3-2
目的を失うというのは、時に残酷なものだ。
その喪失が、達成によるものならばまだいい。その後に訪れる虚無感も、満足感と中和して味わってしまえば何という事もない。実際に俺はそうだった。
だが、目的自体が失われてしまったのならどうか。それも、ただの失敗ではなく、それ以上に不幸を上乗せされたとしたら。今のラタの状況は、まさにそれでしかない。
「……すいません、取り乱しました」
とりあえずの居場所として借りた借宿の室内、寝室から顔を出してきてすぐに頭を下げたラタを、軽く手で制す。どうにか表面を取り繕えるだけの気持ちの整理はついたようだが、それも相当無理をしてのものだろう。
「いや……気にするな」
本当は慰めるべきなのだろうが、何と声を掛けていいかわからない。下手な事を言えばそれがまた悪い刺激を与えてしまいそうで、言葉を選ぶのにも慎重になってしまう。
「それよりも、私はしばらくは傍にいさせてもらうつもりなんだけど、大丈夫?」
俺に代わって会話を引き取ったのは、クロナだった。
「そんな……もう依頼は終わりましたし、お金もないですから」
「そんな事はいいから。もう私なんて顔も見たくない、っていうなら別だけど」
「いえ、そんな事は……」
「よしっ、それじゃあ決まり」
半ば断れないようラタを誘導し、言質を取り付ける。
本来、失敗に終わった依頼の報酬を、ナナロとクロナが受け取る事はない。だが、そういった些事は一旦無視して、クロナは流れで会話を押し切っていた。あまり認めたくはないが、口が上手いのは間違いない。
「ナナロさんは、もう行ってしまったんですか?」
「いや、まだ準備してるところだけど」
「本気で、コリウスを相手にするつもりなんでしょうか?」
「そうみたいだね。まったく、大変な兄だよ」
今回、ナナロのコリウス征伐にクロナは参加しないという。見返りもなく、危険しかないというのも理由だろうが、ラタの警護兼様子見役が必要なのも本当だ。そのどちらの比重が高いのか、クロナの内心は俺にはわからないが。
「……フィネを、殺すんですか?」
水面に広がる波紋のように、静かな問い。
「ラタは、どうしてほしい?」
クロナは、それを鏡のように問い返した。
「私は……まだ、わかりません」
「そっか、ごめん」
それは、まだ聞くべきではなかった問いなのだろう。
フィネ・フィクサム。いや、今は姓を変え、フィネ・コリウスか。
彼女が生きていると聞いた時、ラタの表情は変わった。それは俺の推測も混じるが、喜びに近しいものに見えた。
だが、すぐにその喜びは濁ってしまった。
姓が変わったとしてもフィネがラタの妹である事に変わりはなく、フィクサムの血を引いている事にも変わりはない。そうでありながら、いや、彼女がフィネ・フィクサムであった時からすでに、フィネはフィクサム家を裏切っていた。
理由は本人のみぞ知るところだろうが、フィネの目的はフィクサム家、及び財閥の乗っ取り。そのために、フィネは奇しくも婚約という形で関係のあったコリウス家の力を借りる事にした。結果として、フィクサム本家は壊滅。そして、フィネは財閥の正当な後継者としての立場を手に入れたという。
もちろん、これらは全てキルケが語った事であり、嘘や想像が混じっている可能性も十分にある。被害者であるフィネを加害者だと騙る事で、救うべき被害者の存在を消す。俺達との争いを避けたがったキルケなら、そういった意図は十分にあり得るだろう。
だが、俺にはそれを嘘だと言い切る事はできなかった。いくらコリウスが大財閥だとはいえ、同じく力ある財閥であるフィクサムの本家を僅かな期間でこうも簡単に滅ぼす事ができるとは思えない。それこそ、有力な内通者でもいなければ無理だ。
「すいません、もう眠ります。お話はまた明日……」
先程顔を出したばかりだったが、ラタはすぐに再び寝室に戻っていった。いくらなんでも、今のラタが普段通り人と接する事に耐えられるとは思えない。挨拶に来たのも、あくまで礼儀のためだろう。
