2-11
サラ・ケトラトスは、偶然にも姓こそ同じものの、決して俺の妹ではない。だが、それにしては、あまりにも俺とサラは似ていた。
同じように剣士を目指し、共に超常の剣を憎み、そして互いに幾度も剣を交わした。
「……まだっ」
俺にとって、サラは妹のような存在だった。
「チッ……」
サラにとって、俺は兄のような存在ではなかっただろうが。
「はっ……」
自然と、口元に笑みが浮かぶ。
サラと出会ってから、こうして剣を突き合わせない日はなかった。あの日まで、俺とサラは暇さえあればここで剣を振るい、そして――
「ま……だっ!」
俺は笑みを零し、サラは上下の歯を擦り合わせる。
勝敗が必要だったわけではない。互いに本気だった確証もない。それでも優位はいつも俺で、悔しさに顔を歪めるのはサラだった。
決して、サラが弱いわけではない。ここで剣を交わした十数人の剣士、中にはある程度名の知れた剣士もいたが、その誰よりもサラの剣は鋭く、疾く、柔軟だった。
ただ、俺よりは弱いというだけの事。
「もう止めないか」
幾度目、幾十、幾百かもしれないが、立ち上がろうとするサラを止める。
「やだ」
そして、それを更に幾度も繰り返すのだ。
右左、右右、右下。二刀同時に迫り来る剣の隙を、一刀で斬り落とす。
サラの剣は右でも左でも、あるいはその両方でも遜色ない動きを可能とする。無形、我流ゆえの自在。だが、それでも俺の目には癖がどうしようもなく読み取れる。
「……参ったわ」
肩を抑え、模擬剣を手放し、サラが呟いた。
「…………」
本来なら、俺に勝てるものか、と軽口を吐くところだ。
「今のシモンになら勝てるかも、なんてちょっと思ったんだけど」
「負けてやった方が良かったか?」
「そうね。わざとに見えないようにやれるなら、だけど」
「だとしたら、無理だ。俺が本気でやって負けるわけがない」
わずかに緩んだ空気を突いて、軽口を吐き出す。
「なら、本気でやって、それでも負けたなら、私の言う事を聞く?」
その提案は、今まで聞いた事のないものだった。
「お前が負けたら俺の言う事を聞く、っていうなら考えてやらないでもない」
だが、退くわけにはいかない。
「わかった。二言は無いわね」
「……えっ?」
サラが壁際に転がっていた剣を手に取った、ところまではまともに見えていた。
「っ」
肩口を裂こうと迫り来る刃を、寸前で模擬剣の腹で受け止める。
「なっ……」
罅。速度と重さを兼ね備えた一撃だけで、模擬剣は致命的な損傷を負っていた。
続け様に襲ってきた剣を、模擬剣の崩壊を代償に防御。足元を掬いにいった蹴りは軽く躱され、更に続いた横薙ぎを転がって避ける。
「殺――」
す気か、とは声にならず、床からサラの捨てた二本の模擬剣を拾い、突きを受け流す。
俺は基本的に一刀使いだが、今の状況ではそうも言っていられない。二本を盾に破壊されるまでの時間を引き延ばすのが最善の妥協だ。
魔剣。
俺と同じように、サラも超常の剣を所持している事は知っていた。もっとも、それを扱うところを見るのは、これが初めてだが。
おそらく、剣の力はフィリクスの剣と同じく肉体を変化させる類だろう。その剣を握ったサラ自体の動きは明らかにそれ以前のものとは違い、純粋な剣自体の強度の違いもあって模擬剣では斬撃を受け止める事すらできない。
「そ――」
れなら、俺も魔剣を使う。問題は、空間の隅に置いた魔剣『不可断』を拾う方法だ。
剣使は剣がなければ、ただの人間だ。超常の力も、それを操る素質も、全ては剣があってのもの。一度それを手放したなら、剣使としての力は何の意味も持たない。『不可断』は少し事情が違う点もあるが、この状況での無力に変わりはない。
「…………」
無言、無遠慮の連撃で、左の模擬剣が真中で割れる。
どうやらサラには、俺に魔剣を拾う隙を与えるつもりはないらしい。今のサラは、俺を対等な土俵に上がらせる気すらないほどに本気だった。
「!?」
破損した左の模擬剣を投げ、間髪入れずに右の模擬剣もサラへと放る。左は予想出来ても、右は予想外だったのだろう。小さく息を呑むと同時に、サラが一歩だけ後退する。
その隙に、詰める。
だが、『不可断』へ跳ぶ俺の背に、サラの剣がすでに追いついていた。
追い付かれるのはわかっていた。避けられないのも、わかっていた。
「……取った!」
刃の欠けた短剣を放り投げ、両手で魔剣『不可断』を握る。
つい先程、装備を仕入れていた事が幸いした。購入した短剣をそのまま懐に忍ばせていなければ、防御手段のなくなった俺にサラの一閃を防ぐ術はなかった。
「……っ」
左。
すんでのところで受けた剣は、そのまま押し込むように俺の魔剣と鍔迫り合う。
