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クロナの居場所について、正確な目星が付いているわけではなかった。
しかし、向かうべき場所は限られている。紛争の発生源であるリロス中部、その中でも一際大きな災禍に巻き込まれたクロナを助ける。そうでなかった場合、そもそも俺達の助けなどなくともクロナは一人でその場を切り抜けられているはずだ。
「……どうしたもんかな」
ただ、そもそも大小にかかわらずリロス中部で紛争の類が一つたりとも発生していない場合については、その行動の指針は何の役にも立たない。
国防軍の本部に問い合わせた結果、そして実際に目にしたリロス中部の現状は、先日に訪れた時とほとんど変わらない平穏なものだった。
本当に紛争が起きる予定で、それに合わせて襲撃部隊が進軍を試みたというなら、タブ達の襲撃からまだ発生していない紛争まで、少しばかりタイミングがずれ過ぎている。
予定が狂ったという事もあり得るだろうが、先に到着した部隊が紛争の予定を吐いてしまってはそれこそ本末転倒。雇われ部隊の口の固さに期待するのは、賢いやり方とは言えない。現にこうして俺は予めこれから起きる紛争について知り、国防軍にも情報を流してしまったわけで、今から紛争が発生したところで効果は薄い。
現状から推察するに、リロス中部での紛争と襲撃部隊の侵攻を同時に行うローアンの作戦は失敗に終わったようにしか思えないのだが。
「情報が嘘だったなら、その方がいいんじゃない?」
もちろん、クーリアの言う通り、俺の聞いた情報が全て出鱈目だったという事もあり得る。捕虜として捕らえたタブは普通の青年、国にさほど忠誠を誓ってはいないように見えたが、俺の洞察力は絶対ではない。嘘の情報を流し、リロス共和国の軍部に混乱を招く事が本当の策であったとしてもおかしくはないだろう。
「まぁ、とりあえずコリウスの屋敷まで向かおう」
第一の指針こそ失ったものの、幸いというべきか目指すべき指針はもう一つある。
ナナロの標的であり、ラタの家族を奪った大財閥コリウス。その本家は、フィクサムの屋敷からそれほど離れてはいない場所にあった。クロナがナナロと連絡を取ろうとするのであれば、向かった先はその周辺だろう。
しかし、こちらもまた躊躇いなく進むには難しい事情があって。国防軍が俺に告げた事実を正確に言えば、リロス中部での紛争らしきものは一つだけ。それが、コリウス本家の屋敷周辺で観測された剣使同士の戦闘だという。
つまり、ナナロはもうコリウスを壊滅させる目的を達成してしまったか、少なくともコリウス本家ですべき事は終えている可能性が高い。だとすれば、クロナと共にすでにこの場所を離れてしまい、俺達と入れ違いに北部に戻ったという事も考えられる。
とは言え、今の時点では全てが推測と可能性だ。ここまで来て引き返すよりは、コリウス本家を確認してから次の動き方を考える方が建設的に違いない。
「――これは、ひどいな」
辿り着いたコリウス本家の屋敷は、フィクサムの屋敷にも負けず劣らず広大で豪奢なものだった。だからこそ、刻まれた破壊の爪痕がより際立って見える。
門扉の脇には二つの血痕が染み、邸宅に続く敷地内の草木は戦闘の跡を残すかのように荒れ果て、黒く固まった体液がところどころに付着している。そして、その上には体液の元の持ち主の無残な姿も当然のように転がっていた。
「……うんっ、ひどい、ね」
悲惨で醜悪な光景を目にしたクーリアの顔色は悪い。かつて悲劇の中心にいたクーリアも、生の肉と血には慣れていない。戦場の危険は、何も身体的なものだけではなかった。
「引き返すか? 適当な宿でも借りて、そこで待っててくれてもいい」
「……ううん、大丈夫だから。一緒に行かせて」
「わかった」
