図書館長と司書‐自己責任と後悔と罵詈雑言
「糞が、糞が、クソつまらねぇえ」
図書館の最上階、その館長の玉座でもある、執務室。
僕がノックしようと思った、その矢先、室内から聞こえてきたのは、そういう声だった。
さて、声というのは色々あるが、それは酷く怨念や負の感情の篭ったモノで、僕はこのまま踵返したい所だった。
だが僕は、部下、それも直属で、奴隷みたいな立ち位置で。
と説明すれば、もうこれからどうするしかないかは、実に明白なわけだ。
「イリカ、僕です、入りますよ?」
ノックを二回して、内部に了解も取らずに入室。
敬称を許さず、気軽に入れ命令だ、と言われた僕は、こういう風に遠慮という日本人的な美的感覚を持たない人間のように振舞わざるを得ない。
人権を剥奪されている、とまで言わないが、その半歩手前くらいの狼藉じゃないだろうか?
「おお、来たか、ちょっと聞いてくれ、ター君」
ひょいひょいと手招きして、大きな横長執務机の横を指される。
そこには室内とは独立したような、ちょうど室内からは突き出たような形で、別空間がある。
いわゆる客席のような、ソファーとその他、調度の数々がある、一休みに調度良さそうな所。
「用事済ませるから、暇つぶしして待ってろ」
暇つぶしなんて、特に思いつかなかったので、外でも見て、黄昏る振りでもする。
「よし、てめぇーは駄目だ、失格だ」
「いきなりどうして?っ」
ぼふっと対面ソファーに座り、テーブルに資料をヴァサっと散らばせる。
「当然これだ、ター君、お前本気で描いたか?」
「まあ、うん」
イリカ深く溜息を付く、なんとなくこれ見よがし風味だ。
「とにかく駄目だ駄目だ、魂に響かない?
まあどうせ、惰弱に生きてるんだろ?ああ?
俺様が本気出せ本気出せ言っても、聞かない悪い頭はコレか?糞がっマジで張った押すぞコラ」
メンチ切る感じで怒られた。
「いや、確かに、、、」
「確かに、なんだ? 黙んりじゃわかんねぇーぞ?」
「全力は出したけど、出し切れたかは、、、うーん」
「ほらみろ、どうせその程度の覚悟で書かれたモノだって、俺様には一目瞭然だ。
せっせと白状しろ、全部な」
僕は、己の努力の過程を話した、結果はどうやら出なかった、その過程をイリカは愉快そうに聞いた。
「なるほどな、馬鹿やろうがぁ!
結果が出ないんだったら、意味ねーんだ。
加えて、自助努力の余地なしの、屑だな。
もう少しテコ入れすれば?だぁ?
馬鹿か! 結果がこれだ! ター君のへぼい実力は既に結果として出力されてんだ、言い訳スンナ!」
「そっちが、白状しろって言った癖にぃ、、」
なんとなく腑に落ちないが、期待を裏切ったのは僕だ、甘んじて受け入れて、罵詈雑言発表を傍聴するしかない。
「あと、日頃の業務だけで、手一杯っとも言ったな?
しるかっ、この馬鹿。
それはお前の役目だ、それを超越して、事を成せば良かったんだよ。
だいたい、責任転嫁もいい所だぜ?
ター君は自己責任って言葉を知ってるか?
あれは良い言葉だ、全部の責任は自分に全てある、すばらしい潔さと思わねえかぁ? なあ?」
ふぅっと、そこで一旦長広舌を切り、さきほどセットした、エスプレッソマシーンを操作しに行く。
イリカは珈琲党だ、ちなみに僕は似非珈琲党だ。
本当は自分で入れた紅茶の方が好きなのだが、この暴君は、合わせろと言って珈琲の共感を感想と共に求めてくる。
「さて」
珈琲を持ってきて、一口、美味しそうに飲んで、そのまま時を過ごす。
そして、自分のタイミングでまた話し出す。
「ター君が納得できるように、馬鹿でも分かる例えをしてやる。
例えば、俺様がター君に過度な仕事を頼み、それで失敗した今がある、果たして誰の責任だ?
これは責任を延々と辿っていけば、過去の時点で、俺様の仕事に対して、ノーと拒否できなかったたー君の責任だ」
僕が微妙な顔をしていると。
「どーなんだ? 納得を促しつつ話さないと意味が無い」と言われる、これは何の誘導尋問なのかと思った。
「僕の責任だね」っと即答すると、イリカはいい笑顔で、しきりに頷きを繰り返す。
「そうだ、他人に責任を転嫁しようとしても、本来無駄なのさ。
なぜなら、一瞬一瞬の行動に、本人が全責任を負っているんだからな。
そうだよなぁ?、そのときそのときの、例えば”今の”自分の責任を、一瞬一瞬の単位で認めるなら、必然そうなる。
具体的な例えで言うが、
もし仮に、ター君が、俺様を殺したとする、悪いのは誰だ? 誰に責任が行くのが道理で自然だ?
過剰に仕事を押し付けた俺様か?
それともター君という鬱屈した人格を形成した要因である、両親にでも押し付けるか?」
なるほど、と思った。
これには答えが無い、あるとしても、それは分かり易い決定的で、致命的な場合だけだ。
そして僕には、そんな具体的に提示できるような事は何も無い、反論するだけドツボに嵌る。
「分かったよ、潔く納得するから、ごめんなさい、許してくださいイリカ様」
「そうかそうか、納得してくれれば、それでいいんだよ。
自分の愚かさと責任を、全面的に認めて、不満を溜められても、俺様的には微妙だったから、いちいち説明したまでだ、手間取らせやがってよ」
そして、珈琲を喉に流しつつ、資料を漁る。
「それにしても、駄目だな、今回は見るべきモノが一つもねえ、不作も不作だ。
俺様の期待を裏切って、惰性に生きてたみたいじゃねえか、このやろう」
「個人的には、全力全開だったんだ、ほんとさ」
「どうだか。
それは、今から振り返って、本当に全力全開だったか? なわけねえ」
イリカは、瞳を光らせて、神のような重厚な声色で、えらそうに語る。
「後から振り返ったら、どんな事も全力とは言えねえんだよ。
過去の100メートルのタイムとか、あるだろ?
あれみたいなモンだ、過去の全力は、今乗り越えるべき、ハードル、指標に過ぎねえ。
それを己の限界と定義することに、どれだけの価値がある、皆無にねえ、愚かしい発想だよなぁ?
だから、駄目駄目なのさ。
特に、他人から評価されない、失望されたのなら、潔く、すべからくを心底から反省するべきなんだ。
それが一番に心の糧になるだろうからな、悔しさってのは馬鹿にできない推進剤だ。
せいぜい、俺様の評価を下げたことを、毎夜毎夜、枕を濡らして後悔し、惨めに過ごすんだな、ター君」
僕は、なんでもないように振舞ったが、正直なところ、攻められすぎて泣きそうだった。
僕はこの、俺様を巣で一人称に使うイリカを、尊敬し畏怖しているのだ。
だから、やっぱり、なんでもない、傷ついてない振りをしているが、過去の自分を心底から後悔した。
「そうだそうだ、そうやって後悔できてる内は多めに見てやる。
ター君が、俺様を愛してる、それは証拠だからな。
さて、説教はこれくらいにして、終わりだ。
今日は何するか、決めるとするか、まだ昼ちょい過ぎだ」
僕は「そうだね」と言って、心機一転、なにか彼女を楽しませられる事を考えるのだった。