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『なんでも切る屋』だ。
何がと言えば、それはもちろん俺の職業であり、そして店の名前でもある。
一目でわかる単純明快な名前の通り、俺の仕事はとにかく物を切るという、ただそれだけのモノで。開かずの扉から金庫の鍵、金属の塊に大量の食肉まで、頼まれた物を頼まれたように切るというだけの仕事は、意外にも生活を営むのに不自由しないくらいには職業として成り立っていた。
更に、最近では以前にも増して『不自由しない』レベルでは収まらない数の依頼が日々持ち込まれるという、そこだけを切り取れば嬉しい事態にもなっていたのだが。
「だから、俺は職人とか作業員みたいなもので、便利屋とか殺し屋とは違うんだって」
問題を上げるとすれば、その増えた依頼のほとんどが、『なんでも』の意味を物騒な方に取った危ないお仕事だという事で。
「でも、『なんでも切る』って……」
この碧い目の少女、ラタ・フィクサムもまた、その類の依頼者であったという事だ。
「じゃあ、あれか? 君はお父上が『今日はなんでも買ってあげよう』って言ったら、宝石まみれのネックレスとか、海沿いの別荘とかもOKだと思ってる口か?」
「えっと……どうでしょう。ネックレスも別荘も、元から持っていてそれ以上欲しいと思った事は無かったので」
「はい、今の無し!」
会話が噛み合いそうにない気配を敏感に察知して、すぐに方向を転換する。
「ちなみに……今回の依頼、予算はいくらほどのご予定で?」
「……あくまで私個人の依頼なので、あまり用意が無いのですが」
興味本位の横道に、ラタの表情は過剰なほどに沈んでしまう。
「この国の通貨で、およそ七億ほど。それ以上は今は難しいですけど、相続が済んでからならなんとか……」
「いえ、結構。七億でお受けしましょう」
『なんでも切る屋』だ。
何がと言えば、それはもちろん俺の職業であり、そして店の名前でもあり、そして俺自身を指し示した言葉でもある。
普通にしていれば三、四回は人生を過ごせるだけの額を積まれれば、その名の通りになんであろうと切ってやる事に躊躇いはない。
「本当ですか!?」
いつかどこかで、というかついさっきに見たような反応。それを目にした俺が、すぐに自らの失敗を悔やむところまで、全く同じだった。
「ごめん、嘘。そもそも、その依頼を受けても、七億もらう前に俺が死ぬ」
金額の大きさに冷静な判断力を失ってはいけない。死んだらいくら金を持っていてもまったくの無駄であり、自分の命の優先順位は相当に高いのだ。
「そもそも、一介の『なんでも切る屋』さんに、大財閥二つを相手に立ち回る力なんてあるわけがないでしょうが。普通に考えて」
「いえ、その、シモンさん以外の『なんでも切る屋』さんを知らないので……」
なるほど、それはたしかにもっともだ。俺自ら生み出した素晴らしい職業が、そうそう他にあってはたまらない。
「それに、シモン・ケトラトスさんは、一時はリロスの国防軍の大半を相手に回しながらも、軍に巣食っていた過激派を殲滅したと聞きました。それほどの力のある方なら、コリウスとフィクサムの二つの財閥も何とか……と」
「ん、いや、それは何と言うかまぁ、色々と捻じ曲がった事実であってだね」
シモン・ケトラトス。
それは俺の名前であり、同時に俺に被せられた物語の主人公の名でもある。
稀代の魔剣使いシモン・ケトラトスは、当時は国防軍の幹部であり、現在は最高司令官となったアルバート・リオンにその力を買われ、軍を蝕む危険思想、魔剣『回』の力をもって戦争により領土を拡大しようとした一派を殲滅するよう依頼を受けた。