力負けの状況を覆すため、刃を傾けて力を逸らす。勢い余って飛び込んできた、と思いきや、サラはその勢いのまま右手で鉤突きを放ち、それを避けると左手の剣が間髪入れずに襲い来る。無理矢理に身体と斬撃の間に剣を割り込ませるも、受け切れない衝撃が峰を伝って肩に叩きつけられる。
自らの魔剣を手にしたところで、押されているのは俺の方だった。外見に変化はないものの、明らかに身体能力が増強されているサラに対して、魔剣の力を行使していない俺の現状は、ただ頑丈な鉄の棒を手にしただけに過ぎない。
「終わりだ、サラ」
「それを拾うかどうか、の勝負をしてたわけじゃないわよ」
「お前にも言った事はあるだろ。魔剣『不可断』の力は――」
言い切る前に、突進からの突きが放たれる。人間離れした速さのそんなものを受け止められるはずもなく、横に避けるのが精一杯。突きはその途中で軌道を変え、俺の剣を削るように脇腹のわずか右へと逸れていった。
「……痛っ」
いや、脇腹を掠めていた。
あくまで掠り傷、一時の痛み以外に不利が付くわけでもないが、逸らせたと思った一撃が当たっていたという事自体が問題だった。
「どう、シモン? 負けを認める?」
「……ったく、お前も性格悪くなったな」
本気でやれば、俺がサラに負けるわけがない。
ただ、それは、剣士として戦った場合だ。剣使としてのサラについて、そしてその扱う剣についても、俺は全てを知っているわけではない。
実際に立ち会ってみてわかった限りでは、剣使としてのサラは剣士としての俺よりも速く、強い。しかも、まだ底を見せてはいないはずだ。
その上、俺は剣使として戦うわけにはいかないのだ。
魔剣『不可断』の力は、触れたモノを全て――魔剣や聖剣は除くが、それ以外であれば硬度や性質に依らず問答無用で消し去る流体の操作だ。それは大雑把に言えば、峰打ちのできない剣と同じようなもので。モノを消し、切り離す事しかできない剣の力は相手を無傷で無力化させるのには圧倒的に不向きだ。もちろん、手首の一つでも消し去ってしまえば流石のサラも負けを認めるだろうが、そんな事のためにサラに欠損を残すほどの覚悟は俺にはない。
「っ、舐めんな!」
後方に距離を取ると見せかけて、歩を回して前進に転じる。
今のサラは俺より速く、強い。だが、言ってしまえばそれだけだ。剣の届く距離ならば戦いになる。もっと出鱈目な剣使を相手にした事を思えば、こんなものは苦でもない。
左腰元に引いた剣を、最速で振り放つ。
横からの線の斬撃に対し、サラは受け止めるしかない。差し合うように斬り返せば先に俺へと刃を届かせる事はできたかもしれないが、それでは俺かサラが死ぬか、良くてその一歩手前だ。
「――あ、ぁぁっ」
刃を押し込みながら、身体ごと反転してサラの背後へと回る。背後が背後であった瞬間はわずか、すぐにサラも剣ごとこちらに向き直る。
だから、もう一度。今来た道を辿るように、軽い斬撃を囮に裏に回り込む。
「っ……のっ」
後は、僅かな隙を斬り捨てる。剣を握った左腕、二の腕を峰打ちで壊して握力を奪う。
両手に微かに伝わる衝撃、掠めたのは肩か。一歩前に跳んだサラは、打撃の痛みを気にも留めず、反転と跳躍、連動して突きを放った。
「……っ」
右手に感触がない。痺れ、で済んでいたのはサラの温情か俺の運か。
「負け、っ……」
喉元に突きつけられた短剣を見下ろし、サラがすでに無手となった両手を上げる。
右手と魔剣はくれてやるつもりだった。無傷を前提にいくら技巧を凝らしても、速度の差で躱され、与えた打撃以上の反撃を喰らうだけだという事はわかっていた。だから、反撃を喰らいつつ、それに劣る威力の打撃で目的を達成する事を選んだ。
右手への魔剣の一撃を喰う代わりに、サラの腕に与えたのは短剣の腹による打撃。一瞬だけ魔剣を手放したサラの、その隙に短剣をそのまま首元に突き付けた。
正直、腕ではなく首や胸を狙われていたら、今頃俺は死んでいた。ただ、それはサラも同じ事。結局、俺達は互いに殺さずに勝つ手段しか選べなかったのだ。
「どうだ? あれだけ嫌ってた魔剣まで使って、俺に負けた気分は」
だからといって、笑って済ませるには、一連の流れはやはり物騒すぎた。嫌味の一つくらい言ってやっても、罰は当たらないだろう。
「……ひっ、く、っぐすっ」
罰が当たった。
「えっ、いや、あの、泣かないで。泣かれると困る、すごく困る」
「だっ……てっ、負けるなんて、そんなっ」
必死で嗚咽を堪えるサラは、それだけに集中していて会話ができる状態ではない。まさかそんな状態の彼女を置いていくわけにもいかず、俺には肩を震わせて泣くサラをただ眺めている事しかできなかった。