっていない。しかし、その立ち位置が何であれ、俺はこの男がクロナを倒した、キルケ曰くの鬼札だと思っていた。

 だが、弱すぎる。これでは精々が、並より少し上の剣使だ。その程度の男がクロナとの戦いを無傷で切り抜けられるわけがない。

「っ、そうですか、あなたも彼女の」

 すでに距離は三足。炎はその熱こそ肌を炙るが、『不可断』とその流体で切り裂けば前には進める。廊下は男の背中側にあるが、逃げ込む隙は与えない。このまま剣の間合いにまで詰めて腕を斬り落とせば、いい情報源になるだろう。

「――フィネ!」

 叫び声は届かない。魔剣はすでに抜いた。

 だが、全ての動作を中止して横に跳ぶ。

「ぁ――っっがぁっ!」

 それは、熱だった。

 炎よりもなお万倍凶悪な、一瞬で身体の感覚を失うほどの熱。上半身の左半分は、すでにまともに動かなくなっていた。

「っ、だぁっ!」

 だが、悶絶している暇はない。涙と反吐を撒き散らしながら、壁を『不可断』で切り開き、空いた穴に飛び込む。次の壁、壁、床。圧倒的な熱が俺を見失うように、とにかく必死で隠れて距離を稼ぐ。

「――っ、あれ、は」

 追撃には積極的でないのか、数度の放射を最後に止まった攻勢に、左の痛みに耐えながら息を継ぐ。驚くべき事に、俺は寸前で熱の放射を避けていた。その余波だけで、左上半身の機能を根こそぎ奪われてしまったのだ。

 そして、更に驚いたのは熱射を放ったその放出元。男の背後側、廊下から放たれた熱を操っていたのは、一瞬だけ映った俺の視界を信じれば、まだ幼い少女だった。

 別に、幼い子供が優れた剣使で在れないわけではない。剣の力を引き出すのに必要なのは素質で、それは基本的に年齢を重ねて強まるものではない。

 だが、男はあの時、『フィネ』と叫んだ。であれば、あの幼い少女こそがラタの妹、フィネ・フィクサムという事になる。政略結婚の駒だったはずの少女が、同時に常軌を逸した剣使であるという事態は流石に予想だにしていなかった。

「シモン!?」

 そこで、女の声が俺の名を呼んだ。

「クロナ、か? どうしてここに?」

 探し求めていた女との遭遇に、混乱のまま頭の中が歓喜の色に塗り替えられる。牢が間を遮っていなければ、抱きついていただろう。

「それ、こっちの台詞。っていうか、てっきり私を助けに来てくれたのかと思っちゃったんだけど、別にそうじゃないわけ?」

「いや、助けに来たのはそうなんだけど」

 思えば、俺は横だけでなく下にまで穴を空けて熱の剣使から距離を取った。その結果として、偶然にもクロナの囚われた地下牢に辿り着いていたらしい。

「なんか、元気そうだな」

「まぁ、ね。殺さないように手加減されてたみたいだし」

 意外にも、クロナの現状はそれほど酷いものには見えなかった。地下の一室は牢というわけでもない普通の、それどころか屋敷の規模に相応の豪華なもので。その中にいたクロナも右腕の包帯以外に目立った傷も拘束もなく、むしろ手当てをなされているという点で相当丁重に扱われているように思える。

「とにかく、話は後だ。早く逃げるぞ」

「逃げる? あの子を倒して来たんじゃないの?」

「お前は、俺があれに勝てると思ってるのか?」

「それはまぁ、無理だろうね」

 どこか悠長なクロナを急かしつつ、地下室の扉を両断する。流石に扉は外から施錠されていたようだが、魔剣の前ではそれも意味を成さない。

「『Ⅵ』はどうした?」

「没収されちゃった。どこにあるかまでは、流石にわかんないねぇ」

「なら、捨てていくしかないな」

「えーっ……」

 クロナの神剣『Ⅵ』は貴重で強力な剣だが、命には変えられない。それこそクロナの手元にあれがあるならまだしも、今の俺達では先程の剣使に出会った瞬間に詰みだ。

「それより、走れるか? 何なら俺が担いで行っても――」

「シモン、なんで来たの?」

「は?」

 怒気を孕んで聞こえた声に振り向いて、その感覚が勘違いでなかった事に気付く。クロナの表情、その瞳は間違いなく怒りを示していた。

「多分、状況もわからないままで来ちゃったんだろうけど、これ、失敗だよ。クーリアの時と同じ、というかそれ以上に、命を丸々捨てちゃってるから」

「どういう事だ?」

「そのまんまの意味。まぁ、判断間違えたのは私もだけど……さ」

 クロナが声量を落とすのと、微かな足音が聞こえるのはほぼ同時だった。

 少女と剣使が俺の後を追って来なかったのは、地下のクロナの様子を確認する事を優先したからだった。そして、見取り図を見た限りではこの屋敷に地下への入口は一つしかない。運良くクロナの元に辿り着いたと思っていたものの、その実、今の俺は結果的に袋小路に追い詰められたのと等しい。

「あれは君でも無理だよ。私が一番わかる、あれは普通じゃない」

 死神の足音の恐ろしさは、何よりも今にも泣き出しそうなクロナの横顔が語っていた。

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