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ところで、シモン・ケトラトスは不本意な事に有名人だ。
公に表彰を受けたりしたわけではないが、魔剣『回』の奪還及び封印、それに伴う国防軍過激派との交戦、そういった功績の全てをなぜだか一身に受け持つ事になった俺は、少し軍の内情に詳しい者の間では英雄とまで扱われている。
もっとも、真実では、俺はあくまで実行班の内の一人であり、事件の全容も国防軍の派閥争いに近いものだ。つまり、俺は軍の内乱を探る者に対し、本当に重要な事実を隠すために用意された面白おかしい英雄譚の主人公といったところか。
「もしかして、シモンさんですか?」
剣使養成機関、通称『学校』に足を踏み入れてすぐ、最初に声を掛けてきたのは大人しめな外見の少女だった。腰に差した剣がなければ、戦いなどとはまったく縁のなさそうな穏やかな風貌。だが、やはり剣使候補生という事だろう、知り合いでもないのに俺の顔を見て一目で名前が出る理由は、あの件について知っている以外にあり得ない。
「まぁ、普段はシモンと呼ばれる事の方が多いけど」
「やっぱり! 私、シモンさんのファンなんです! 握手してもらえませんか!?」
「えっと……どうぞ?」
思ったよりも積極的な少女に押され、手を差し出す。握手は浮気じゃない。肉体接触まではセーフ、粘膜からがアウトなはずだ。
「ありがとうございます! もう一生手は洗いません!」
「はい、がんばってください」
まず間違いなく果たされない目標を応援していると、にわかに辺りがざわつき始める気配を感じた。
「えっ、シモン!?」
「あれってシモンじゃない?」
「うわっ、本当だ」
どうやら俺の有名人度は思っていたよりも高いらしく、少しずつ周囲に人が集まっていく。それにしても、やはり最初の少女は比較的礼儀正しい方だったようだ。
「すごい、本物のシモンだ! かっこいい!」
「それって魔剣『不可断』ですか? すごいです!」
「まぁまぁ、落ち着きたまえ君たち」
有名人になった経緯は本意ではないものの、有名人として扱われるのは存外に心地が良かった。しかも、なぜか少女ばかりに囲まれているとなれば嬉しくないはずもない。
「こんなところではなんだから、少し場所を移そうか。そこの通りにちょうどいい店があるから、そこを貸しきってみんなで……」
「女子寮の区域で何をしているんだ、君は」
すっかりといい気分に浸っているところに、聞き覚えのある女性の声が耳に届いた。
「コルテット教官!?」
「きゃあ、教官!」
「リース教官だぁ! かっこいい!」
俺に集っていた少女達が黄色い声をあげ、その女性の名を呼ぶ。わかってはいたつもりだったが、有名であれば別に俺でなくてもいいのだと少し落ち込む。
「そう騒がないでくれ。私は少し彼と話がある」
リースが一声掛けると、少女達は騒ぎながらもやがて少しずつ散っていってしまった。
「どうしたんだ、こんなところで?」
「あ……いや、別に。なんでも」
「?」
普段の生真面目な顔に似合わず、きょとんとした表情で俺を見るリースをまっすぐ見返す事ができない。いかにも場馴れした様子で少女達に対処するリースに対し、少女達に囲まれてはしゃいでいた自分がとても恥ずかしく思えた。
「リースさんこそ、どうしてここに? 教官なんてやってたんですか?」
「以前に、何度か特別教官として来たことがあるだけだよ。最近はご無沙汰で、今日も剣の管理の話で少し顔を出しただけだ」
「なるほど」
以前、というのがいつ頃を指すのかはわからないが、今のリースは国防軍でも屈指の激務に追われていて、当然教官など請け負う余裕はないはずだ。
そして、剣の管理というのも頷ける。
『学校』が剣使養成機関として受け持つ役割の大部分は、剣使に対しての適性のある剣の選別だ。『学校』に通う者の多くは超常の剣を所有してはおらず、『学校』で初めて自らに適した剣を手にする。クロナなどは自ら剣を持っているにも関わらず、神剣『Ⅵ』を手に入れるためだけに『学校』に入ったという。
もっとも、手にする、とはいっても無料で与えられるわけではなく、金銭での購買を始めとして、特定の仕事の遂行、国防軍との契約、あるいは他の剣との交換など、交換条件が多種用意されており、それらの交換を経てようやく剣の所有者となるわけだが。
過程はさておいても、『学校』が剣使に剣を与える場所である事に変わりはない。そしてそうである以上は、剣を相当量保有している事になる。そんな戦力の塊のような場所を国防軍が関与せず野放しにしているわけがなかった。
