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「サラっ!」
「シモン? どうしたの、まさか私に会いに――ってぇえ!?」
部屋を訪ねてきた俺へと普段通りに応じるサラの姿を見て、抱きしめたい衝動に駆られた。そして、その衝動には逆らわない事にした。
「心配させやがって、このっ、お前なんかこうだっ」
「えっ、ちょっと、何!? なんで抱きついて、ちょっ!」
じたばたともがくサラの動きを封じ込め、しばらく腕の中に抱く。あくまで親愛の感情からの抱擁であり、決してそれ以上の意味は無い。
「ご主人様を心配させるような悪い子にはおしおきが必要だな。よし、そこに寝転べ」
「だ、誰がご主人様? あっ、待って! せめて汗を流してから――」
「……私はシモン君を止めた方がいいのかな。それとも、黙って立ち去るべきなのか?」
「リ、リースさん!? いや、これはそういうのじゃなくって!」
仲良くじゃれ合っていたところにリースの声を受け、サラが勢い良く身体を起こす。
「大丈夫だ、私は人の色恋沙汰に意見するつもりはない。そもそも私自身が人にどうこう言うほど経験も――いや、とにかく告げ口などはしないから心配しないでくれ」
「だから、違うんですってば! シモンも、いつまでも引っ付いてんじゃないの!」
すっかり常に戻ったサラに跳ね除けられ、仕方なく身体を離す。その身を案じていた俺と、実のところ何事もなく無事に過ごしていたサラとの間の温度差は大きかった。
国防軍宿舎の一角、現在は避難してきた市民を匿うために割り当てられているという比較的小綺麗な建物の一室が、当座のサラの居場所となっていた。
すでに怪我もなく元気なものだとは聞いていたが、一度芽生えてしまった心配というものは、こうして実際に顔を見て確認するまでやはり拭えなかった。
「それで、どうしたのよ? しばらく仕事で外に出てるんじゃなかったの?」
「それはもう片付いた。それで、帰ってきたらこの様だから慌てて駆けつけたんだ」
「心配してくれたって事?」
「まぁ、有り体に言えば」
面と向かって言うのは照れ臭いが、すでに感極まって抱きついておいて今更誤魔化すも何もない。
「そっか……ありがと」
「あ、ああ」
今になって事情を把握したサラは顔を赤らめながらしおらしく礼を言い、そうなるとこちらもまた別の恥ずかしさに襲われる。
「ん、んん、やっぱり私は立ち去った方が?」
「あっ、リースさん。すいません、存在を忘れてました」
「そうか、思い出してくれたのなら何よりだ」
照れ臭い現場を眺めているのもまた照れ臭いのか、リースの頬も少し紅潮していた。
「見ての通り、サラさんは今はこの宿舎に避難という形で滞在してもらっている。経緯に関しては、匿名の協力者によって避難者として運び込まれた、という事だが」
「はい、その通りです」
リースの簡単な状況説明に、当人のサラが頷く。
「その協力者とやらとは、どうやって出会った? 魔剣はそいつに奪われたのか?」
サラをこの宿舎に送り届けた人物は、アンデラの言葉が正しければそのアンデラ本人に違いない。あれはサラの無事を語ってはいたものの、サラといかにして出会い、剣を奪ったのか、その経緯については口にする事なく俺の前から消えた。
「魔剣? ああ、『糸』なら、あの人に預けたの。私も良くわからないんだけど、剣術場を襲った奴らの目的は『糸』だから、持ってると狙われるっていって」
魔剣『糸』。サラの語る剣の銘は、やはりアンデラの言と一致していた。
「それを信じて、あいつに魔剣を渡したのか?」
「そうだけど。一応、襲われそうなところを助けてもらったし、あの人も『糸』が必要だって言ってたし。それに、元々あれは私のものっていうより剣術場のものだから。……もしかして、ダメだった?」
「いや、ダメというか……」
サラの様子から何となく察してはいたが、アンデラはサラから無理矢理に剣を奪ったというわけではないらしい。それどころか、サラはローアン中枢連邦の奇襲部隊の手から助けてもらい、襲われた原因である魔剣『糸』を引き取ってもらったとまで言う。
「まぁ、サラが無事だったならなんでもいい」
「な、何よそれ。急にそんなに優しくなって……」
不用意に剣を手放すのは安全とは言えない判断だが、助けられた相手を疑うべきだとまでは言い切れない。俺が危惧しているのは相手がアンデラだからであり、あえて責めるとすれば、サラにあの男について話していなかった俺の方だ。
「リースさん。ローアンの部隊が『糸』を狙っていたというのは本当ですか?」
「いや、奇襲部隊の目的はまだ判明していない。市街地の混乱、供給の遮断が主な目的と類推されてはいるが……その『糸』に限らず、強力な剣の情報を得ていたなら、その奪取が目的の一つに含まれていた可能性は高いだろう」
「私も、多分本当だと思う。あいつら、私の剣を見るなり目の色を変えてたから」
「そうか……」
奇襲の目的が『糸』だったとすれば、実のところ辻褄は合う。
アンデラが剣術場で待っていた理由、それは俺と顔を合わせるためだ。サラや剣術場が襲われたのは前日、そこから今日になるまであの場所で滞在している理由は他にない。
ただ、それ以前にそもそもルークス剣術場に向かった理由は、俺と出会うためでもサラを助けるためでもなく、本人が口にした通り魔剣『糸』を手に入れるためだろう。そして剣術場に辿り着いて初めて、アンデラは俺がそこに通っていた足跡を見つけた。アンデラが俺の過去を事細かに調べていたのでない限り、それが自然な順序だ。
だとしたら、魔剣『糸』にはアンデラがそれのみを目的として足を運ぶほどの価値があるはず。実際に、アンデラの用いた『糸』は少なくとも剣術場一つを支配する力を持っていた。その力はローアン中枢連邦にとっても魅力的なはずだ。
「リースさん、ちょっといいですか?」
「私は構わないが、もういいのか?」
「どちらかと言うと、面倒は先に片付けたいタイプなんで」
リースの合意を得て、サラに向き直る。
「じゃあ、一旦俺は出るから、その間にシャワーを浴びておいてくれ」
「えっ、本気!? さっきのは、私的には言葉の綾というか何というかその、あれで……」
「冗談だ。俺は多少汗臭い方が興奮する」
「どれが冗談なのかわかんないんだけど!?」
本音を混じえた冗句で場を濁しながら、リースと共にサラに割り当てられた一室を後にする。どうせ勘付かれてはいるだろうが、できればサラには首を突っ込んでほしくない。
「それじゃあ、早めに終わらせましょうか」
宿舎の廊下をリースに先導されつつ、軽く口を開く。
「君は何というか……ずるい男だな」
「ずるい男は嫌いですか?」
「場合によるな。君の場合は、少なくとも嫌いではないよ」
「……そうですか」
相変わらず、真正面から物を言う人だった。リースを相手に、下手に軽口を叩くものではない。
「それじゃあ、アンデラについて話しましょうか」
だから、何の飾りもなく本題に入る事にした。




