取るに足らない条理
第八話:取るに足らない条理
俺が風紀委員長の座を光岡から奪い取って数ヶ月。年末年始の慌ただしい季節も無事乗り越えた二月のある日。
一年の中でも風紀委員会が忙しいくなるイベント。つまりバレンタインデイだ。
俺自体は別に構わないと思うのだが、先生方からの御達示で持ち物検査をしなければならないのだ。
「夜明! チョコ作って来たよ」
月見は百点満点の笑顔でとんでもない事を言い出した。
「捨てろ」
取り締まるべき俺達が取り締まられる物持ってきてどうする。
「ええー!? せっかく作って来たのに」
せっかく作って来た奴らばっかのはずなんだからお前だけ特別に良いよとはならない。
特例はなし。
「……じゃあ不要物持ち込みで報告な……俺ら」
小さく可愛らしいチョコレートを一口で食べ、報告書に二人分の名前を書いておく。
まだ人が来る前でよかった。
罰則は辞書の書き取り数ページ程度の面倒臭い物だが構わない。
「……ありがと」
「良いさ、痛み分けって事で。それに」
「それに?」
「女子からチョコを貰ったのは今年が初めてだから嬉しい」
まあ、設定を見る事が出来る月見に改めて言う必要が有ったのかは分からないが。
「えへへ」
何故だか月見の方が照れ臭そうに笑う。
俺が照れるタイミングを失ってしまった……照れる気はなかったけど。
おっと、ちらほらと生徒が登校して来たようだ。
二人の息は、勝手に合っていた。
「おはようございます!」
「おはようございます!」
***
少し考えれば分かりそうな物なのに、朝の抜き打ち持ち物検査は大盛況。大量のチョコレートが回収された。
「さて、これどうする?」
「どうするって放課後になったら返してあげようよ。可哀相だよ」
いたって真剣な表情のまま、回収したチョコレートを綺麗に整頓していく。
几帳面なんだな。
「そもそも、学校にチョコレート持ってこないのは常識のはずなんだから、そのくらい可哀相じゃない」
なんだかこいつと話して、対立したときいつも正論しか言わないな、俺。
「でも僕だけ夜明に渡せたって平等じゃないよ」
「痛み分けって言ってるだろ。相手も報告書に書いて良いなら別だが、そんな事頼めると思うか?」
「それは……」
困ったように口を閉じた。こんな俺でも助けてくれるなんて、本当に正論って素晴らしい。
「……とにかくチョコは返すよ!」
強く言ってきた。
正論に対して暴論か。なかなか分かってるじゃないか。
「……先生に渡しておく。判断するのは向こうだ」
と、俺は全く意に介することないように返した。
「夜明!」
「うるさい! これは決定事項だ。先生には善処してくれるように伝えておく」
怒鳴りつけるように言い捨てて、急いでこの場所から逃げ出した。
もちろんすぐに罪悪感も芽生えたので振り返ったが月見は座り、顔を手で隠すように俯いていて、戻って声をかける勇気が消え失せた。
***
陰欝な足どりのまま教室に戻ると、そこは何故か無人で、机や備品が教室の後ろに詰められていた。
異様だ。
まるで最初から使われていなかったみたいだ。
なにもない。
誰も居ない。
……いや、落ち着いて冷静に見れば無人ではなかった。
教室の雰囲気に目を取られ、自然に、そうである事が当たり前の様になっていて気付くのが遅れてしまったんだ。
男、闇無が教室の中央に立っていた。
フルネームは確か闇無暗黒だったかな。
「こんにちは」
「……こんにちは?」
神秘的な雰囲気を壊さぬままに、闇無は声をかけてきた。
「お前と話しがしたくて、皆には掃けて貰ったんだ」
飄々とそう言った。掃け、て?
「何を言って……」
「能力だ。俺の」
能力……、そういえばこいつも能力者だったか。
違う、そこじゃない。
話しがあると、こいつはそう言ったんだ。
「お前今陽目と組んでるんだって?」
「それがどうかした?」
初対面にこんな口調で良いのか、とかは全然気に出来なかった。
まるで、見えない何かに操られているように。
「俺と組まないか?」
いたって真面目なようすだが、陽目のようなまっすぐさは無く、全てを吐き出すような渦みたいな目だ。
「お前にあんな道徳主義なんか似合わない。光岡と戦ったときに思わなかったか? 校則違反者の為にそこまでする必要があるのかってよ」
「まあ、急ぎ足だったから考える暇がなかったが、今にしてみれば多少な」
嘘がつけない。
嘘を考えるより先に、真実が口から出ていく。
俺に何をしているんだ、こいつは。
……こんな時、月見が居れば教えてくれたのだろうか。
「ほら、だったら無理して一緒に居る必要ないんじゃないか?」
「お前は、俺を引き抜いて何がしたいんだ。俺みたいなモヤシを何に使いたいんだ」
真実しか言えないなら、別の真実を話して反らすしかない。
これが俺の精一杯の抵抗だ。
すると、闇無は驚いたように声をあげて言う。
「世界征服」
「は!?」
つい声を漏らしてしまったが、闇無はくすりとも笑わない。いたって深刻そうに俺を見ている。
「……具体的にどうやるんだ」
「意外と乗り気だな、だけど悪い。方法は簡単だ。俺の能力をちょこっと使うだけで世界は落とせる」
「じゃあ俺なんかいらないだろ」
「いる。俺の作る世界の自警団にはお前の様な、強く正しい男が相応しい」
こいつの中では既に具体的な計画まで出来上がっているらしい。
俺の様な、か。
俺は強く正しい事なんてあったのか?