「それで、君の用事は? もしかして、ここに通うつもりなのか?」
「俺がというよりも、知人が、といいますか」
「クーリア・パトスか」
名前は伏せたつもりだったが、簡単に見抜かれてしまう。
「彼女に関しては、申し訳ないと思っている。剣使としての力に問題が生じているようなら、私達の方でもう一度検査を――」
「ああ、そうじゃないです。ただ、興味があるって話ですよ」
頭を下げるリースを制して、言葉を遮る。
国防軍の暗部、秘密兵器としてのクーリアの処遇について、リースは事が起こるまでは関与どころか認知すらしていなかったはずだ。それでも、軍の一員として、リースはクーリアに対して責任感を覚えている。その事自体は俺がどうこう言う問題でもないが、それで俺に対して頭を下げられるのは望むところではない。
「そうか、君がそういうなら。たしかに、彼女の魔剣『回』は今や公に振り回せる代物ではない。新しい剣を欲するのも当然かもしれないな」
「いえ、それも実は間に合ってるんですけどね」
今度は剣を工面する、などという話になっても面倒なので、予め釘を刺す。
「そうなのか? ちなみに、良ければ参考までに剣の銘などを聞かせては?」
「『アンデラの施し』ですよ」
「っ……そんな、事があるんだな」
一瞬、言葉を失い、リースは何とも言えない複雑な表情を浮かべた。
「アンデラ、か。ちょうど、君に話そうと思っていたのはその件だったんだ」
「人払いの口実じゃなかったんですか」
「それもある。正直、決心の付かないまま君に話しかけてしまったところはあるが」
普段でさえ引き締まったリースの表情が、一段と険しさを増す。
「これはまだ公には発表されていないが、ここ最近、ローアン中枢連邦のこの国への動きが活発化し始めている。相手方の動き次第ではあるが、このままだとおそらく武力衝突は避けられないだろう」
「リースさんが言うなら、そうなんでしょうね」
先日、フィリクスからも似たような事を聞いてはいたが、国防軍でも司令部実行班長を務めるリースからの情報となると、それは噂から限りなく真実に近づく。リース本人が冗談を言うような性格でもない以上、尚更だ。
「そして、来たる交戦の時を見据えて、国防軍は先の魔剣『回』事件に関与した剣使を前線に立たせる案を可決した。そしてその中には、アンデラ・セニアも含まれている」
アンデラ・セニア。
現在クーリアの所有する聖剣『アンデラの施し』の前所有者であり、聖剣と同じ名を持った青年剣使。
「まぁ、いいんじゃないですか。あいつ、強いし」
「……そんな、軽く?」
怒鳴られる事でも覚悟していたのか、リースは恐る恐るこちらを見上げる。
「あいつは愛国者ですから。国のために戦うなら、あれ以上の適任もそういないでしょう」
アンデラは誰よりも愛国者だった。だからこそ、国を守る兵器としてクーリアを利用しようとしたアンデラと、俺は剣を交える事になったのだ。
「あっ、でも『アンデラの施し』は返しませんよ。あれはもうクーリアのです」
「そんな事は頼まないよ。私はただ、それを君に伝えなくてはならないと思っただけで」
「そうですか、それなら良かったです」
リースは律儀な人だ。アンデラの件だって、本来なら自ら俺に伝える必要などなかったはず。それを八つ当たりをされる覚悟までしてわざわざ伝えてくれた彼女に対して、感謝こそあれ怒りなど覚えようはずもない。
「それと、こんな事を聞くのはやはりあれなのだが……」
だがそれ以上に、リースはやはり生真面目に過ぎた。
「ローアンとの戦いに、君やクーリアさんの力を借りる事はできないだろうか」
リースは俺が剣使や国防に興味がない事も、クーリアが国防軍の暗部に秘密兵器として扱われた過程もよく知っている。だから何度も勧誘を受けた俺が機嫌を損ねる事も、それ以上に俺がクーリアを国防軍と関わらせたくないと思っている事までもよくよく理解しているはずだ。そしてその上で、俺からどう思われようとも国を守る戦力を増強する事の方を優先する。リース・コルテットはそういう人間だった。
「俺は、国よりも俺とクーリアの方が大事なので」
そして、俺はどこまで行ってもこういう人間でしかない。
優先順位は、すでに決めたのだ。
「……わかった。もう聞かない、とは約束できないが、無理強いはしないよ」
リースは自身よりも国を優先するが、他人にそれを強いる事はない。もしそうでなければ、リースこそがクーリアを救おうとした俺の最大の障害になっていたかもしれない。
「ありがとうございます」
そう思ったら、言うつもりのなかった感謝の言葉が勝手に口をついていた。