強がり、ではないだろう。なら、俺がクーリアを止める事はない。
半分残骸と化した屋敷には、当然のように警備の類はいない。門を抜け、惨劇の庭を抜けて、邸宅に辿り着くのは難しくなかった。
「これを、ナナロさんが一人で?」
「どうだろうな。どちらかというと、こういうのはクロナの方が近い気がするけど」
角度の問題か、遠目にはわからなかったが、目の前まで来てみると邸宅の数ヶ所に天井から床に抜ける巨大な穴が空いていた。こうした大規模で純粋な破壊は、ナナロの『ラ・トナ』よりもクロナの『Ⅵ』の性質に近い。
「一応、構えておいた方がいい。それと、何かあったら逃げるぞ」
「そうだね」
考察はそこそこに、扉の外れていた入口から邸宅へと踏み込む。
大穴が開いていても一応は屋内という事か、邸宅の中は外よりも一際血生臭さが籠もっていた。物が多いせいか、破片や瓦礫が山のように積み重なり、破壊による乱雑さもより際立って見える。
「特に何もないな」
適当に端から探索していくも、見つかるのは部屋の残骸と人の残骸だけ。時たま無傷で残っている空間もあるが、それもあくまで偶然破壊を免れただけにすぎない。
「……ここまでしないといけなかったのかな?」
「クーリア?」
「ううん、何でもない。ただ、ナナロさんは、ここまでする必要があったのかな、って」
クーリアの声には、疑問と共に怒り、そして葛藤が込められていた。
ナナロは自らの正義の為、ラタの家族を奪ったコリウス財閥を滅ぼす事を決めた。
しかし、コリウスの中にもフィクサム家の殲滅に関与していなかった者、それどころかこの家に雇われただけの警備や使用人もいただろう。その全員を皆殺しにしたかどうかは定かではないが、今の屋敷の惨状を見るに、襲撃は彼らの多くを巻き込み被害を出したに違いない。クーリアにはそれが納得いかないのだろう。
「――いや、ここまでする必要はない」
そして、俺もその事実には納得がいかなかった。
「ナナロにここまでする必要はない。あいつは、もっと無駄のないやり方をする」
何故それに気付かなかったのか。局所的な手掛かりを求めるあまり、大前提としてある全体図に違和感を抱くのを忘れていた。
ナナロなら、初手でコリウス家の頭を取りに行く。それが最適の手段であり、屋敷とその中の人間を全て轢き潰すようなやり方は、ナナロの正義とは喰い違う。俺の知っているナナロ・ホールギスとは、そういう男だ。
「なら、こっちか!?」
「シモン!?」
クーリアを背後に引き連れ、一直線に走る。
「焦げ跡……か」
目的地は天井からの大穴の光に照らされた空間。天井の穴、そして天井と対応するように床に空いた穴の縁は、黒く焼け焦げていた。穴の周囲の空間にも、他とは違い炭化した瓦礫が多く見受けられる。
「こっちも。決まりだ」
別の穴で確認してみても、同じように穴の縁に焦げ跡。周りには炭の山があった。
「どうしたの?」
「この穴を空けたのは、ナナロでもクロナでもない。誰か別の剣使だ」
ナナロの剣、奇剣『ラ・トナ』の力は空間の歪曲。クロナの神剣『Ⅵ』の力は力場の操作。どちらも燃焼の効果は伴わず、仮に天井に穴を空けるとしても、その周囲を焼き焦がす事にはならない。
加えて言えば、床の状態を見るに、穴は外から中へと穿たれている。だとすれば、ナナロが敵の剣使の力を逸らし、その力が屋敷に穴を空けたという線も薄い。
穴が第三者によるものだとすると、状況は一気に複雑化する。単にナナロやクロナの協力者の仕業か、コリウスが囮の屋敷一つと引き換えにナナロ達を潰しにかかったのか、あるいはローアン中枢連邦や予想外の何者かによる横槍が入った可能性もある。
「……ねぇ、シモン」
「ん?」
クーリアの声を聞き、思考を止める。
ここでいくら悩んでいても答えは出ない。今は少しでも手掛かりを探し、考えるにしてもこの場所を離れてからにするべきだ。