光岡のときだって月見に従っていただけだろ。
「月見は?」
「……あいつは駄目だ。俺の世界に必要なのは道ではなく正しさだ」
ばっさりと、駄目。
月見がそう言われたなら俺は。
「なら俺だって相応しくない。俺は月見がいなければ正しくない」
という事で、闇無との話しをさっさと切り上げ、月見に謝りに行こうと改めて思い教室から出ようとしたのだが。
「くっ、……はっ!」
背中に強い衝撃を受け、手を掛けていた扉に全身を強くぶつけられた。
犯人はもちろん闇無だ。
痛みに耐えながら振り返ると闇無は鋭い眼光で俺を睨みつけている。
「……味方に、ならないなら……潰すって事か」
「ああ、そういう事だ」
そういうと闇無は、振り上げた足を何回も落とし、踏み付けた。
モヤシの俺にはこの程度でだいぶキツイ。
そして、闇無は俺から離れ、机を一つ持ち上げると、俺に向かって投げた。
手で防いだり、避けたりする気力も体力も無い。せめて……。
……せめてあの机が豆腐みたいに柔らかければ……。
「何っ!?」
机が俺にぶつかった直後、闇無は怒鳴るように声をあげた。
おかしい、机は確かに俺に直撃したはずなのに、俺は何故意識を保っている? それどころか、机がぶつかった所は痛くもかゆくもない。
ふと、手を眺めるとそこに流れていたのは真っ赤な血ではなく茶色い謎の半固体の液体が付いていた。
……そうか、こう使うのか。
「お前! お前は一体何をしたんだ!」
目茶苦茶な顔でうろたえながら闇無は叫ぶ。
先程までの神秘的な感じはどこへやら、みっともない。
「これが俺の能力だ」
「くっ」
闇無は顔を思い切り引き攣らせてこちらを見てくる。
机を豆腐のようにする。たったそれだけの能力ではなく、固体を液体にするとでも思ったのだろうか。勝ち目がないと理解したような顔になったかと思えば真顔に戻っていた。
慣れているというか、流石としか言えないな。
「で、俺を殺すのか?」
俺は無言のまま、漫画みたいに瞬きするよりも早く傷を治し、何事も無かった様に立ち上がって、そんな物騒な事を言う闇無と向かい合った。
「……いや、殺さない。お前と俺は似ているからな」
「……そう、か」
自分でも何言っているのか分からない事ではあったが、闇無はどこか納得したように出ていった。
なんとなく携帯を取り出すとメールが一件届いている。
……月見か。
『いきなりごめんね。夜明の能力の名前なんだけど、『虚偽操作』ってどうかな? ちなみに私の能力は『真実の《・》愛』って呼んでるんだよ。良い名前でしょ? 追伸、さっきは本当にごめんね』
中二臭さ全開の事を言い出して何を言っているのかと思えば。まったく、謝らなきゃいけないのは俺の方だろ。
戻ってきたクラスメイトと入れ替わるように教室から出て、月見の所に走り出した。
***
どうやらまだ月見は居る様で、俯きがちに携帯を眺めている。
授業をサボるつもりかよ。
でもそこに居てくれた事が嬉しくて、会えた事が嬉しくて、更に早足になって月見に近づく。
「おーい、月……」
その瞬間。けたたましい衝撃音が学校に鳴り響いた。俺は耳鳴りと共に、目の前が真っ赤になり、口の中には鉄の味が広がる。
どうやら改装中の校舎から鉄骨が落ちたらしい。ギャラリーが集まって、そんなことを言いながら騒いでいる。
「月見……」
呼んでも誰も応えてくれない。
「月見……」
呼んでも誰も現れてくれない。
「月見……」
呼んでも、なにも俺の呼びかけに応えてはくれなかった。
第八話 完