「……ねぇ、シモン」
横で黙っていたクーリアが、ごく小さな声で囁いた。
「こういう時、どうすればいいのかな?」
「多分、俺達にできる事はないよ」
これはいわゆる、もう終わってしまった問題だ。解決なんて段階はすでに過ぎ去り、後は無理にでも納得するだけ。そして、それは当人以外の手の届く領域ではない。
「でも、それじゃあ――」
「仕方ないんだ。そう片付けたくはないけど、それしかない事もある」
今にも泣き出しそうなクーリアの頭を、触れる程度の強さで撫でる。
クーリアを悲しませたくはなかった。その悲しみがラタのそれより遥かに弱いものであっても、クーリアの悲しむ顔は見たくない。
「……私も、ラタさんの傍にいていいかな?」
それなのに、クーリアはそんな事を口にしてしまった。
「それは……」
「クーリアがそうしたいなら、いいんじゃない?」
答えを返したのは、言葉を濁した俺ではなくクロナだった。
「私一人でラタちゃんを慰めるのも結構辛いし。あんまり心配ないとは思うけど、クーリアならいざという時の護衛としても頼りになるから、私的には助かるな」
「クロナさん……」
クロナの言葉を後押しにして、クーリアが俺に乞うような視線を向けてくる。
「それなら、俺も――」
「いや、シモンはいらない」
「なんで!?」
クーリアが残るなら、との提案は、言い切る前に拒否されてしまった。
「だって、シモンをこんなところに置いといたら、ラタさん喰っちゃうでしょ。それはそれで気分転換になるかもしれないけど、後が面倒だしねぇ」
「喰わねぇよ! 喰わないよね!? うん、喰わねぇよ!」
「はぁ、どうだか」
クロナの目には、俺への信頼というものがまったくなかった。そこまで疑われるような真似をした覚えはないはずだが。
「クロナさん、流石にシモンでもこんな時にまで――」
「とにかく、ここに男はいらないの。わかるでしょ」
クーリアの控えめな抗議も跳ね除け、クロナは結論を出してしまう。
まぁ、なんとなく言いたい事はわからないでもない。もはや当初の俺達の仕事は終わってしまった。今のラタに必要なのは心の支えで、それには俺よりも同性であるクロナやクーリアの方がふさわしい。
「心配しなくても、クーリアも私が守るから。まぁ、逆に守られるかもしれないけど」
それに加えて更に、クロナは俺のクーリアへの過保護を嗜めているのだろう。事実、俺はラタのためよりもクーリアの身を守るためにこの場に残ろうとしていた。
だが、現実的に考えて今のラタに対してコリウス家が力を注ぐとは思えない。完全に罠に嵌めてすら、ラタへの対処は失敗したのだ。自ら見つけ出し捕らえるとなれば、あれ以上の戦力を用意し被害を覚悟するだろう。はたして、コリウス家が現時点でそこまでの価値をラタに見出すだろうか。
「でも――」
俺にできる事など何もない。クーリアの身の安全もある程度は確信できた。ここに残る理由はもうないというのに、口は否定の言葉を紡ごうとしていた。
勝手な話だが、クーリアへの心配が消えた途端に、俺はラタの事が気に掛かり始めていた。俺にできる事など何もなくとも、彼女のためにもがき苦しみたいとすら思う。それはまるで、かつてクーリアに抱いた感情のようで。
「――いや、なんでもない。ただ、何かあったらすぐに連絡をくれ」
意思の力で声を明確な言葉に変え、クロナに従う。
これでは、クロナに浮気性を揶揄されても仕方がない。ラタの問題を解決できるならともかく、ただ彼女のために苦しみたいなど、そんな感情は気の迷いでしかあり得ない。
「ラタを頼んだ。いざとなったら、クロナを盾にしてでも逃げてくるんだぞ」
「シモン……」
一時の別れを告げたクーリアの瞳はなにかを言いたげで。それを掘り下げる勇気が俺には、そしてきっとクーリアにもなかった。