「見間違いかもしれないけど……あそこに転がってるのって、ナナロさんの剣じゃない?」
「えっ? 『ラ・トナ』っ……」
手掛かりは、すぐ傍にあった。クーリアの指差した先、瓦礫の中から伸びた剣の柄を引き抜くと、その先には奇妙な曲線を描く金属の刃が生えていた。
「ナナロ! いるのか!?」
瓦礫を引き剥がしつつ、中へと掘り進める。余程の事がない限り、剣使が自ら剣を手放すわけがない。そう、例えば意識を失いでもしない限り。
「……ナナロ?」
はたして、積み重なった瓦礫の下に男の身体はあった。両腕は火傷と火膨れでひどく変色し、全身も両腕ほどではないが火傷と外傷、痣が肌を埋め尽くす。
「ナナロさん!?」
「生きてはいる。今は」
唯一幸いなのは、辛うじて呼吸が感じ取れる事だった。それが今だけのものか、それとも適切に処置すればどうにかなるのかはわからないが。
「病院に運ぶ。警戒は任せた」
「う、うん!」
出血はない。そうなると、医療の心得のない俺にできる手当てはない。精々が水を飲ませるくらいだが、万一を考えるとそれすらも怖い。
「……シモン、クーリアさん」
背負い上げようとナナロの身体を持ち上げたところで、か細い声が俺達を呼んだ。
「! 起きたか? 何が――いや、無理して話さなくていい」
「心配、ないよ。『ラ・トナ』を手離して、瓦礫を退けられなかった、だけで――」
咳き込む。声は枯れ、身体にも力を感じられないながら、俺の手に微かな抵抗を見せたナナロは、よろめきながらも自らの足で地に立った。
「――それよりも、クロナ、だ。クロナを、頼む」
「クロナ? クロナもどこかに埋もれてるのか?」
「違、う。クロナは、フィクサムの――」
「ナナロさん!」
崩れ落ちるナナロの身体を、クーリアが寸前で支える。どうにか虚勢を張ろうとしてみても、すでに肉体的には限界なのだろう。
「――フィクサムの、所有する物件の一つにいる、はずだ。リストは……僕の滞在していた借宿にある。ここに近い場所から――」
「無理しないでください!」
「僕よりもクロナを――」
「いや、もう喋らなくていい。大体わかった」
クロナはどういったわけかフィクサムの物件にいて、危機に晒されている。ナナロは満身創痍で、自ら病院に向かうどころか口を開くのも厳しい。
「クーリア、ナナロを病院まで運んでくれ」
「……! シモ、ン」
「その間に、俺はクロナの元に向かう」
二人を救うには、俺達も二手に分かれるしかない。俺はそう判断した。
「……えっ」
クーリアの目が大きく見開かれる。直後、ゆっくりと閉じていった瞼の下、再び開いた瞳は俺を一直線に見据えていた。
「それなら、私がクロナさんの方に行く。私にナナロさんを運ぶのは難しいから」
「……優しいな、クーリアは」
適材適所。クーリアの提案が、人材の配分としてはより正しい。腕力のある俺がナナロを運び、そして剣使としての力に優れたクーリアがクロナの窮地を救う。後者の方がより重要でありながら、クーリアはあえて後者を口にはしなかった。
「二人とも、僕は――」
「いいんだよ。俺は、俺がクロナを助けたいんだ」
「っ!」
だが、それでも、俺の判断は揺るがない。
「……そっか」
どこか寂しげに、同時に安堵したように、クーリアの呟きは俺にはそう聞こえた。
「シモンは、クロナさんの事が好きだったんだ」
「違う」
だから、即座に断言する。
「なら――」
「今は時間がない。ナナロ、借宿の場所を言え。リストとやらの場所も」
急かしたのが効いたのか、ナナロはもう反論する事もなく素直に問いに答えた。
「全部、俺の我儘なんだ。だから、許してくれなくてもいい」
「シモン……っ」
ナナロを置き去りにできないクーリアを残し、俺はその場を後にした。