紆余曲折の危機を乗り越えたシモンは、元最高司令官ノクス・ヒルクスが危険思想を流布した黒幕であったと突き止めると、ノクスの懐刀であった青年幹部を撃破。魔剣『回』の奪取及び封印をもって依頼達成を遂げ、共和国リロス及び近隣国家の平和を守った。
「とりあえず、君の俺に関する知識はほとんど間違ってる」
しかしそれはあくまで表向きの作られた話で。
色々と口止めされたから無闇に口外はできないが、実際問題、結果だけ見るとシモンこと俺は国防軍の権力争いに利用されただけだ。それも、どちらかと言えば悪者の方の派閥に肩入れしたというのが事実。
「俺に正義のヒーローを求めてるなら、残念ながらお門違いだ。俺は『なんでも切る屋』であって、それ以上でも以下でもないんだから」
少女を助けてやるべきだと、そうは思うのだ。
ラタの妹、フィネ・フィクサムは、人質なのだという。
ある財閥がもう一つの財閥を取り込むために預かった、結婚相手という名の人質。その在り方をラタ以外の誰もが積極的にしろ消極的にしろ受け入れていて、だから少女はたった一人、頼りになる英雄を求めてこの場所に来た。
よくありそうな話だ。そして、その話において、どれが悪で何が正義かは明確だ。
「だから、俺はその件には首を突っ込めない。もっと正確に言えば、突っ込みたくない」
とは言え、結局のところ俺は正義よりも自分が大事だ。金と正義感と保身と、その他諸々をひっくるめて考えれば、ラタの依頼を受ける選択肢は存在しない。
「そう……ですよね。すいません、無理なお願いをして」
「いや、こちらこそ。期待に添えなくて申し訳ない」
後味のいい形ではないが、こうしてなんとか俺と碧い目の少女の交渉は終わった。
「っ……ひっ、くっ……ん、っ」
と、同時にラタはその両の目から雫を零し、抑えつけたような嗚咽を漏らし始めた。
「あー……いや、あの」
困った。
俺は女の涙に弱いのだ、なんて格好付けた事は言わないが、喫茶店で年下の女の子を泣かせるなんてのは、単純に具合が悪いし、相手が泣いていては話は成立しない。
「あーあー、まーた、シモンが女の子泣かせてる」
そして何よりも面倒なのは、誰よりも面倒な知人の一人である白髪の女が仕切りを挟んでちょうど向こう側の席で俺達の様子を伺っていたという事だった。
「あのですね、俺達、今、割と真面目な話してるところなんで。邪魔しないでくれませんか? クロナさん」
クロナ・ホールギスは、俺よりも一つ年上の剣使候補生であり、真っ当な人格破綻者でもある。一時は仕事仲間でもあったが、できる事ならば進んで顔を合わせたくはない相手だ。
「浮気の邪魔をするなとは、これまた随分と横暴だね、シモン?」
「人の浮気をでっち上げる方がよっぽど横暴だ! お前が余計な事を言ったせいで、クーリアが家を飛び出してったんだろうが!」
「そんな事を私に言われても。私はただ、事実を提供しただけで、そこから先がどうなるかは君たち次第だよ。願わくば、というのはあるけどね」
「願うな、滅びろ」
クロナ自身が言うには、どうやら彼女は俺の事が好きだという。
百歩譲ってその言をそのまま信じるとして、しかしそうであっても、クロナ・ホールギスは、俺にとってはひたすらにはた迷惑な存在だった。俺に選ばれたいがために、その最愛の幼馴染であるクーリアとの仲を引き裂こうというド畜生な考えは、現在進行形で俺達の幸せな日々に罅を入れている。
「えっ……と、あの?」
非常に馬鹿らしい口論を横目に涙も枯れたのか、ラタが僅かに赤みを帯びた目を困惑の色に染めて俺の顔を伺う。
「なんでもない。完全にこっちの話で……いや」
ラタとクロナの顔を見比べていると、一つの考えが頭に浮かんだ。
「俺は無理だけど、この畜生が君の助けになってくれるかもしれない」